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誰にも見せない自分だけの


誰にも見せない自分だけの
喜びを一つは残しておこう。

今はあまりに開示することや
共有することが叫ばれすぎて
自分のためだけのものを
持ちづらくなっているから。


でも子どもの頃
別に家族と不仲じゃなくても
自分だけの部屋が欲しかったように
人には

「なんでも自由にできる場所」や
「完全に気の抜ける時間」が

必要なんだ。

他の誰のためでもない
自分だけの喜びや安らぎを
追究するために。

人に見せることや
分かち合うことと同じくらい

人に見せないことや
分かち合わないことが

本来の自分を保つために
必要なんだ。


趣味でも生活でも空間でも。

他人の目に触れるとなれば
人はどうしても
人に見せてもいいレベルまで
整えようとしてしまうから。


文章だって自分だけなら
いくら「抜け」があっても分かるところ
他人に見せるとなれば
順序だてて説明しなければならない。

生活だって自分だけなら
いくらでも手を抜けるところ
他人に見せるとなれば
許されるだろうレベルを考えてしまう。


他人に見せるという行為自体が
理解や評価や賛同を得るためのことだから

本当に理解されそうにないこと
評価されそうにないこと
賛同されそうにないことを

そのまま出すことはできず
どうしても人に受け入れられやすい
形になるまで整えてしまう。


その工程の中で
「完全なる自分好み」は
少なからず失われて
趣味や生活や空間のもたらす
喜びや癒しの効果は半減する。


人に見せて共有することで
得られる喜びや癒しもあるけど

自分の部屋が本来
人に「見せる」場所ではなく
自分が「休む」場所であるように

心や生活にも完全に閉じた
自分にしか触れられない
自分だけの空間が必要なんだ。


全く見られないのも辛いけど
見られっぱなしは息が詰まるから

誰にも見せない自分だけの
秘密基地のような遊び場で
じゅうぶん息が抜けるように。


🌸最後までご覧くださり、ありがとうございました🌸