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Cry
2020年6月26日午前6時26分。
朝の4時に目を覚ました私は、スマートフォンを弄る手を止め、1分間、静かに目を閉じた。
黙祷。
私は憂鬱だった。今日も、11年前のあの日も。
2009年6月26日の夜。
小学生だった私は、何時もの様にテレビのニュース番組を聞き流しながら家族で食卓を囲んで夕食を食べていた。
「続いてのニュースです。アメリカの人気歌手、マイケル・ジャクソンさんが日本時間の今日午前6時26分、亡くなりました。50歳でした」
その時、両親の表情が凍りついた。二人とも血相を変えて、テレビの画面を見つめていた。
「……そんな、嘘だろ」
「あのマイケルが……」
両親の悲痛な声が、食卓に響いた。私は事の重大さを理解出来なかったが、何故か悲しくなってきた。洋楽マニアの父がこんなに嘆いているという事は、マイケル・ジャクソンは何か凄い人だったのだろうか。
「ねえパパ、マイケル・ジャクソンってどんな人なの?」
そう問いかけた数日後、父はマイケルのアルバム「KING OF POP JAPAN EDITION」を買ってきて、車の中で毎日流すようになった。このアルバムは日本のマイケルファンの投票に基づいて集めた楽曲を収録したアルバムで、どれも有名な曲ばかりだった。そして、父は動画サイトでショートフィルムやパフォーマンスの動画を見せてくれるようになった。マイケルはただ漠然と凄いだけじゃないと、私は漸く理解出来た。上手く言葉では表せないが、マイケルの生み出す世界に圧倒されっぱなしだった。
でも、マイケルはもうこの世に居ないという事実は私を更に憂鬱にさせた。世界中の人々がマイケルの死を悲しむ中、生きている間に彼の存在を知らなかった私。あまりにも早く、遠くへ逝ってしまったスター。誰かの死で胸を痛めたのは、これが初めてだった。
そんな過去を思い出しながら、私はマイケルに向けて追悼のメッセージを書いていた。今の私があるのは、マイケルのお陰と言っても過言ではない。今の私には、同じくマイケルを愛する仲間が沢山居る。マイケルを通して、人の優しさや温かさに触れる事、信じる事が出来た。次は私達の番だ。皆でこの世界の可能性にかけてみたい。マイケルが望んでいた、より良い場所にする為に。
だから私は、今日も生きていかなければならない。マイケルの分まで、マイケルに何時か何処かで逢えるその日まで。
「愛するマイケルへ
私は心の病気です。
でも、貴方の歌が私を助けてくれました。
貴方は命の恩人です。
心の底から、愛しています。
ありがとう。
私より」
数日後、渋谷のCDショップの献花台には、ヒマワリの花束と共に私のメッセージが置かれていた。
(2020.6.25)
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