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私の"ライフミュージック"。(電気グルーヴの「カメライフ」発売から30年を記念して)

「HSP」兼「内向型人間」のオタクがお送りする「オタ語り」。

普段あまり音楽を聴かないという方でも、「自分の人生を変えた一曲」のようなお気に入りがあると思います。

今回は私自身の「ライフソング」とでもいうべき楽曲、《電気グルーヴ》の『カメライフ』という作品について語らせていただきたく。

この『カメライフ』こそが、今の自分の方向性を決定づけた楽曲ともいえる存在ゆえ、どうぞゆるりとお付き合いください。

※この記事も8,000文字越えの分量になっておりますので、サクッと読みたい方はご注意ください。


"自己啓発"が苦手なワタシ-非アクティブ勢のオタク

さて、noteのサービスを使い始めてから半年近く経過し、少しずつサービスの内容が把握できてきた私ですが。

予想してはいたものの、note内では「日々成長」とか、「フォロワー数を増やすには」とか、「noteで稼ぐためにどうすべきか」とか。
そういったビジネス的な"上昇志向"を喚起する文言が躍る記事が「いいね」されやすい傾向があると感じております。

しかし、HSP勢で内向型人間の私は、そういう「進歩主義」的な考え方というのがどうも苦手な性分でして。

現在は「個人事業主」として生計を立てている私ですが、やはり「会社組織」というものが「常に利益を追求する」という姿勢が強く、そうしたコミュニティの中で自分を擦り合わせることにひどく消耗してしまったわけです。

世の中では「自分を高めるためにスキルを磨く」という自己啓発的なツールや本が溢れていますが、そうした一方で、「他者に対する共感力」が失われていっているようにも感じます。

難民や生活に困窮している人たちは世の中から疎んじられ、排除される傾向が強まっています。
また「自分さえ良ければいい」という、「自国第一主義」のような価値観が世界に広がり、何か釈然としない思いを抱いている私のような方もいらっしゃると思います。

自分の考えていることや、感じたことを、等身大のありのままで伝えていきたいと思っている私なので、これからもマイペースを貫き、他者からの評価を気にせずゆるりと投稿していきたい所存であります。

「電気」との出会い

オタク界隈においては、アニメ『エウレカセブン』の楽曲に使われたことで、知名度を増していた感のある音楽ユニット《電気グルーヴ》(以下、《電気》)ですが、私はそれ以前から存じておりまして。

それこそ今から30年前に『ポンキッキーズ』というキッズのための番組があり、そこに出演していたのが《電気》のメンバーである《ピエール瀧》氏でした。

ポンキッキーズ』という番組の特徴として、俳優のみならず、ミュージシャンや文化人など、様々なジャンルから出演者が選ばれており、ヒップホップグループの《スチャダラパー》の《BOSE》氏など、多様な人材がひしめく、キッズ向けとは言いつつ大人でも楽しめる情報番組といった印象です。

その『ポンキッキーズ』の番組内にて、「ポポ」という《電気グルーヴ》の楽曲が採用されており、まだ学生だった私はその「テクノサウンド」を聞いて、まさに身体の中に電流が流れるような衝撃を受けたことを今でも覚えています。

それ以降、私は「クラブミュージック」というものに傾倒して行くことになるのですが、それはまた別の機会にお話しするとします。

「DRAGON」

さて、なにかと「自分のペース」で生きにくい現代社会ですが。

巷に溢れる音楽というのも、どうも「人の背中を無理やり押してポジティブにしてあげる」的な"押しつけがましい"感じの作品が多く、私にとってはどうにも共感しづらかったわけです。

かといって、シニカルに"世間に対して中指を突き付けるような"過激な歌詞の音楽が近年では動画サイトなどで人気を集めていたりしますが。

刺激に対して敏感な性質を持つ「HSP」で平和主義の私にとっては、そういう攻撃的なメッセージの楽曲が増えている風潮というのも、ひどく憂いを感じるのでありまして。

そんな私が愛聴しているCD(もはや今はサブスクで音楽を聴く時代なのかもしれませんが)こそが、今回のタイトルで取り上げた『カメライフ』という楽曲が収録されたアルバム「DRAGON」。

