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まず、自分が幸せになる文章を書く

 約3年前、以下の記事を書いた。

 なぜか公開時から3年も経過しているのに、常に一定のアクセスがあり、私の今まで書いたnote記事の中でPVランキング上位をキープし続けている。

 正直言って、この記事を書いた後の数か月は、ツイッターを見たり投稿したりすることは抑えていたと思う。だが、新たな推しができたり、毎朝楽しみで観てしまうテレビ番組ができたりで、気がつけばスマホのアプリにツイッターを入れ直し、一日に何度もタイムラインをチェックしたり、投稿をしたりする日々になっていた。

 もしかしたら上記の記事を読まれた方の中には「この人、ぜんぜんツイッターから距離置いてないじゃんw」と思っていらっしゃる方もいるかもしれない。自意識過剰なことを言えば、もしかしたらどこかの掲示板あたりで、「ネットで言うこととやることが全然違う人w」ってタイトルでリンクを張られているのかもしれない。
 まぁ、万一そうだとしたら、言われていることは事実だから受け容れるしかないんだけど。

 ただ、その自意識過剰は置いといて、上記の記事を読み返して深く刺さった言葉があった。

 私はまず自分の傷ついた心を癒し、温め、元気が出るような文章を、自分一人のために書いていくべきだったんです。

 まさに「それな!」と思う。
 上記の記事でも書いているが、私はいつも人からの賞賛を得たくて、「心が温まりました!」と喜んでくれるような文章が書きたくて、そのためにはどんな文章を書けばいいかと考えていた。

 今は「まず自分が幸せになれる言葉で、自分の心を温める文章を書けばいいのに」と思う。
 書くことは好きだし読書も好きだ。「自分の傷ついた心を癒し、温め、元気が出るような」言葉を記憶の中からかき集め、書き連ねていくだけで随分と心にエネルギーが満たされていくかもしれない。そういえば、以前は紙のノートに好きな曲の歌詞を書いていくのが好きだった。たとえ自分の生み出した言葉じゃなくても、自分が好きだと思える詞(ことば)を書き連ねていく作業は楽しい。

 私のnote記事の中で、なぜか一定のPV数を保ち続ける記事が「どんな文章を書いていきたいか」を私に問い続けている。
 以前「ほぼ日刊イトイ新聞」での山田ズーニーさんの連載「おとなの小論文教室。」でも以下のことが書かれていた。

言葉は、言った本人も食らう。

だから、つくづく、日々話し書く言葉は、
自分が、ときめき、鼓舞され、
前に進めるものでありたい、

と私は思う。

Lesson1065「言葉は、言った本人も食らう」より

 たとえ日々の生活がままならなくても、その中でも「幸せ」と思えることや、「嬉しいな」と感じられることをひとつひとつ取り出して、手帳に書くなり独り言として口にするなり、言語化してみれば、自分の心を更に潤わせることができるかもしれない。
 そのことを心に留めて、これから文章を書いていきたい。

 そして、今後この記事も、なぜか一定のPV数を稼ぎ続けることがあれば、おのれのSNSでの投稿等を見直すきっかけにしようと思う。

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