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中途半端に要領が良かったので、高校生の頃までは授業を聞いているだけでもテストの点数がそこそこ良かった。常に満点というわけではないけれど、平均点以下の点数は取ったことがなかったし、成績も上の中の辺りから下がったことはなかった。目標設定をテストの点数や成績の評価を基準にしていたせいで、宿題やテスト勉強を真面目に行う習慣が全く育たなかった。塾なんて学校の授業についていけないから通わされるもので、本来はやらなくても良い無駄な復習をやっているとすら思っていた。要するに、テストでそれなりの点数が取れているなら、追加で勉強する必要なんてないじゃんと小馬鹿にしていたのである。当時の自分に、お前の方が馬鹿だよと今なら断言してやれる。
テストの出題範囲は、教科書という小さな小さな世界の更に限られた領域に過ぎない。その外側には謎に満ちた世界が広がっていて、それを探究し理解しようとする営みこそが、勉強なのだ。ましてやクラス内の成績なんて、ただの相対評価に過ぎず、良かったところで世界を理解するためには何の助けにもならない。
誰も教えてくれなかったと嘆きたくなる気持ちもあるが、誰しもが自ら気付くのだろう。「井の中の蛙大海を知らず」という諺を知った時に。
頭の良くない自分が、勉強する意味を真に理解できたのは、大学生になってからだと思う。その意味が分かった上で行う勉強は楽しかった。履修している授業時間とは別に、自分の研究範囲外の授業に潜り込んでみたり、図書館に篭って背表紙に惹かれた本を片っ端から読んでみたり。
もしかしたら、件の蛙の諺を教わった時に、君たちは蛙だよと先生は言っていたのかも知れないな。授業を聞いていたという記憶も怪しいものだ。
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