サステイナブルな東海道行脚記録【東京・神奈川編】②<戸塚宿~箱根宿>
こちらの記事の続きです。
東海道をじわじわ行脚するお散歩記録。
【東京・神奈川編(後半)】
・神奈川県の後半です。前回はずっと市街地でしたが、この辺りから人気がなくなっていき、終盤は文字通りの山場へ。
・交通費的にもわりと手痛くなってくる。改めて考えると、「電車で目的地まで行って、歩いて、電車で帰る」というルーチン、客観的にみるとめちゃくちゃ不毛だ。でもたのしいのでやります。
戸塚宿~藤沢宿(7.9km)
・記事変わったけど歩きは東戸塚駅から続行です。どんどん行こう。
・一里塚とは、江戸幕府が東海道を整備したとき、日本橋を起点として一里(約4km)ごとに榎・松・欅・杉・樅などの木を1本ないし数本植えたもの。旅人にとっては旅程の目安になり、馬や駕籠の目安になった。
・ただ、時代途中からは幕府の管理があまり行き届かず、明治以降の道路工事や民間への払い下げにより消滅・荒廃した場所が多いとのこと。中にはもう場所が特定できないものもあるらしい。
※出典:旧街道ウォーキングに関する紹介サイト「人力」より
・まあ、都と都を結ぶ重要な道の両脇に木が植えてあったら基本邪魔だろうし、開発の過程でなくなっちゃうのは仕方ない気もする。でもわざわざ記念碑に「何も残っていません」って書かれると悲しいな。
・という感じで藤沢宿到着~。写真の建物は高札場跡といって、幕府の法令などを掲示する場所だったとのこと。
・もう日も暮れたので一旦帰宅。
藤沢宿~平塚宿(14.1km)
・翌週末に再スタート。
この時期は週末歩けることが何よりの生きがいだったので、「土日雨降りませんように……雨降りませんように……」と小学生のような祈りを捧げながら仕事をしていた。
・祈りが通じたのか、めちゃくちゃな快晴。お天道様が散歩せよと耳元で囁いています。
・藤沢宿のほど近くにある清浄光寺(遊行寺)。
鎌倉仏教の総本山だけあって中々立派な佇まいだ。
・開祖の一遍さん。日本史の授業でも踊り念仏のインパクトは中々でかく、印象に残ってる人は多いんじゃないだろうか。
・踊りながら念仏唱える陽気なお坊さんみたいなイメージを何となく持っちゃってるけど、死ぬ間際まで全国を行脚して教えを広めていたガチガチの上人だからやっぱりすごい。踊ってない夜を知らない。
・でっかいタンクが大量に並ぶゴツい建築物が見えてきたので何かと思ったら、メルシャンのワイン工場だった。この中ぜんぶワインなのかな。
・平塚宿到着~。
・それなりに歩いたけど、次の大磯宿までは3キロしかないのでそのまま進むことに。
平塚宿~大磯宿(3.0km)
・すすみます。
・川越しに見える高麗山(こまやま)と沈みかけの西日が重なる。
・山は昔から全国的に崇敬の対象とされ、高麗山の頂上にも高来神社という立派な神社が建っているそう。高層ビルも何もなかった時代、見上げるほど高い位置に地面があったらそりゃあ神様の住むところだと思っちゃうかもな。
・化粧坂(けわいざか)。
・昔の人(といっても昭和の人みたいだが)が歌を詠んだ場所を「大磯八景」と称しているらしい。事業の趣旨は分かるんだけど、「夜雨」が八景の一つに入るのはなかなかニッチだ。
・ということで大磯宿到着~。あっという間だった。まあ3キロだしね。
大磯宿~小田原宿(16.6km)
・続いて小田原宿へ。
宿間の距離は今のところ最長。気合入れてかないと。
・旧大隈重信別邸・旧古河家別邸というところがあったので寄ってみたが、工事中で邸宅は何にも見えなかった。悲しい。
・でもこれ、やってることすごいな。耐震補強のために邸宅全体を1.5mほどジャッキアップしてるらしい。その作業中に大きめの地震が来たらひとたまりもなさそうだ。
・道沿いにあったラーメン屋に入って腹ごしらえ。
・丸源ラーメンめちゃくちゃ好き。かなりこってりめのスープなんだけど、柚子おろしの力によってそれを全力で誤魔化してくれているのでするすると飲める。このメソッドはもっと流行ってほしい。探してないだけで十分流行り切ってるのかもしれないが。
・個人的にチャーシューが肉の中ではあまり好きじゃないから、入ってる肉が豚バラなのもかなり高評価ポイントなんだよな。ネギが大量に入ってるのもいい。あとセットの鉄板玉子チャーハンがかなり天才的にうまい。(この日は卵かけご飯にしたけど)
・名前穏やかじゃなさすぎるだろ。ドラクエ6のアモールか?
