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HSPで内向型人間の自分に刺さった「はいよろこんで」MV

HSP勢で内向型人間のオタクがお送りする「オタ語り」。

普段、あまりトレンドを追いかけない私は、いわゆるチャートを賑わせている音楽というものに疎いのですが。

先日、たまたまYouTubeを視聴しているときに「おすすめ」欄に出てきた、とあるミュージックビデオが久々に「刺さった」ので、記事にしてみたいと思った次第です。


『はいよろこんで』

とあるミュージックビデオ、とは、《こっちのけんと》さんによる『はいよろこんで』。

公開1ヵ月で既に2,000万回以上再生されています。

MVが発表されてから少し時間が経ってしまっているのですが、物事を「じっくり」考える傾向の強い「内向型人間」の私なので、楽曲について慎重に整理しつつ、この作品の世界観などを探っておりましたが。

この世界に生きる すべてのいきづらい人へ
という導入から始まるこのフレーズから、私は一気に引き込まれていたことに気づいたわけです。

今ではYouTuberをはじめとして、個人でも生計を立てられる人が増えてきましたが、やはりそこには「組織に縛られること」に「生きづらさ」を感じている人が多いからでもあると思うのです。

人に気を使いすぎて常に消耗してしまう、私のような人間は、きっと社会で日常生活を送るにあたって苦労されてきたことと思います。

はいよろこんで』のMVと楽曲を繰り返し視聴する中で、私が感じたことをつらつらと書き連ねていきたいと思っております。

なお、熟考型の私ですので、今回の投稿も5,000文字を軽くオーバーしておりますので、サクッと読みたい方はご注意ください。
(noteでは、短めの文章が好まれるようですが、私は物事をじっくりと考えたいタイプなので…と毎回断りを入れている「気にしぃ」の私)

昭和を経験した人には懐かしいアニメーション

私はアラフォーの昭和生まれ世代でして、幼い頃に良くNHKの『みんなのうた』を見ていたこともあり、まずMVの80年代アニメーションを思わせるエフェクトにシンパシーを感じました。

MVでは当時のアニメーションを再現したかのような画質や人物の描き方に、懐かしさを感じつつも、現代ならではの目新しい表現も散見されます。

当楽曲が、もし最新のCGを駆使した「いまどきの」作風であったなら、私はYouTubeのサムネイルをクリックしていなかったことと思います。

この「懐かしさを感じるビジュアル」も、私が興味をひかれた要素の大きなひとつです。

私の幼少期や小中学校時代は、インターネットも携帯電話もありませんでしたが、その分、今ほど「効率」や「合理主義」が重視されず、ある意味では伸び伸びと過ごせていた部分があります。

もし、私が現代に学生であったなら、きっともっと辛いことになっていたような気もします。

はいよろこんで』のMVを見ながら、この懐かしさを感じるビジュアルに、ある意味では少し「ほっこり」したというか、深刻さが和らいだような印象を感じました。

ノーベル賞を受賞した、《真鍋淑郎》さんの言葉

2021年にノーベル物理学賞を受賞した、《真鍋淑郎》さん。

地球温暖化の研究で第一人者でもある彼が、日本を飛び出した理由として、こう語ります。

私はまわりと強調して生きることができない

日本社会における特徴を、《真鍋淑郎》さんは見事に分析しています。

「日本では常に互いの心をわずらわせまいと気にしています。とてもバランスのとれた関係を作っています。

日本人が『YES』と言うとき、必ずしも『YES』を意味しません。実は『NO』かもしれません。なぜなら、他の人の気持ちを傷つけたくないからです。とにかく人の気持ちを害するようなことをしたくないのです。

アメリカでは他の人の気持ちを気にする必要がありません。私は他の人のことを気にすることが得意ではないのです。アメリカで暮らすってすばらしいことですよ。私はまわりと協調して生きることができないのです。それが日本に帰りたくない理由の一つです」

出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211214/k10013386041000.html 真鍋淑郎さんの言葉

アメリカの社会というのは、いい意味で「他人に無関心」。
それに対して、日本社会は「他人に対する干渉が強すぎる」点があります。

それが「気遣い」であれば良いのですが、時として、「同調圧力」と呼ばれるように、他人を縛るようになってしまう。

はいよろこんで』のMVでも、やはり「他者からのプレッシャーを常に感じている」という心理的な演出と歌詞が、私には感じられました。

私は「HSP」という、大きな音や強い光といった外部からの刺激に敏感な体質で、それ故、他者からの圧力というものも感じやすい傾向があります。

《真鍋淑郎》さんが、「まわりと協調して生きるのが苦手」と仰っていましたが、私も同じで、それ故、会社員として生きるのを早々に諦め、現在は個人事業主として生きています。

