#2 ユー・アー・ノット・アローン 「私」の中のマイケル・ジャクソン

第2話「Xcape」

赤羽駅西口を降りて、右に真っ直ぐ進むと険しい坂道がある。星美学園を左に曲がり、ようやく今回のイベントの会場である児童養護施設「星美ホーム」に辿り着いた。まだ開演前だというのに、大勢の人が集まっていた。いよいよここで尾藤さんのパフォーマンスをお目にかかれるのだと思うと、嬉しさと緊張が混ざって不協和音を奏でる。


 学校でいう体育館のような建物が「サローネ」というそうで、今回のイベントはかつてマイケルが訪れた星美ホームのサローネの再建の為のチャリティーイベントだ。サローネの中から大音量でマイケルの曲が聴こえてくる。尾藤さんが今回演じる「Childhood」を聴きながら、外で遊んでいる子供達を眺めると、何とも言えない切ない気分になってきた。


 やがて、イベントが始まった。私はまず、グッズ売り場をゆっくりと一周して見て回った。どれもマイケルへの愛に溢れた作品ばかりで、目移りしてしまう。あれこれ悩んだ結果、小さなラベンダーの花束を買った。亡くなった祖母はお花が大好きだったから、仏壇に飾るとマイケルと一緒に喜んでくれるような気がした。


 様々な出演者の楽しいパフォーマンスも中盤に差し掛かると、後ろから肩を叩かれた。さっき知り合ったばかりのお客様だ。


「あそこに水色のジャケット着ている男の人、居るでしょ?あれ、一斗君だよ。」


 彼女は小声でそう教えてくれたので、私は思わず「何処!?何処ですか!?」と言ってしまった。そしてDJタイムになると、彼女はもう一度私の方に来て、次の瞬間腕を強く引っ張られた。


「一斗君に会わせてあげる!」


 掃除機に吸い込まれるように、私は人混みを掻き分けて外へ出た。


「ちょ、ちょっと待って下さい!心の準備が!」


 と叫びつつ、私は、遂に尾藤さんと対面した。


 この人が、尾藤一斗さん…?


 パッと見、ごく普通の男の人だ。彼に失礼かもしれないけれど、本当に彼がマイケルになるのだろうか…?私は半信半疑で、緊張しながら尾藤さんと挨拶を交わしたりしたのだが、予想外の出来事だったので何を話したかあまりよく覚えていない。


 尾藤さんは、その日イベントに来ていた方々も紹介して下さった。MJ-Soulのメンバーだったユーコさん、尾藤さんとは長い付き合いのキノさん、カメラマンさん、そして、尾藤さんの奥様、小説の作者のサミュエル・サトシさん。サトシさんが来るとは思っていなかったので、私は予想外の出来事に驚いて思わず後退りしそうになった。サトシさんは私のレポートを見たいそうで、「作者冥利に尽きる。」と仰ってくれた。私も、サトシさんに深くお礼を言った。皆に挨拶をした後、尾藤さんは突然「かき氷食べる?」と話しかけてきた。一度は遠慮したが、お言葉に甘えてかき氷を二人で食べた。レモン味のかき氷は、甘くて爽やかなときめきの味がした。


 午後になり、いよいよ尾藤さんの出番になった。MCの方が名前を呼ぶと、そこに現れたのは…マイケル・ジャクソン。正確に言うとマイケルの衣装を着て、メイクをした尾藤さんだ。何処からどう見ても、今は尾藤さんはマイケルにしか見えないのである。


 尾藤さんがマイケルの歌声に合わせて、ゆっくりと口を開けた。曲は「Childhood」。1995年にパントマイムの巨匠、マルセル・マルソーとのコラボレーションを予定していたが、幻になってしまったパフォーマンスだった。パントマイマーと尾藤さんの紡ぎ出す、幻想的で儚いパフォーマンスに、私は写真を撮るのも忘れて心を動かされた。心の臓から震えが止まらなかった。


 全てが終わり、私は尾藤さんに言いそびれた事があったのを思い出した。外に出ると、丁度尾藤さんが居た。私は勇気を振り絞って、尾藤さんに話しかけた。


「尾藤さん!私、この小説を読んで、自分なりに考えていたんですけど…。」


 頭の中は緊張でグチャグチャ。とても言葉を纏められるようなものではない。それでも、私は言葉を一言ずつ絞り出すように、尾藤さんに伝えようとしていた。


「…私は…尾藤さんは、死んでなんかいないと思ってます。尾藤さんはもしかしたらマイケルに殺されていた部分もあったかもしれないけど、逆にマイケルに生かされていたのかもしれないって…だから、私は…尾藤さんは、マイケルと尾藤一斗、二つの魂を持った一人の人だと思いました…。」


 なんて訳の分からない事を言ってしまったのだろうか。すると、尾藤さんは「有り難う御座います…。」と頭を下げた。


「今は、マイケルをやっているのが楽しくて…だから、心配しないで。」


 尾藤さんの眩しい笑顔は、マイケルの笑顔と重なって見えた。光と影が、一体化した瞬間だった。夕陽に照らされる尾藤さんの顔は、何処までも美しかった。


 今日の出来事はきっと一生忘れられないだろう。沢山の思い出と、愛を持ち帰り、私は家路に着くのだった。

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