歌詞考察-THE BACK HORN「枝」-

THE BACK HORN「枝」
作詞:松田晋二

桜の枝はわりと低い位置から枝分かれし、周りに何も無い限り横に横にと広がっていくらしい。縦ではなく横に。人生を枝に例えるなら「横に広がっていく」と言う特徴を持つ桜木はあまりにも適任だ。

「人生はきっと桜の枝のように いくつにも別れまた繋がっていく」とあるように実際この曲で歌われている枝も桜のものなのでしょう。作詞者である松田さんにとって、桜が特別な花であることは今までの各所での発言により裏付けされているが、おそらくそこにはこの枝の特徴に然り散りゆく花弁の儚さに然り「人生」を重ねて見ているところがあるように思う。

枝の冒頭の歌詞には「僕たちは弱い 涙を流すから いろんな気持ちが人を殺すから」とある。この「殺す」は実際に命を奪うことだけを言っている訳ではなく日常的に起こる理不尽な出来事の中で涙を流しながら気持ちすら押し殺し日々を超えている大多数の人々を歌っているのだろう。そんなことせずにあるがまま生きられる人間は相当強い。

続く歌詞は「僕たちはいつか離れてしまうけど そんなことだけを嘆いていられない」。
わたし達は生きている中で、もしかしたら数秒おきにも選択を迫られているのかもしれない。もしあそこでああしていれば、別の道を選んでいれば、そんな後悔はいくらでもある。だけど目まぐるしく変化する環境下で逐一そんなことで立ち止まっていられないのも事実。「嘆いていられない」ことを嘆いている一文にも感じられる。

「僕たちは強い 言葉を話すから いろんな気持ちを伝えられるから」。
ここで冒頭の歌詞とは真逆のフレーズが登場した。僕たちは弱いのと同時に強いのだ。もしかしたら気持ちを伝えることであの悲しい別れも回避出来たのかもしれない。そんな可能性も感じられる。このAメロの歌詞、わりと絶望的なことを歌っていた前半に比べ後半の歌詞は希望が見えて来るのが印象的だ。
「僕たちは生きる 涙を拭きながら いろんな気持ちを分かち合いながら」で締めくくられるAメロ。僕たちはいつか離れてしまうかもしれないけれど、気持ちを分かち合うことも出来る。この冒頭の歌詞に共通して感じるのは枝分かれしていくようにみんな離れ離れになってしまうのだから後悔の無いようにこの時を尊く思い大切にするべきだと言うメッセージ。

「太陽が昇り罪と罰を照らす 悲しみを糧に明日を迎えるだろう」。
ここで曲も歌詞も大きく場面展開が起きる。淡々と歌われていたAメロからどんどん激情が溢れていくボーカルと共に歌詞もより強いメッセージになっていく。毎日昇る太陽に罪と罰が照らされるだなんてまるで犯罪者のようだけどわたし達は多かれ少なかれ生きているだけで罪を犯し罰を与えられている。悲しいことが起こらない日も無い。大好きなあのひとからのラインの返信は無いし嫌いな上司は今日もパワハラ三昧、おまけに訳のわからない流行り病は治まらないし実家の犬は死んだ。良いことなんてひとつも無い。そんな風に思う日の方が多いことでしょう。でも生きるってそう言うこと。

「人生はきっと桜の枝のように いくつにも別れまた繋がっていく」

タイトルである「枝」が登場するのはこの一度きり。枝は別れたら別れっぱなしでまた繋がることは無いように思うけど、人生はそうとは言い切れない。生きている限り分かれ道はいくらでもあって選ぶ方向に寄り繋がる可能性もある。もう二度と会えない会うつもりも無いひととも、何処かしらで繋がっているのかもしれない。

そして歌詞は「花が枯れて 潮が満ちて 月が欠けて 又花が咲く 十年経って 百年経って 千年経っても」と続く。
花は枯れても時が経てばまた開く。桜の木は古木になればなるほど根本の大きな幹の部分からも小さな枝や花が生えてくるらしい。人生に重ねるならもしかしたらそれは輪廻のようなものなのかもしれない。時の流れを潮の満ち引きと月の満ち欠けで表現するとはとてもロマンチックで素敵だ。

曲がクライマックスに入る終盤には「繰り返してゆく中で何が生まれるのだろう 過ぎてゆく時の中で何を残せるのだろう」と長い年月と輪廻をちらつかせた後で今を生きている僕たちの自問自答が始まる。人生は決して短くはない。だけどこんな途方も無い問題の答えが見つけられるほど長くもない。
「あなたと過ごした日々も 繋いだ手の温もりも ここに居ることさえも ここに居たことさえも 忘れてゆくのに 全てを忘れてしまうのに」と一見最後までやるせないエンディングを迎えているようだけど、ひょっとしたらあの自問自答の答えは「あなたと過ごした日々」で「繋いだ温もり」で「ここに居ること」で「ここに居たこと」なのかもしれない。
どれだけ言葉で伝えたところで、結局は大事だった筈の思い出もあのひとのこともこの悲しみも時が経てば全て忘れて消えて無くなってしまうのも事実だろう。例え忘れないとしても答えが正しかったかどうか、それが分かる時は人生の最期だ。

「僕たちは笑う 生きてる悲しみを 拭い去るように祝福するように」

冒頭と同じメロディでこう締め括られる枝。命が続くうちは悲しみはつきまとうもの。だから笑う。だけど笑う。輪廻を肯定するような歌詞ではあるものの、来世の自分はきっと忘れてしまうだろうから今ここにいられることを、あなたと生きていられることを大事に思いたい。「祝福するように」とは「生きてる悲しみ」と表現しながら同時に「命がある喜び」を歌いたかったからではないだろうか。そんな気がしてならない。

「今」を何よりも大切にする松田さんの美学が詰まった秀逸な歌詞である。

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