日本での教育の在り方として、「組織の中で従順に生きること」が良しとされることが長く続いてきました。
確かに、その影響で、礼儀正しさやマナーの良さは培われているかもしれません。
例えばWBCやサッカーW杯などの国際試合の後に、「選手が使用したロッカーが綺麗」というニュースをよく目にします。

一方で、「従順さ」が仇となることもあり、日本ではキャリアアップの基準が「上司や組織の意向に従う人」になっており、それ故、トップが間違ったことをしても、反対意見を述べにくく、近年の自動車産業などの企業の不祥事を見てもわかる通り、日本のサラリーマンは「イエスマン」が多いという印象です。

楽曲のタイトルである『はいよろこんで』も、本当に「喜んで」そのセリフを発しているかどうかは疑わしいところで、「そう言わざるを得ないシチュエーション」とどうしても受け取れてしまいます。

※《真鍋淑郎》さんの、「日本人が『YES』というとき、必ずしも『YES』を意味しません」という発言はまさに、『はいよろこんで』という発言の奥にある「本音と建前」を見事に言い当てている気がします。

教育とは、本来「自分の頭で考えさせる」ことが目的だと私は思っています。しかし、前述のとおり、日本では「自分の意見を言うこと」よりも、「先生の言うことを聞く人」「従順な人」が厚遇される。

はいよろこんで』の楽曲が、「ギリギリダンス」でなく、このタイトルになったのは、個人的には「日本社会の息苦しさ」を表したかったかのように思います。

「SOS」を出したくても出せない日本社会。

多くの報道でもご存じかと思いますが、日本は先進国でも自殺者・うつ病を患う方の割合が突出して多い。

それはやはり、「日本という国の生きづらさ」に起因している部分が大きいと思います。

「有給休暇が取れない」「定時に帰れない」「給料が上がらない」。
海外の労働環境と比べても、なかなか労働者の状況というのは厳しいまま。

個人は組織のために犠牲になるべき」という風潮は、太平洋戦争の頃からあまり変わっていないような気がします。

「お国のために」と言って戦争に駆り立てられた若い兵士たち。
しかし、それを拒否すると「非国民」といわれた時代。
それを、現代人は笑えるでしょうか?

はいよろこんで』のMVにおける、モールス信号の表現は「SOS」を表していますが、

鳴らせ君の3~6マス  ・・・---・・・

『はいよろこんで』 歌詞より引用

「助けて」と言いたくても、他者に対して助けを求められない社会にあって、「SOS」を発信することの大事さを、私はこの楽曲に感じ取りました。

(※もちろん、ネット上ではこの楽曲に対して様々な考察がなされていることと思いますから、様々な解釈の仕方があるとは思います)

例えば「うつ」傾向にある方々というのは、自分から「SOS」を発信することが出来なくなってしまっています。

そんな時に、近くにいる人たちが、異変に気付いてあげるということが重要です。

苦しんでいる人が、「自分は苦しいです」とは言い出しにくい社会にあって、周りの人たちが、サポートしてあげられる、そんな余裕を持っていたいと思うのです。

SNSでは、ユーザーの投稿を見るためには「フォロワー」になる必要があります。

仕事や家事でも、手が足りなかったりするときに誰かが「フォローする」、という言葉を使いますが、残念ながらSNSでの「フォロワー」は、その人を支える、というよりは足の引っ張り合いのようになってしまっているのが現状です。

職場で、地域で、家庭で、様々な場所で、困っていたり、苦しそうな人を見かけたら、そっと「フォロー」をする、そんな社会であってほしい。

はいよろこんで』の楽曲冒頭の逆再生の音声で「結局はね 優しささえあればいいとは思うんです」と聞こえる、とありますが。

まさにその通りで、今の日本に足りないのは、「周りを見る余裕」と、「ほんの少しの優しさ」だと思うのです。

日本では公共交通機関をベビーカーで利用しようとすると、周囲からは冷たい視線で見られることが多いですが、海外ではベビーカーの利用者を見かけると「フォロー」してくれる乗客の方も多いです。

日本には確かに治安のよいところや、落とし物が戻ってくるなど、素晴らしい一面もありますが、しかし一方で、「自己責任論」などという、個人に責任を押し付ける風潮が強い面もあります。

他者に対する優しさというものを、もう少し持つことが出来れば、もっと「生きづらさ」は減っていくのではないかと思います。

自分が辛い思いをしているのだから、あなたもそうであるべきだ」という風潮が強いからこそ、定時に帰れなかったり、有給休暇が取れなかったり、ベビーカーの人につらく当たってしまったりするのが日本社会であって、その意識を一人でも多くの人が改めて、海外のように「人は人、自分は自分」というように割り切ることも大事ではないかと思います。

