松田晋二ご生誕44周年によせて

始めは一目惚れだった。こんな風に書くととても俗っぽくて軽薄に聞こえてしまうかもしれないけれど、今思い返してもあの時の胸の高鳴りはそう表現する他ない。初めて至近距離でそのひとの存在に触れたあの日からわたしの中で絶対的に揺るがない価値観と指標が生まれてしまった。

もう14年前にもなる。当時結成10周年を迎えたTHE BACK HORN。そのタイミングで発売したベストアルバムのインストアイベントで、わたしは初めてメンバーと対峙した。それまではステージの上、雑誌の紙面、あるいはテレビの中でしか見る機会が無かった4人。最上級に憧れ、そして怖れていたひと達とテーブルひとつ分の距離感で対面した時のあの緊張感と来たら!!わたしは気を抜くと零れそうになる涙を堪えるのに必死でろくに言葉も発せなかったと思う。ただ覚えているのがその時初めて近くで見た松田さんが、本当に本当にかっこよくて一瞬で虜になってしまったと言うこと。それまでは恥ずかしながら山田さんの顔ファンでした。まだバックホーン自体にもハマりたてで彼らの魅力を充分に理解出来ていなかったとはいえ本当に浅はかで申し訳ない。あの頃の松田さんは(と言うかバックホーンは)まだまだバチバチに尖っていてファンに対しての信頼みたいな物が希薄で疑われていたようにすら思う。実際その頃の写真を見るとどれもこれも目が死んでいる(そんな目も好きです)それが年を追うごとに色々な経験を重ね、いつしかその瞳に光が宿るようになって来たのは割と近年の話。

わたしの勝手な憶測と妄想でしかないけれど20周年ツアーの最中、指の怪我によりライブを飛ばしてしまったあの時から目に見えて変化があったような気がしてならない。今思い返してみてもわたしが松田さんのファンになって悲しい想いをしたことなんてあの日只一度だけ。自分が傷付くよりもずっとずっと辛くて涙が出た。人一倍責任感の強いあのひとがどんな想いでいるのか考えただけで死にたくなった。わたしはその時、どれだけ松田さんの存在や奏でる音に生かされて来たのかようやく実感したのだった。
きっとそれは松田さんも同じなのだと思う。復帰後のライブはドラムを叩ける喜びで満ち溢れていた。「失いかけて初めて気づく幸せ」なんて、使い古された陳腐な表現だけど正にその通りで松田さんのそんな純粋で人間らしいところにわたしはますます惹かれた。果てなき冒険者の「受け入れた弱さと共に目指すから」のフレーズは何となくこのことがあって書けた物なんじゃないかなと思っている。
そしてこの一件からわたしは松田さんのドラムを聴ける幸せを噛みしめるようにバックホーンの楽曲をもっともっと深く聴きたくなった。そんな想いでドラムを始めたのもその頃のこと。少しでも松田さんのやってることを理解したい一心で下手くそながらバックホーンの曲を夢中でコピーしてると、このドラムのすごさを改めて感じる。松田さんのドラムはそのリズム感そのものが独特で、まるで歌をなぞっているように聞こえるのだ。歌詞にしかりドラムにしかり、その曲が言いたいことを的確にこちらに伝えてくれている。松田さんのドラムの好きなところはたくさんあるけれど真っ先に言いたいのはそう言うところ。一音一音の音の質感も堪らなく好き。きっと本当にひとつひとつこだわっていらっしゃるのが伝わってくる音作りで、キレの良いシンバルの音はいつもわたしの背筋をピッと伸ばしてくれる。前を向かせてくれる。暗闇から引き上げてくれる。ドラムと言う楽器は1番そのひとの感情や人柄が出ると聞いたことがあるけれど、松田さんのドラムを聴いていると本当にその通りだなと思う。わたしの人生において、1番影響を与えているのは間違いなく松田さんです。

中学かそこいらの頃、「強くて優しい大人になりたい」と思っていた。それは今も変わらない。漠然と描いていた理想の大人の姿はまさしく松田晋二そのひとで、きっとこれからもわたしは死ぬまで彼を最上級に敬愛し崇拝して生きていくのでしょう。いつだったか松田さんがライブで言ってくれた「みなさんは宝です」と言う言葉。そんなこと親にも言われたことないのに、松田さんに言われるとほんの少しだけこんなしょうもない生命も愛おしく感じるから不思議だ。あなたに出会えた人生はもしかしたら本当に宝物なのかもしれません。どれだけ口にしても足りないけれど、生まれてきてくれてありがとうございます。44歳のお誕生日本当におめでとうございます。これからもどうか松田さんがこころ穏やかに、末永く健やかに暮らせていけますように。いつまでもどうかお元気で。

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