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イシューが、わたしを喰らうから

ニュースやタイムラインには、さまざまな社会課題(ソーシャルイシュー)たるものがひしめいている。

社会貢献意識のようなものを強く持てばもつほど、どれもこれも重要、どれもこれも常にキャッチアップしなければと思うと、時間も思考も喰われてしまい、キョロキョロと目移りしては、タイムラインの潮目を見ながら、それらしいコメントをつけた引用RTをして承認欲求を満たして終わる。

喰われることから脱したいな、と思って、以下のようなことをしている。

・この社会課題についての自分のスタンスはこう、と、その理由とともに暫定的に決める/そのスタンスをとる理由を考える時間(情報収集や勉強も含む)を生活の中に定期的に入れ込む

・この社会課題についてはこの人、と信頼できる人を複数名、日頃からフォローしておく

・その上で、ある社会課題に対して自分のスキルや時間やお金を使うことが必要だ/使いたいと思ったときは、この人やこの組織に合流しよう、と大まかに決めておく


例えば、自分が寄付をする先は、上記「ある社会課題に対して自分のスキルやお金や時間を使うことが必要だ/使いたいと思ったときは、この人やこの組織に合流しよう」と決めている人や組織にしている。合流して仲間に入れてもらいたい人や組織に託すイメージで。

また、自分が取り組むプロジェクトや仕事は、その上位(抽象度を上げたところ)に自分がある程度長い時間をかけて取り組みたいイシューが見え隠れするものであるといいとわたしはおもう。そうすると、今本当に自分が対峙すべきイシュー以外に時間や思考を喰われなくてすむし、「ある社会課題に対して自分のスキルやお金や時間を使うことが必要だ/使いたいと思ったときは、この人やこの組織に合流しよう」と決めている人や組織が定まっていれば、勝手に「そっちはよろしく」と心の中で、お願いすることができる。

時間は有限であり、課題は無限にある。
だから選択することも必要なのではないかと思う。

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