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スピリチュアルは科学的でないから信じてるやつはバカ、というのは間違いだよねって話

インターネッツを徘徊していると、ここ五年ほどで科学的事実とやらが一般人のあいだで流行しはじめたように感じられます(かくいう私も一般人ですが)。科学を知り、人生を豊かにしたいという気持ちはよく分かりますし、事実、科学は素晴らしい。ですが、一部の科学至上主義者たちはネット上においてこのような文言を使います。

「データは? エビデンスは? それって根拠あるんですか(笑)」

彼らはなにに対してもデータや根拠を求めてくる。被害を最も受けているのは、占いやスピリチュアルやMBTIテストを楽しんでいる人たちだと思われます。スピリチュアルだっていいじゃん! と反論したいけども、どう返せばいいのかが分からない……そんな人たちのために、私なりの知恵を伝授していきたいと思います。


科学とはなにか?

そもそも科学とはなんぞや、と疑問に思うかたもいるでしょう。〇〇大学の論文がどうのと言われてもピンとこない。ものすごく簡単に言えば、科学とはだれにでも再現可能なものであります。

たとえばAさんとBさんに下記のような条件をあたえます。

前提1:電卓を使用すること
前提2:1+1と入力すること

AさんとBさんがよほどまぬけではないかぎり、どちらも2という答えが得られますよね。これはCさんであれ、Dさんであれ、Zさんであれ、だれでも再現することができます。これが科学の基本的な考え方です。

では、再現可能であるということが何を意味するのか? すなわち予測することができるようになる、ということです。それのなにがいいの?

時速300kmの新幹線は一時間後に300km離れた町に着く。それが分かっていれば、私たちは旅行の〝予定〟を立てることができます。予定を立てられるということは、事前に準備をし、無駄のない旅を行うができますよね。これが観光事業者なら6月にどれくらいの人が町に来るか、というデータから人員や物資をあらかじめ確保し、備えることができます。

人類がチンパンジーより発展しているのは、この未来予測による効率化と無駄のない時間の使い方ができるからなのです。先史時代で言えば、サバンナでライオンがどこに出るかを予測し、道を迂回することができる。ライオンに襲われても敵がどう動くのかを予想して対処できる。厳しい冬に備えて食料を貯蔵しておける。

このように人類は科学的思考によってもたらされる予測と対処によって生き残れる確率をあげ、効率よく種の規模を拡大してきたのであります。

科学が描写できる世界とは

逆説的な話になりますが、科学最大の弱点は〝予測できないものに対応できない〟ところにあります。世の中にはすごい経済学者の先生がいるのに、一年後の経済がどうなるかが分からない。目の前にけん玉を持って白目でコサックダンスを踊る不審者がいても彼の行動を予測することができない。それは人間の精神が〝予測不可能な領域〟にあるからであります。

科学は論理的な形式をもって世界を記述します。AならばBであるが、BならばAであるとは限らないうんぬんといった話をどこかで聞いた覚えがあるでしょう。しかし科学は論理的なものを記述できても、非論理的なものに対してはさして有効ではないのです。

世界はぜんぜん合理的じゃない

私たちの属する物質的な世界は物理法則に支配されています。ある日突然、私たちの背中に翼が生えることはありませんし、急に宇宙にすっ飛ばされる心配もないですよね。そんなことが起こればのん気に仕事なんてしていられません。世界が合理的に動くからこそ私たち人類は存続し、人生という舞台を演じることができるのです。

しかし、現に私たちは合理的ではない。謎のレバーで鉛玉をぶっ飛ばし、ピロピロ回る7を追う。1000円払って500円失う紙を買い「どうか当たりますように」と願掛けをする。1億人の命をかなぐり捨て、愛する1人を守る選択に涙する。

これらは合理的だとは言えません。しかし楽しい。なんかよく分からないけど楽しい。それ以上の理由が必要でしょうか? 占いを信じることが楽しいなら信じればいいし、友達とMBTIテストできゃっきゃするのが楽しいなら信じればいい。『リンゴって美味しいよね~』と話しているときに『リンゴ食ってるやつはぜんいんバカです。トマトのほうが美味しいです』などと宣言する人がいたら『いや、知らんがな』って話ですよね。私らが話しているのはリンゴであってトマトではない。科学至上主義者の云うことは本質的にはそれと同じなんですよ。つまり、科学至上主義者は論理を重視しているくせに整合性の取れていないことを言っているのです。

素晴らしき非合理の世界

私たちの目に見えるモノのなかで最も速いのは光であります。それは事実そうでありましょう。しかし、私たちは鼻水を垂らしながら「いっちょうまんキロ~!」などと、アインシュタインのベロに向かって高らかに宣言することができる。けっきょく、光が一番速いでぇす! というのは〝科学的な事実〟に過ぎず、世界のすべてを包括する真実ではないのです。

あるいは死も同じでしょう。死ねばすべてが無に帰する、などというのは現代人の思い込みにすぎないかもしれない。具体的な天国が実際にあるとは思えませんが、全体世界には抽象的な天国が偏在し、この世は超光速でうごめく魂の休息地としてあるのかもしれません(何言ってんたこいつ、と思ったかたは正常です)

スピリチュアル万歳!

私は科学的事実とやらがいかに人類を退廃させ、虚無に陥らせてきたかを身をもって知っています。どうせ死ぬんだから頑張っても仕方がないよ、人生は遺伝子がすべてだよ。だから努力しても意味がない、そう思っていた時期が私にもありました。けれども、そう思って何もしないことが一番仕方がないし、無意味であることに私は気付きました。憂鬱な気分になるくらいなら根拠が無くても楽しくなれたり、苦しみを少し取り除いてくれるナニカにすがってもいいではありませんか。

おわりに

世の中には数多の名言や格言がありますが、私が好きなのは「do be do be do」や「ピーヒャラピーヒャラパッパパラパー」であります。具体的な意味はないが、なんか陽気になれる言葉。もしかすると、それが一番の芸術であり娯楽なのかもしれない、と近ごろ思い始めています。

あとはアレです。謎のブレスレットやお守りを買うのはいいですが、原価300円のモノを1万円で売っているような悪徳な事業者には気を付けましょう。「三万円のお布施が必要なんじゃあ……」などと言う僧がいたら「そうなんだ~」とスルーしましょう。私たちはあくまでも善なるものを信じなければなりません。

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