美味しいコーヒーで落ち込んだ話



こんにちは☺︎

バリスタさんのルーツを辿ると
「ある時飲んだ1杯に衝撃を受けて」
と聞くことがあるけれど、

確かに本当に信じられないくらい美味しい
1杯に出会うことってあって。

スペシャルティコーヒーが気軽に飲める今、
どのお店にいってもため息が出るくらい
美味しいことが多いんだけど、

人生を変えるレベルのコーヒーは

「息を呑む」という感じ。

私は有難いことに、もう2回くらいそんな一杯に出会っていて、
つい最近2回目を経験したのですが、
1回目とは少し自分の中で感覚が異なりました。

基本的に、お店でコーヒーをいただく時

「◯◯な味だな、◯◯なニュアンスも感じる!」
「産地は?精製方法は?」
「どうやったらこんなふうに淹れられるんだろう?」
「なんと美味しいコーヒー、、幸せ!」

みたいに色んな感情がぶわっと湧いてくるのですが、

息を呑むレベルの美味しさは、
急に顔面平手打ちされたような感じ。

衝撃でチカチカっと視界がクリアになり
一回思考停止するわけです。

で、1回目の体験と今回で異なったのは
今回は平手打ちをモロにくらっちゃって、
本当にダメージを受けたこと。

今回いただいたのはシングルオリジンの
グァテマラのハンドドリップ。
その価格が800円だったんです。

このレベルの衝撃の1杯を、
800円で飲めるってどういうこと…?

こちらのお店には1杯5,000円のコーヒーもあったので
きっと、単純に生豆の価格で1杯の値段が
決まっているんだと思うのですが、

他のお店と同じか
ものによっては安いくらいの価格で
こんなレベルなコーヒーを提供されてしまったら
色々とバランスが崩れるというか。

こんなに美味しいのだから、
それこそ5,000円くらいするのであれば、すんなり納得できるわけです。
「これは5,000円払った価値がある」
と。

もちろん、価格に関する詳しいことはわからないけど、
もし単純に仕入れ価格や単純コストで
値段が決まっているのであれば、

焙煎から提供まで、
すべての技術の掛け合わせによって
こんなに差が出てしまうのかと
唖然としました。

私自身、自分の淹れたコーヒーを
誰かに飲んでほしいな、と
そんな思いでずっと過ごしてきていますが

こんなレベルの1杯800円を出す
バリスタが存在する世界で、

自分が提供できる価値って?
その対価ってどれほど?
と考えたら絶望すぎて、
なんというか、ボコボコにされた気持ちでした。笑

ちなみに、実績と肩書きのある方のお店で
淹れてもらったので

今、同じ土俵に自分が立っても手も足も出ないわけで。

勝手に落ち込むのは
どう考えてもおこがましい話というのは
重々承知。

百も千も万も承知なのです。

ですが、
以前はただおいしいと感動していた私が、
今回はお門違いな妄想で勝手に落ち込むくらいには
自分がコーヒーが好きなんだなという気づきになりました。

めちゃくちゃ落ち込んでくらって、
一晩寝たら、
今より少しでも何か価値を提供できるように
なりたいなと切り替えられました。

さて今日もコーヒー淹れましょう。

ご覧いただきありがとうございました!

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