見出し画像

母は強し

 私の家は母子家庭で、母と祖父母、そして自分の4人暮らしだった。
 だった……というのは、今の私は一人暮らしをしているし、祖父母は私が社会人になったあと他界しているためで、今は母と、母が「祖母のボケ防止のために」といきなり飼い始めた犬の一匹が実家で暮らしている。


 子供の頃は、他人に家族構成を訊かれたら「お父さんはいない」と答えて、相手が大人だとそのたびに「あ、ごめんなさい」と言われたものだけれど、当時はまだ片親の家がどんなふうに見えているのかなんてわからないから「なんで? 何も悪いことされてないのに。ねえ」なんて更に追い打ちをかけていたことを思い出す。いま自分が言われたらちょっと困るもんな……と思いつつも、物心つく前に父がいなくなった私にとっては、母親だけの家庭が普通だと思っていたし、同じ質問をしたときに片親だと言われて「ごめんなさい」なんて謝ることはないのだろうけど。


 高校生くらいになって、ふと興味本位で「そういえば、なんで離婚したの」と、母に尋ねてみた。
「ギャンブルばっかりして、仕事をまともにしなかったから」という答えが返ってきて、そんなこと本当にあるのか……と思っていると「相手が留守の間に、じいちゃんばあちゃんとおじさん(母の兄)が家財道具を全部運び出して、判を押した離婚届だけ置いて出てきたのさー」という、さらに強烈なトマホークが飛んできた。
 そうして私は、生まれてから一年未満で苗字が変わったのだそうだ。確かに、後に必要に駆られて役所で取り寄せた戸籍謄本を眺めてみると、そこには知らない苗字の男性の名前があった。いま街で出会ってもきっと気づかない、顔も知らない父の名前だ。

 母は「あんたがあの人に似なくてよかった」と笑っていた。しばらく経って、また自分の部屋に引っ込んでいく。一人になって、ふーん……なんて思いながらも、ほんの少しだけ、胸の中に吹き込む冷たい風を感じていた。
 私は基本的に親に反抗したりもしてこなかったし、家でも学校でも良い子で通っていたのだけど、実は一度だけ、母に泣かれたことがある。小学4年生の頃、居間に置いてあった500円玉の貯金箱から金を盗っていたのがバレた時だ。その全てをそれが原因だと断じるつもりこそないが、私はさっきの母の言葉を聞いたとき、心底恐ろしくなったものだ。
 やっぱり血には抗えないってことなのだろうか、と。


 その後、私はズルけることこそあれど特に悪いこともせず、大学生となり、卒業後は社会人として過ごし、今も自分の心臓に無限の労働を強いている。
 一度だけ、結婚歴もある。ただ、その相手と子供を作る(この言い方は本当は好きじゃない。プラモデルじゃあるまいし)という発想にはどうしても至らなかった。理由はいろいろとある。たとえ自分が少しくらいしんどくても、子供に不自由をさせるようなことはしたくない。でも、今のままではそうなる未来しか目に浮かばない。そう思っていたし、相手にもそう伝えてきた。相手は子供が欲しかったみたいだけど、その理由は「同級生の○○にも子供ができたから」なんていう理由が九割九分を占めていたのも、気が進まなかった理由のひとつだ。おまえのステータスを飾るために命を扱おうとするんじゃない、という気持ちにしかならなかったのだ。

 結局、紆余曲折を経て今は自分ひとりの戸籍になったので、あの時に言い負かされないでよかったのかもなあ……と思う。
 もしも子供がいて、今と同じように独りぼっちになっても、私はあの時の母のように「この子は自分一人で育てよう」という覚悟はできそうもなかったから。


 母は強し、かあ。
 これから先、自分からも母に何かできることはないものかな。


 久々に母から届いたメールの「Famiポートでしか払えないんだけどファミマが近くにないから、代わりにチケットの払い込みしてきてくんない?」という文面を眺めながら、しみじみと思った。
(※地元と最寄りのファミリーマートまでは250kmくらいある)

お読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、創作活動やnoteでの活動のために使わせていただきます。ちょっと残ったらコンビニでうまい棒とかココアシガレットとか買っちゃうかもしれないですけど……へへ………