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求められたなら一時壊

はじめに

 モノコン2022に4本予選通過して1本も受からなかった私・西野夏葉。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる……なんて偉い人だか誰だかが言っていたらしいが、4本も通しておいて結局1本も受賞できなかった奴にそんな言葉を聞かされても、悪い冗談にしか思えない。
「でもお前予選は通ったんだろ」って、そうだよ。それで満足できるほど生半可な気持ちであのサイトへ戻ったわけじゃなかったからこそ、今だって悔しいんだもの。一瞬だけでもいい夢みられただけラッキーじゃんっていう意見ももっともだけど、だったらすごく楽しくて気持ちいい夢をみてたのに朝目覚めたときみんなどう思ってんのさ、とも思う。

 どれだけ情けなくてダメダメな奴でも、窮地に追い込まれたときにリボルバーに込められた最後の一発が見事悪役の眉間にHITするようにできているのは、フィクションの世界だけだ。
 でも、私だってその世界でいつも嘘ばかり書いているのに、自分をうまく騙すことができる嘘だけは、いつまで経っても思いつくことができなかった。

 筆は絶対折らないと決めたとはいえ、いよいよ本格的に辛い。そう思ったのは事実。
 それでもこの西野、悔しい気持ちは未だ捨てきれずとも、今更向こう傷ひとつ如きでギャーギャー泣き喚くほど子供ではない。「世間はお前らのお母さんではない」って台詞を映画で観たぞ。泣いて他人の心を震わせられるのはアイドルや美しい女だけであり、私では無理だ。
 だからって「ちいかわ気取ってんじゃねえ」と罵声を浴びせられながらスゴスゴと逃げ帰るのは性に合わない。いっそのこと線路に降りて、全員ここで死ぬんだよ、って喚きながら山手線を止めるくらいの……ってもうやめようそろそろシャレにならないから。

 そう思ったので、Twitter上で「次はなに書けばいいかな」とアンケートを取ってみた。有効投票数16票。ありがとうございます。

 そんなわけで、たまには小説じゃなくてエッセイ書くことにしました。
 何卒何卒 です

 別にとうとうと耳触りのいい話を書きたいわけではなく、単純に「エッセイ」の次に得票数が多かったのが「愛」だったからってだけ。というか小説やシチュボ台本の得票数が少なすぎて、この方がモノコン落ちたよりよっぽど悔しかったけどね

 とりあえず風呂から上がって着替えながら、愛ってなんでしょうね、と自分の胸に問いかける。たるんだ脂肪の塊にたちまち鳥肌が立った。きもちわるかった。


自分が「書いている」愛

 いろいろ考えてはみたのだけれど、率直に言ってしまえば、いつも「そんなん知ったことか」と思いながら小説を書いている。
 愛でも恋でもどちらでも、もし本当に私がその良さや意義を理解しているのなら部屋にこもって小説など書いていられない。分かってたら自分だけで味わってるよ。この世界は悲しいことに、誰でも等しく愛されるようにできていないのも、この歳になればよく分かっている。

 むしろ、愛がなんなのか未だによく分からないからこそ書いている気がする。
 だから答え合わせをしたくて書いている。
 一口含んだだけで永久歯が全部抜けそうな甘いカップルの話を書きたいと奮起することもあるし、何度何回裏切られても、それでも他の誰かから「愛してる」と言われたら素直に呑み込めてしまう人を書くこともある。おかげさまでどのジャンルよりも「恋愛」に設定して投稿ボタンを押す回数が一番多い。書くのもなんとなく得意になってきた。
 ただし、その結果としては、未だによく分かっていない。どれだけほじくり返そうと思っても、どこかで(この書き方じゃウケない)と思ってしまうからかもしれない。どっちにしたってウケねえよ……と開き直れるほど、まだ強心臓ではないのだった。

 しかしながら小説に限って言えば、どちらかあるいは両方、はたまた他のかたち、どれが正しいのかなんて書き手が決めるものではないと思うのだ。読み手にはそれぞれの愛のかたちがあるし「ふざけんな」と思う人もいれば「よく分かってんな」と思う人もいるだろう。
 むしろ、残念でしたー今回はこういうことだったんでーす、といちいち説明しなきゃ伝わらないなら小説なんか書かなくていい。エディタの空白埋めてる暇があるなら好きな相手のスケジュール埋めてこい、という話である。


自分が「思う」愛

 大事だなあ、好きだなあ、と思うこと。
 大嫌いだけど大好き、みたいな売れないシンガーソングライターの書く歌詞みたいな感情。
 いつも元気をくれる推しの存在。
 その存在のためなら、自分にとって大切なものを捨てることができる意志。

 愛のかたちってそんな感じで、ひとつのみに限定されないんじゃないかな。大切に想うこと以外にも、ムカつくけど突き放せないとか、存在それ自体がやさしさに満ちてると感じることとか、自己犠牲を厭わず絶対護りたい存在とか。
 一度契りを交わしながらも今は独り身で生きている私としては、愛なんか嘘だとまでは言わないが、世間で語られているより格段に脆いものだって認識もあるんだけど。
 それでも他人に迷惑をかけたり、傷つけたりすることがないのなら、他の誰かや何かを愛することっていう行為自体は美しいものだと思う。 

 ただ、他人からの愛を受け止められるほど、私は強くない。
 且つ、いらねえよと即座に投げ返せるほど、無責任にもなれない。

 先のことはわからないけど、少なくとも今は一人でいいかなあ。

 などと先日の永遠深夜隊全国行脚に参加したときに思ったわけです。
 恋人なんかいたら2days参加すんのなんか絶対無理だった。グッズ爆買いしちゃったし、こんなことしたらぶっとばされるわ絶対

 これもまた、愛。
 きもちいな


おわりに

 よく「愛されないことを嘆いているやつは愛されようと努力してないから」みたいなことを聞いたりするんだけど、そういう人はたいてい黙っていても人が寄ってくるから、あんま気にしなくていいと思うよ。だいたいの場合、そういう人はきっと無意識に、あるいは意識的に他人から愛されるようなことができちゃう人だから。

 一人ひとり、愛したり愛されることに費やせるキャパシティが違うんだし、みんなもっと無理のない範囲で生きればいいんじゃないかと思う。
 独りでは生きていけないということには同意するけど、必ずしもそこに愛って必要なのかとはいつも疑問に思いながら生きている。少なくとも交際とか婚姻とか、そういう傍目から見たかたちなんて、当人たちが納得してないなら、単に他人を満足させるだけになっちゃうし。それでいいのかって話。
 どっちにしたって、自分以外の存在をちゃんと思いやれなきゃ、うまく行きっこないのは間違いないけどね。

 ですがそれはそれとしてチケットぴあさん、1月の代々木は良席を何卒何卒。
 こればっかりは祈ることしかできないんで……へへ…………

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