・しかし長い行程だ。日が傾いてきて風も若干強い。少し肌寒くなった道をとぼとぼと歩いていく。
・ん……?
・あれは……?
・海だーーーー!
・東海道とは読んで字のごとく、海の道だ。実のところ大磯宿あたりからずっと相模湾沿いを歩いていたわけだけど、歩く道から海が見えたのはそこから数キロ、二宮を過ぎてようやくのことだった。
いや~、景色が開けるとやっぱり爽快ですね。
・左半身で磯の気配を存分に感じながらも、引き続き西進。
・ちょっとだけ寄り道して海岸へ。波の音がとても心地よい。
・いつの間にか日は完全に落ち、真っ黒な夜の海に。
自動車道の国道1号に並び立つ電灯のオレンジも良い味を出してる。
・そこからもせっせと歩き……
・小田原市街、小田原宿到着~!
・小田原城があるせいか、街並みからもどこか歴史の趣を感じさせる。
・体感かなり歩いたけど、次の箱根関所までは同じくらいの距離がある。しかも道程は山登りだ。一旦セーブし、しっかりと体力を回復してから望もう。
(おまけ)小田原城
・日を改めてふたたび小田原。
・一日で箱根宿までの道のりを制覇するのは困難と踏み、せっかくなので小田原城を観光することにした。
・来ました。まだコロナの影響が色濃い時期だったが、それでも結構な数の人がいる。
・天守閣。いくつになってもお城はカッコいいよね……。
・拝観料を払って城内へ。
・お城の内部は、よくあるように小田原城の歴史を解説してくれる各種展示が目白押しだった。戦国の世にあって五代にわたる支配を確立した後北条氏の気鋭っぷり、政治の上手さなどが仔細に説明されているのだが、結局最後は「秀吉やべえ」となって降参するバッドエンドが後世の我々からすると確定してしまっているのが何とも物悲しい。
でも再現映像なども盛り込んだ展示はかなり気合が入っていて退屈しない。歴史に興味がある人は是非。
・そのまま最上階の展望デッキへ。
・相模湾に目を向ければ、地球の丸さを実感できる水平線。山々との対比も美しい。
・そんなこんなで撤収し、本筋の東海道行脚へ。
・いや~良かったね。ここまで見晴らしよく小田原を一望できるとは思っていなかったので、非常に満足だった。もう一回くらい行きたいかも。
小田原宿~箱根宿(16.6km)
・気を取り直して歩きます。
・てとてと歩き、まずは箱根湯本へ。
・小田急線の終着駅であるところの箱根湯本にも「箱根」と入っているので、そこが箱根宿?と思われるかもしれないが、全然違う。
標高1400mを誇る箱根山のふもとに位置するのが箱根湯本で、そこから(山頂までは行かないまでも)ぐんぐんと山を登り、峠を越えてようやくたどり着くのが箱根の関所なのである。
・小田原駅から箱根湯本駅までも6キロほどあるけど、ここからがようやく箱根攻略本番だ。
・この辺りで天気も悪くなってきたので、一旦セーブして帰宅。
・小雨の降る箱根町も、苔生した寺社の雰囲気とマッチしていてそれはそれでよかった。けどまあ登山をする天気ではないからね。
・日を改めて再スタート!
