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いたずらラッコの運動会(前編)

 世界初のラッコのショーを公開したことで有名になった大分マリーンパレス(現:うみたまご)。
1990年から2006年まで行われていました。
現在インターネット上に残っているラッコショーの記録は、当時ラッコを追いかけていた方のホームページくらいでしょうか。
最近はYou tubeにWANKOさんからラッコショーをやっていた当時の動画が上げられました。大分マリンパレスのDVD・TVの過去映像で放送されていたことがあったようですが、観ることが困難ですので貴重な動画となっています。

うみたまご EX大分マリーンパレス「ラッコショー」

映像で見るとラッコ達は自由に動き回っていてトレーナーの方がラッコの動きに合わせてトークをしています。スムーズなダンクシュートです。

ラッコの事を調べ始めた経緯

その当時は記憶はおぼろげですが、動物番組で観ていたのかラッコがダンクシュートをやっていることだけは知っていました。
僕も一度は観てみたいと思っていましたが、まだ動物への関心も薄く大分や国内のラッコの現状をよく知らなかったのでなんとなく「いつか行こう」という気持ちで構えていました。2017年にアニメをきっかけに長崎バイオパークに通うようになるまでは余程の動機がないと県外にでる選択肢もなかったです。
大分から最後のラッコがいなくなったのは2012年でしたので気づかなかったということは、「ラッコは大抵の水族館にいる」という認識は余程強烈だったんでしょう。

ここも認識を改めた過程が定かではないんですが、2017年から2018年に国内のラッコが少なくなっていることとうみたまごでラッコショーをやっていないことを知りました。関心はそれほど高くなかったのですがやはり観たかったですね。
そしてラッコで賑わっていた頃の雰囲気を知りたくて、国内のラッコの状況をネットニュースやSNSで繋がっているうみたまごの常連さん、1997年から現在までラッコのニュースを追っている方のホームページから調べました。
その結果、インターネット上の九州のラッコについての情報が現在ラッコを飼育しているマリンワールド海の中道以外非常に少ないことが分かったので図書館に足を運んだりして調べることにしました。
各園館の公式サイトに古い記録が残ることが少なく、訪問者のブログでも今ほど細かくラッコの個体情報を共有したりすることもなかったので上記のホームページ「らっこ!らっこ!ラッコ!」は貴重な記録です。

調べていくうちに「これでは当時の雰囲気を知るには足りないな」と思い、全国に範囲を広げて現在に至ります。
ラッコを飼育したそれぞれの園館には導入した頃の事情や、地域性とラッコ自身の個性があり、ブームを知るにはそれらを知る必要があると判断したからです。

ラッコがいた水槽その1
最後のラッコが死亡する直前、ラッコとアゴヒゲアザラシが同居していた時期がありました。

ラッコショー開始

 大分マリーンパレスでラッコショーが始まったのは1990年8月10日。
当時は水族館ブームで新しい水族館が次々とオープンし各地でラッコの導入も進んでいたので、ラッコが珍しい存在ではなくなり客足が伸び悩んでいた時期でした(ラッコの導入は大分マリーンパレスで17館目)。そこでラッコショーが始まった年の2月、専務からの提案でラッコに芸を仕込むことになりました。ラッコ担当の獣類課長(現館長)に任せられました。
大分マリンパレスは創設者からの意向で以前から魚に芸を仕込むことに力を入れていました。

 それから半年後、獣類課長から館長に調教の結果を見て欲しいとの呼び出しがあり「輪くぐり」「タッチボール」「ジョギング」「準備体操」「ラッコさん止まれ」と後に名付けられることになる芸が披露されました※1

タッチボール

 8月10日「いたずらラッコの運動会」と題して初公開。
「サンサン」と「コロコロ」が準備運動として二頭で立ち上がって”万歳”。少し日が経つと「テンテン」も加わりました。「コロコロ」の「タッチボール」、「サンサン」の「輪くぐり」が披露されました。
他に「スライディング」や「競争」の種目もありました。
ラッコはいたずら好きでやんちゃな性格のため、トレーナーの命令を無視することも。
ショータイムは午前11時30分と午後2時の1日2回。
調教開始の2月から毎日餌付けの前に約十分間の訓練を実施。五頭のうち、年齢の高い三頭は警戒心が強く、知らんぷり。比較的物覚えがよいサンサンと、若いコロコロが訓練に従った。※2

 ショーの時、ラッコ達は「サンちゃん」「コロちゃん」「テンちゃん」と親しみを込めて呼ばれていました。月刊ミックスで「魚についてはナンバーをつけて呼んでいたのだが、ラッコはどうしても名前で呼んでしまう。ラッコには明らかに個性があり、実際、私はラッコにとてもしたしみを感じているからである。」と語られています。※3

次の年には有名な「サンサン」の「ダンクシュート」が披露されます。
続きは後編で。

脚注
※1、3・・・月刊ミックス1996年2月号 p168~171
マリーンパレスからの風景 大分生態水族館「マリーンパレス」館長○○○「魚とラッコ」

※2・・・大分合同新聞1990年8月11日19面
日本初だよラッコの”曲芸”迫力不足は愛きょうでマリーンパレス


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