ちょうど今から30年前に発売された、《電気》による、90年代とは思えない上質なダンスミュージックを奏でる、ジャンル的には「テクノ」とされる楽曲群を収めた作品。

ちなみに私が人生で初めて"自分のお小遣いで購入したCD"であり、今では自分の中のマイルストーン的な逸品。

その「DRAGON」の4曲目に収録された『カメライフ』の歌詞をちょっと一部引用させていただきたく。

カンでも運でもナンでもつかめ
ナンでもカンでもしたれ
がんばるがんばるなんて
やめちゃえ
サンダルはいちゃダメダメ

『電気グルーヴ』 - 「カメライフ」歌詞より引用

はっきり言って、「イミワカンナイ!」という方もいらっしゃることでしょう。

けれど、私に言わせれば、現代は何かと「意味」を求めすぎのような気がします

本作は自身が制作したかった曲ではなく、グループのパブリック・イメージに合ったものとして制作された曲であると石野卓球は述べている。歌詞に関しては全く深い意味はなく、ポジティブなものではないとも述べている

Wikipedia -『カメライフ』記事より引用

実は今作は、作曲した《石野卓球》氏も触れているように、自身が制作したかったわけではなく、ある意味では"仕方なく"作ったとも解釈できるニュアンスです。

元々《電気》の作風というのは、世間をおちょくったような、世の中の権威を笑い飛ばす、コミックソング的な要素が多分に含まれている傾向があるわけですが。

そんなこの楽曲にも、実はアイロニーが含まれておりまして。

がんばるがんばるなんて やめちゃえ」という歌詞は、当時J-POPで盛んにもてはやされていた「応援歌」に対する皮肉が込められている、という解釈が(一部の人たちの間で)なされております。

バブル期の栄養ドリンクのCMなどで「24時間戦えますか」という、およそ現代のコンプライアンスからすると人権無視のような文言が躍ったあの頃から、日本社会はとにかく「人に無理を強いる」傾向が強まっていったように感じます。

他者をなんとかして「頑張らせようとする社会」という風潮に対するアンサーソングとして、『カメライフ』の脱力的なリリックというのが、私の中ですごく、"しっくり来た"ことを覚えています。

今でもこの曲を聞くたびに、「頑張らなくていい」という自然体の生き方
を実践できているのは、『カメライフ』のおかげでもあり。
歌詞の「ゆるさ」とは裏腹のTB-303のエッジが聞いたダンサブルなサウンドとのギャップもまた、このトラックの魅力でもあります。

※ちなみに、私が30年前に《電気》と出会うきっかけとなった『ポンキッキーズ』で出会った楽曲「ポポ」も、こちらのアルバム『DRAGON』に収録されています。

シングルver.のアレンジに込められたサブリミナル的「がんばれ」。

アルバム「DRAGON」に収録されたバージョンとは異なり、シングルカットされて12月に発売されたエディットでは、《ピエール瀧》氏による「がんばれがんばれ…」というサブリミナルボーカルが挿入されています。

当然、「応援歌」を皮肉ったはずのこの『カメライフ』が、どうして「がんばれ」というフレーズを挿入するに至ったかという件ですが。

また本作リリース時、とあるCDショップの新譜情報の解説において、「瀧さんの“がんばれ! がんばれ!”で、みんなも頑張っちゃおう!」と書かれたことがあると石野は述べたが、本作における「がんばれ」という言葉は語感だけで使用したものであり、励ましの意味は全くなかったが応援ソングになってしまったとも述べている。

