人の行動と振る舞いはどこから来るのか

カフカに「掟の門」又は「道理の前で」と言われる作品がある。
ある男が遠くから噂を聞きつけ門までやってきた。詳細は忘れてネットを見たら門は誰にでも開かれているというのが常識らしい。門番がいたのが想定外で今はダメと言われたのも予想外だったみたい。

ダメと言われれば待つのが道理で、男はずっと待ち続ける。普通ならずっと断られたら諦めて帰るか、強行突破するかの二択だと思うがこの男は第三の方法、即ちずっと待ち続ける方法を選んだ。それも最初に断られた時すぐに決めたことを自分自身に言い聞かせている。

それがこの男の悲劇なのか運命なのか分からないけど、この男は暇なのか、よっぽどこの門に入りたいのか分からないけど、ずっと門の前で待ち続け年老いて遂には絶命してしまう。その絶命の際に意地の悪い門番は、わざわざこの男に白状するのだ。ずっと門は開かれていたと。俺はダメとは言ったが実力行使はしなかっただろうと。

そんな仕掛けとは露知らず、この門番は何の為にいたのか。単なる観察役ならダメなどと言わずWelcomeと言って通してあげれば良いのに。

この作品を発展させたのがカフカの代表作「城」になったとも言われている。城ではさらに発展させてダメとも言われない。むしろ仕事を依頼されていて相手から来て欲しい筈なのに事務的手続きに阻まれて城に入れない状況に陥っている。

掟の門では門に入れば、何か良い事があるのではという期待があるから入りたいという欲望があるのだろう。だからずっと待つという決断がなされた。しかし余りにも待たされたら人は作戦を考えるのではないか。門番に賄賂を贈ったり、だまし討ちを仕掛けて強行突破するなり。しかしこの門番は予め布石を打つことも行っている。

今読み直してみたら賄賂も贈ってちゃっかり貰っていたがダメと言われ続けていたのだった。

オチは今まで誰もやって来ないで俺しか待っていないのは何故かと聞いたのだが、この門はお前専用の門だから誰も来なかったのだと今際の際に態々教えるのである。

一体これはなぜ書かれたのか。みんな自己規制しいていて一歩踏み出せない人の為に書いたのか?あのカフカがそんな青春の1ページのような教訓を書いたのか、不条理の代表がそんな恥ずかしい事する訳ないだろう。

まぁ今でこそ不条理の代表作家とか言われていますが、カフカは作家になりたかった人で普通の公務員だった訳だからただの偏見だけど。

という訳でこの本が気になってこんな事を書いてみました。
苦しくて辛いとき寄り添ってくれる一冊『絶望名言』

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