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人生とは何か?

 人生とは何か。生ききってからじゃないと、いや生ききってからでも答えが出にくい質問。
 でも、何度も何度も考えた。私の人生はこのままで良いのだろうか。このまま人に迷惑をかけ続けるなら、死んだ方が楽なんじゃないか。人生で残せる物もないような私がこのまま生きていても、意味が無いんじゃないか。
 嫌われ続ける人生はつらい。直そうと思っても何が正しいのか分からない。時々、首に縄を巻いてみたり、自然の毒草を集めてみたりする。楽に死ねる方法がないか調べたり、痛みを感じないほど瞬時に死ぬ方法を計算してみたりする。
 首のうしろにウジ虫が湧いているような感覚に苦しめられて、息がまともに出来なくなって、人に会うだけで涙が止まらなくなったり。こんな自分が生きている価値があるのかわからなくなる。
 明日が来なければ楽になれるのにと思って、知らず知らずのうちに世界の崩壊を願ってたりする。
 そんなことの繰り返し。ずっと、その繰り返し。楽になることはないと思うと、腕から力が抜けて、何もやる気がしなくなる。だから、徐々に自分を追い詰めていく。だって、そんな状態でも生きたいと思う自分はおかしいはずだから。
 社会不適合因子だと思われながら、親に迷惑をかけ続けて生きるなんて、ありえない。

 苦しいときは、そんなことばっかり思っていた。
 どうして無理矢理生かすんですか、生きていても私に価値はないんですよね。生き続けるのはどちらにとっても不幸だと思うんです。
 他者に迷惑をかけてでしか生きられないから、周りの人に嫌われる。だから死のうとするのに、どうして無理矢理引き留めるんですか。
 生きていても不幸なのに、死ぬことすらも許されないなんて、どうしたら良いのって。
 他者に迷惑をかけて死ぬのは嫌だから、海に身を投げるか、人にばれないように消えよう。時には、この世で一番嫌いなやつの目の前で、相手を呪いながら死んでやろうかなとか悪いことを考えていた。

 でも、病院に行って仕事を辞めて引きこもってみたら、そこまで悪いことを考えることも無くなった。庭の畑で野菜が育ってくのを見て、草取りをして、大量に発生しているダンゴムシやありの巣を見つめて、ボーッと空を見て、人が居ない空間で生きてみると楽だった。
 月々の支払いで貯金は飛んでいくけど、人とのつながりを無くしたら息だけは吸えた。
 そういうとき人生って何なのか考えると、ただの時間の流れに過ぎないのだと思った。一方通行の空間は、私以外の他者を受け入れることが無いのだ。忘れられた存在になることができている。
 空白は存在を知覚しないのかもしれない。
 私はここにいるけど、私は他者の人生の中にも登場していない。迷惑をかけることも無く、静かな世界の中で生きられる。
 ゆっくり死んでいく。誰にも左右されないことが、どうしようもなく幸せだった。

 例えるなら、これまでの私は他人に殺されている状況だった。生きることも強いられていた。産まれたことの責任を取らされていた。
 でも、ギリギリの今は死ぬ権利が与えられていた。私の人生は私次第だと心から感じている。

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