Wikipedia -『カメライフ』記事より引用

皮肉にも、製作者の意図とは逆に「応援ソング」として捉えられてしまったというオチがついています。

こうした経緯もあって、個人的には、当初の「がんばれ」ボイスがない、『DRAGON』に収録されたアルバムver.の「カメライフ」が私はお気に入りだったりします。

カメの暮らしをしてみた~い。

翻って、「カメライフ」発売から30年経った現代日本社会ですが。

「失われた30年」と形容されることが多い経済状況のみならず、なかなか将来の希望を見出しにくい社会情勢という印象です。

残念ながら、人々の生活や暮らしぶりは発売当時に比べるとむしろ輪をかけて、疲弊していっている気がするのです。

再び歌詞の一部を引用させていただきます。

なぜだか いつも休みたーい
ムリがたたるとなるみたーい
亀のくらしをしてみたーい
サボリのツボがあるみたいだね
せちがらいね コレしかたないね
タチ悪いね コレしかたないね

『電気グルーヴ』 - 「カメライフ」歌詞より引用

人々が「無理をして」長時間労働に明け暮れ、「何かに追い立てられるように生き」そして、みんな「周りを見る余裕がない」。

当時に比べ格差は広がり、インターネット上に広がる不満や怨嗟は、日々増大しています。

にもかかわらず、「世知辛い」「質が悪い」社会に対して、人々は「コレ仕方ないね」と受け入れてしまっている現状。

まさに、「カメライフ」が指し示す歌詞の通りではないかと思うのです。

「亀」とは、古来長寿で長生きの象徴でしたが、効率や生産性が重んじられる現代では「亀」は、愚鈍で「のろま」と嘲笑される存在に成り下がってしまっています。

歌詞に歌われている「亀の暮らし」というワードから、現代人は「怠惰」という捉え方をするのかもしれませんが、私はむしろ「スローライフ」に象徴されるように、「生活のペースを落として、本当に大事なことについて考え直す機会」という、ポジティブな意味に捉えています。

「サボリのツボ」というのは、日本人の働き方に対する皮肉にも思います。
未だに「質より量」の考え方から抜け出せず、「たくさん働いている人が偉い」という価値観の会社組織と労働者。

日本の労働生産性は世界から見ても極めて低く、「一定時間内に仕事を終わらせることで評価される」海外から見ると、労働者の生活の質が著しく損なわれている、と思われても仕方ありません。

「メッセージソング」が溢れる現代で。

先ほどの歌詞の解釈は、もちろん私の個人的なもので、「語感」を大事にする《電気》にしてみれば、本当に適当に作ってあてはめただけかもしれません。

けれども、今の生産性が重んじられる社会において、世の中に放たれる楽曲というのは、あまりにも「遊び心」が少ない、と私は感じます。

アルバムの「DRAGON」に収録された楽曲のうち、歌詞が無い「インストゥルメンタル」や、特に意味のない同じフレーズの繰り返しの楽曲が半分近くを占める今作は、当時としてはかなりチャレンジングで異色の作風でした。

同調圧力が強い日本社会の中で「こうしなさい」「これをすべき」みたいな道徳的メッセージが強まったコロナ禍。
息苦しさや生きづらさを覚えた人はきっと私だけではないと思います。

「DRAGON」に先駆けて発表された1993年のアルバム「VITAMIN」においても、《電気》はレコード会社からのクレームにめげず、自分たちのポリシーを貫きます。

アルバムのほぼ半分がインストゥルメンタルという点で、ポップス性に欠けセールス的に難があるのではないかとレコード会社からクレームがつき、メンバーはこれに強固に抵抗したが、最終的にインディーズ時代からライヴなどで人気のあったヴォーカル曲『N.O.』をボーナス・トラック的に収録するという条件でリリースにこぎ着いた。

Wikipedia -『VITAMIN』記事より引用

「音楽」には「歌詞」があるべき、という世の中の風潮に抗うように、《電気》のスタンスは一貫して「自分たちのやりたいもの」を追求していく姿勢に繋がります。

日本社会では「自分たちがやりたいこと」をやろうとする人に対する、ある種の蔑視のようなものがあります。
私は会社員ではなく、「個人事業主」として生計を立てていますが、そうした立場の人たちや「フリーランス」という立場の人間に対して、「気楽な人たち」という勝手なイメージを持つ人が多いような気がします。