ダンサブルなアレンジと「鼓舞」する歌詞

私は、以前の投稿で、日本の楽曲には"人の背中を無理やり押していくような"、いわゆる「応援歌」が巷にあふれていることに対して違和感を感じる、と表明しておりまして。

そういった「応援歌」に対するアンチテーゼとして、《電気グルーヴ》の『カメライフ』という楽曲が、私の人生の中で重要な一曲になっていた、というお話をしました。

巷にあふれる応援ソングに頻出する「頑張れ」ではなく、「がんばるなんてやめちゃえ」という脱力的なリリックと、それとは裏腹のエッジの聞いたテクノサウンドが心地良い『カメライフ』。

はいよろこんで』も、歌詞の内容としては「生きづらさ」を歌ったものではありますが、楽曲はダンサブルで軽快な四つ打ちで、「クラブミュージック」を好んで聞いてきた私にとってもしっくりくるものでした。

「社会の生きづらさ」を窺わせる楽曲でありながらも、巷にある応援歌にありがちな「押しつけがましさ」というものを感じにくい理由として、『はいよろこんで』には、"ダンスサウンド"という独特の要素があります。

歌詞に頻発する「踊れ」「鳴らせ」というフレーズは、「命令」ではなく、「鼓舞」と私は受け取りました。

「自分の感情を押し殺して生きるのが美徳」とされる日本社会においては、公共の場で「踊ったり」「歌ったり」して自己表現をすることがためらわれがちです。

例えば海外では、「フラッシュモブ」といって、町中で突然人が踊りだしたり、楽器を弾いたりといったパフォーマンスをよく見かけます。

デンマークで2010年に公開されたこの動画では、引退するバスの運転手の花道を飾るため、有志の人たちがバスの車内でトランペットを吹いたり、道路を塞いだり。

日本では、公共交通機関でこのような行為をすれば、他者から「迷惑だ」と言われ炎上していたかもしれません。

しかし、動画の最後に、運転手さんは涙を流して感動のフィナーレを迎えます。

ニューヨークの地下鉄でも、偶然居合わせたサックス奏者同志による、突発的なサックス演奏対決の動画は4,000万回再生されています。

「人に迷惑をかけるな」という傾向が強い日本においては、なかなか公共交通機関で、こうした行為をするのは受容されにくいのが実情です。

しかし、上にあげた動画内において、それを咎めるような乗客は出てきません。
いい意味で、他者に関して無関心であり、寛容でもある。
そういう「懐の深さ」が海外にはある気がするのです。

はいよろこんで』の中で、「踊れ」「鳴らせ」という言葉が出てくるのは、「自己の感情を抑圧するのではなく、発散する」という意味合いがあるように私は感じました。

「SOS」を発信することが難しい日本社会において、「自分の危機」を「他者に伝える」ということは、悪いことではない、むしろ、それが当たり前になることが、「生きづらさ」を軽減することにつながるのではないでしょうか。

日本社会特有の問題点として、「弱者が権利を主張すると叩かれる」というものがあります。
例えば、旧ジャニーズで性的な被害にあった人たちに対する誹謗中傷であったり、デモやストライキ(これは労働者が誰でも行使することができる普遍的な権利です)に対する批判であったり。

「権利を行使すること」=「わがままではない」。
はいよろこんで』における、「踊れ」「鳴らせ」という「鼓舞」は、「シグナル」を他者に伝えることを恐れず生きてほしい、という願いが込められているように私は感じました。

「一歩を踏み出す」ことは勇気がいることでもあります。
「嫌なことを思い出す」こともあるかもしれません。

それでも、ダンサブルな曲調の楽曲と共に「鳴らせ!」と繰り返されるリリックの中に、私は押しつけがましさよりも、優しさを感じたのです。

ギリギリの状態でもがき続ける「生きづらい人たち」。
そんな人たちに対して、「頑張れ」ということは逆効果です。

ダンサブルなサウンドの中にある「踊れ」「鳴らせ」という独特の鼓舞がある『はいよろこんで』。
そこに私は一筋の希望を感じました。

ちなみに、物理的に体を動かすことには、うつ病を軽減するという医学的な根拠があります。

もし、今「しんどい」と感じている方がいたら。

はいよろこんで』のMVを見ながら、歌ったり、踊ったりしてみると、気づけばストレスが減っているかもしれません。
(私は普段インドア派なので、とてもすっきりしました)

一人でも多くの「生きづらい」人たちが減っていくように。
そんな願いを、私は『はいよろこんで』のMVの中から、受け取りました。
HSPで内向型人間の特徴を持つ私のような方に、おすすめしたいミュージックビデオです。

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