・本格的に上り道になってきた。紅葉には少し早いが、青々しいとまではいえない微妙な色の木々の隙間を縫って上へ上へ。
・鬱蒼と茂る林の中。
・たまに視界が開ければ、ゴツゴツした石を乗り移りながら小川を渡る。
・体力はキツいものの、市街地にくらべて道の変化がものすごいので全く飽きない。歩いてて楽しい。体力はキツい。
・たまに集落のような場所にも出る。やっぱり「東海道の難所」という肩書が何よりの観光資源だから、家並みもそれっぽいな。
・ほとんどの場所ではもはや残っていない一里塚の樹も、しっかり残されていた(修復して復元されたものではあるらしいが)。さすが箱根の山中。
・なんでもここら辺にはかつて「畑宿」という間の宿(あいのしゅく)があったらしく、そこに立てられた一里塚らしい。まあ、小田原からぶっつづけで箱根宿まではさすがに厳しいもんなあ。
・そこからもひたすら山道を歩く。歩く。
・この辺はリアルにハァハァ喘ぎながら登っていたので、写真もあまり残されていない。ごめんなさい。本格的な登山装備してきてもよかったくらいの道のりだった。
・ハァ……ハァ……
・ハァ……ハァ……
・無心で歩いていると、上りの道が徐々に平坦になってくる。
・お? と思いながらもなだらかな道をしばらく進むと、だんだんと人の気配が。家……? 町……?
・そして………………
・え!?
・海!?
・芦ノ湖だ!!!!
・水面標高723m、面積7.1平方kmの神奈川県最大の湖。箱根火山が3000年前に起こした水蒸気爆発によってつくられたカルデラ湖だという。
・こんだけ山を登った先にだだっ広い水面があるとけっこうビビる、ということが分かった。
・ここまで来たらもう一息。舗装された道のありがたみを感じながら西へ。
・箱根の関所!
・江戸日本橋からおよそ100km。東海道一とも言われる難所を越え、なんとか関所に到達することができた。よかったよかった。
・疲れた……。
【中間ふりかえり】
・ということで、日本橋からじわじわと歩き、ようやく箱根宿まで来た。
・最初の方は旧東海道といっても単なる街中の道だったけど、段々と都心から離れるにつれて人の気配が薄くなっていき、最後は山の中だった。
・それでも要所要所(特に宿の周辺)は繁栄していたし、何より寺社仏閣はかなりの頻度で道沿いに位置していて、やはり日本の大動脈として昔から存在感のある道なんだなあということを実感することができた。まあ実際、JR東海道線がほぼそのまま走っているというのが大きいんだろうけどね。江戸時代からある街道と宿場町という構造がそのまま鉄道と駅という形で現在まで活かされているの、結構エモいかもしれない。
・舗装されてない時代にこれだけの長い道のりを徒歩で往復していた昔の人たち、やっぱりすごい。靴も今と比べて全然低性能だったわけだしね。箱根の峠越えなんか、これが最も権威ある交通網として成立していたという事実を現代の感覚では到底受け入れられない。既に何回か言ってるけど、これは多分最後まで折に触れ実感することになるだろうなと思った。
・なんだか達成感を覚えてしまっているけど、当然ながら、京都三条大橋までの道程で言えばまだ4分の1ほど。先は長い。
・ここから先は東京住みのぼくにとって、しっかりとした「旅行」になってくる。日帰りで行って歩いて帰ってきて、というのもかなり効率が悪くなってくるので、しっかりと時間をとって1泊2日などでガッツリ距離を稼いでいくしかなくなってくる。
・これから果たしてどのくらい進めるのか。静岡編が終わるのは一体いつになるのか。もしかしたら数年後になるかもしれませんが、その時までどうぞよしなに。
>>静岡編①へ続く……
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