米国では、労働力人口の4割がフリーランスであり、世界では個人で働くことはもはやスタンダードです。

国家や組織のために個人を犠牲にするのが当たり前、という日本社会の考え方では、この先もきっと閉塞感は打開されないと私は思います。

サブスクでは味わえないCDの魅力

1曲ごとに音楽を購入するデジタルミュージック時代。
「おすすめ」と称して勝手に人の嗜好を決定づけるAI。
大量の見知らぬアーティストの楽曲を垂れ流すサブスク。

「タイパ」なるものがもてはやされ、動画を倍速で視聴し、イントロがどんどん短くなる世の中。

でも、私は未だに「CD」で音楽を聴いています。
それは、アルバム「DRAGON」のように、曲間が繋がっている作品に魅力を感じるからでもあります。
(だから、もちろんシャッフル再生もしません)

初っ端の「ムジナ」から2トラック目の「ポポ」→「バロン・ダンス」→「カメライフ」そして「ザ・マーブルメン」へと繋がっていく一連の音楽はMIX CDのように淀みなく、途切れることなく流れていきます。

この川のようなこのCDを、もし一曲単位で購入していたら、その川をダムでせき止めてしまっているようなものです。

インストゥルメンタルが多い90年代の《電気》の作品の魅力として、個別の楽曲自体の魅力だけでなく、"アルバム全体の流れ"を大事にしているという特徴があります。

なので、今回の記事では私のライフソングとして『カメライフ』というトラックを取り上げましたが、もしこの楽曲について興味がある方はぜひ「DRAGON」というアルバム単位で聞いていただきたいと強く思っております。

DRAGON」のラストに登場する10分強にも及ぶ名曲「」の存在が生きるのも、このアルバム全体の流れを通して聴いているのといないのとでは、きっと迫ってくるものが違う、と感じるはずです。

"音楽"の原点

そもそも論として、「音楽」って何のためにあるんだろう?
と思う方もいらっしゃるでしょう。

現代は、たくさんの音楽が日々生産され、消費され、人々に提供されていますが、一方で、どこか無機質で、商業的で、「メッセージ性」ばかりが優先されている、そんな気もします。

エンターテインメントとして音楽が提供される現在では、セールスを重視する傾向なのか、「受け取り手」のことばかりが考えられているように思います。

けれども、《電気》の音楽は、メンバーがレコード会社の意向に反発したというエピソードにもあるように、「自分たちが楽しむ」ということを軸として音楽活動をしていることが特徴でもあります。

例えばアフリカの人たちの「音楽」は、「誰かに聞かせること」よりも、「自分たちが楽しむ」という原点があり、そこから仲間内のコミュニケーションに昇華していったり、狩りで獲物がたくさん獲れるようにという願いの歌に発展していったという研究結果があります。

「本来の音楽」というものを定義するつもりはありませんが、《電気》のスタイルというのは、やはり人類の原初の音楽を想起させるような、様々な実験的要素をふんだんに取り入れています。

アルバム「DRAGON」に収録された『バロン ダンス』は、《石野卓球》氏がバリ島を訪れた際に録音したものをサンプリングして楽曲に取り入れています。
伝統的なガムラン音楽のエッセンスが取り込まれたキャッチーなインストナンバーのこのトラックは、古来より儀礼の際に用いられていた多彩な音階が特徴で、「テクノ」と「伝統音楽」の掛け合いのような作風が楽しく、まさに「音を楽しむ」と形容するのがぴったりだと思います。

同じく「DRAGON」収録の『ノイ ノイ ノイ』(ゴワザーム地方民謡)は、実は存在しない架空の言語を用いて作られた楽曲。
(ちゃんと訳詞までついているのが《電気》らしいこだわり)
キルギスとかカザフスタンあたりの中央アジア風な響きを想起させる語感と相まって、独特の民族音楽的旋律とパーカッションが女性ボーカルとクロスオーバーするトランステクノは、まさにどこかの異国の地にトリップしたような感覚に誘われます。

「音」ってこんなに楽しいんだよ!

《電気》のグルーヴはまさに、そんな決意表明に満ちていて、それを受け手が自由に聞くことができる気がするのです。

「歌詞」が無かったり、「意味」を削がれている分、聞く側が想像力を発揮することができるし、重層的にいくつも重ねられた「音」の多様さに圧倒されつつも、段々とその「音」を聞き取れるようになってくると、本当に「音楽」というものの魅力に気づくことができる。

「正解」を求めがちな現代において、《電気》のメッセージというのはまさに、「自由に楽しんだもの勝ち!」という潔さが身に染みてくるわけです。

何かにつけて「論破」することに意義を見出したり、弱い立場の人たちに対して「吊るし上げ」のように糾弾したり、今の社会はますます、「正しさ」を振りかざす人が増えています。
「音楽もこう聴くべきだ」のような「解釈」がSNSなどで幅を利かせてはいますが、元々、音楽が生まれた経緯というのは、エンタメや娯楽のような「誰かに聞かせるため」ではなかったはずです。

アフリカの原住民の方々が太鼓をたたきながら歌うのは、「楽しい」とか「嬉しい」という「感情の発露」が原点になっていますし、バリ島のガムランのような伝統音楽は、祭礼や儀式に用いられてきました。

クラシックの元になった西洋の宗教音楽もしかり、プリミティブな音楽というものは、実は「観客」がいないところからスタートしています。
にもかかわらず、過去の音楽も我々の心を打つことに変わりはありません。

自分たちの必要を満たす」ために、もともと音楽は作られて、発展してきたことを考えると、《電気》の音楽の原点もきっと、古代のように「ただ楽しむ」ということに全力なんだろうな…と思った日のこと。

さいごに:失敗しない人などいない。

私が初めて《電気》と出会った番組『ポンキッキーズ』に出演されていた《ピエール瀧》氏は、俳優としても数々の受賞歴もあり、多岐にわたる才能を発揮されております。

しかし、ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、"不祥事"のために活動を一時休止することとなりました。

事件の影響で電気グルーヴの作品が回収となったことに対し、それに対しての反対署名6万4000人分の署名がソニー・ミュージックレーベルズに対して提出された。その後、2020年の6月に電気グルーヴの楽曲配信が再開された。

Wikipedia -『ピエール瀧』記事より引用

「不祥事」という「表面的な事実」のみで、過去の作品をすべて回収するという日本社会の「事なかれ主義」を残念に思いつつも、それに対して反対の署名が6万人以上も寄せられたことに、私は少し嬉しくなったことを覚えています。(もちろん、私もそのうちの1人として署名に参加しました)

今の日本社会は、一度レールを外れると、なかなか再起が難しいといわれています。
失敗を恐れ、委縮し、人の顔色ばかりを窺う世の中において、チャレンジングなコンテンツが果たしてクリエイトできるでしょうか?

《電気》の作品は、MVやCDジャケットを見てもわかりますが、実に独創的で、遊び心が満載です。
「自分たちが全力で楽しむ」、ということを一貫して実践し、また海外イベントに積極的に参加し、世界中のエッセンスを自身の作品に取り込むなど、「音楽」というものの本質を突いているように感じるのです。

「内向き」傾向がこのところ強まり、保守的な考え方が根強く残る日本においても、積極的に「はみ出していく」《電気》のスタイルは、海外では高く評価されています。
(引用したinstagramはドイツ大使館の統一記念日記念レセプションに招待された《石野卓球》氏の投稿)

少なくとも私は、《電気》の音楽によってインスピレーションを得たり、また自分の人生における重要な決断の一助になってきた部分が大いにあるわけでして。

コロナ禍で「不要不急」といわれた音楽や映像作品、あるいは舞台といったエンターテインメントの世界に救われた方は数多くいらっしゃるはず。

「亀」のように歩みは遅くとも、一歩ずつ、地に足をつけて確実に人生を進んでゆく。
発売から30年経過した今も私は「カメライフ」を聞きながら、これからの日本社会が「失敗」にも寛容な、"誰もが再チャレンジしやすい社会"を構築するための在り方を模索していきたいと、思うのでした。

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