見出し画像

きっと、恋をしていた

「あなた、本当はいい人いるんじゃないの」

 祖母の言葉に食べかけの豆苗を詰まらせそうになる。隣では妹がお茶をむせていた。

・・・

 その日、昼前に電話がかかってきた。

「あなた、今日は予定は?」
「特には。あれ、ママから検査入院って聞いてるけど、持っていくものとかある?」
「なら恵比寿に出てきてちょうだい。今日、退院したのよ。で、今、恵比寿のいつもの中華のお店にいるから。食べさせてあげるから、出てきなさい。着の身着のままで化粧もしなくていいから、早くね!」

 一方的にそう言って、切れた。

 祖母の電話はいつも唐突だ。入院の連絡はなく、きたと思ったらいきなり今日退院したとは。だいたい、なぜ「今から行く」ではなく、「今いる」なのか。電話を受けてから準備して出れば、1時間弱はかかる。到着する前に連絡してほしい。
 しかも、着の身着のままと言っても、朝遅めに起きてシャワーを浴びたところの私は、一糸纏わぬ姿で電話に出ている。髪だって乾かさないといけないし、本当に着の身着のままで出ていけば迷惑行為だ。「着の身着のまま 木の実ナナ」なんて意味のわからない駄洒落を一人で口にして笑いながら、マイペースに服を着て髪を乾かす。
 途中、妹からLINEが入った。同じく祖母の電話を受けたようで、「お姉ちゃんこれる?」との確認だった。「今着替えてる」とだけ返した。
 祖母の呼び出しは突然に。……突然なのはラブストーリーだけで十分なのだけれど。

・・・

 そんなわけで、目の前には祖母と中華の大皿が並んでいた。
 検査入院中はあまり食べられず、お腹が空いていたらしい。食べたいものをどんどこ頼み、一口食べたらあとは「食べなさい、食べなさい」と孫に渡す。いつものことだけれど、今日はいつになく頼んでいる品数が多い。妹がいてよかった。
 年が明けてから初めて会う。年始の挨拶、年末年始の帰省の様子、母についてなど近況報告を、もぐもぐしながら続ける。テレビ業界の制作会社に勤める妹が年末に雪まみれで実況中継をしていた動画を見せると、祖母は喜んで笑い、妹は「なんでそんな動画を保存してるの?!」と姉の行動にドン引きしていた。

 最初に頼んだメニューが一通り落ち着き、全てを取り皿に分けて大皿を下げてもらった。追加の北京ダックが出てくるのを待ちながら、空いたテーブルに一冊の本を出す。

「12月に、編集を担当した2冊目が出たよ。今回も奥付に名前入れてもらっているから」

 祖母は個人事業主だ。宝飾品を売っている。各種展示会への出展、大手保険会社の展示場、他にも昔から愛顧いただいている個人のお客様が複数いる。
 お客様に孫の自慢話をすることもあるだろうと、本は渡すことにしていた。内容よりも何よりも、「奥付に名前が載っている」「作者は別の人で、私は編集」という点を強調した。読むかどうか、彼女の好みに合うかどうかは、祖母の読書歴を知らない私には知る由もなかったが、とにかく仕事を見せることが重要なのだ。

 馴染みの店員さんがお茶を注ぎに来た。祖母が呼び止める。

「この子がね、あたくしの孫なんですけれども。本の編集を担当したのよ。あなた、今度買ってやってちょうだい」
「本ですか。すごいですね。なんという本ですか、メモ取らせていただいても?」

 ありがたい店員さんだ。この祖母の相手をするのも大変だろうなぁ、なんて思いながら、本を見せて「恵比寿のアトレに入っている有隣堂さんにも置いてありますよ」と案内する。
 やっぱり祖母は周囲に自慢するのだ。渡しておいてよかった。形に残る仕事ができて、良かった。

 店員さんが下がったあと、お茶を飲む手を止めて本を取った祖母は、「今回はどういう本なの?」と聞いてきた。

「世界中を出張してまわっている水産系商社の人がね、各地で出会った人のことやエピソードを書いたエッセイ集」
「あら、面白そうじゃない」

 少し意外だった。てっきり、「著者は有名なの?」なんてことを聞かれたりするかと思っていて、内容に興味を持ってもらえるとは正直思っていなかった。

 あたしも昔はたくさん海外に行ったのよ、と祖母の話が始まる。パリやイタリア、ニューヨーク。日本の景気が良かった時代、あちらこちらへ飛んだらしい。煌びやかな世界が好きな祖母はニューヨークが特にお気に入りで、「みんなおしゃれで、躍動している街」だと自慢げに話す。曰く、〝ボーイフレンド〟がこぞって連れて行ってくれたそうだ。モテてモテて仕方なかったのだとか。そういう時代もあったのだろう。
 いつもの調子なら、ここらで私にボールが投げられる。「あなたもいい人見つけなさいよ」だとか、「どうしていないの」だとか。〝いい人〟がいなかったらいなかったで説教が続くし、いたらいたで根掘り葉掘り値踏みが始まるだろう。防衛術は決まっている。適度に笑って、今の仕事がどれだけ楽しいか、どれだけ充実しているかを矢継ぎ早に話すのだ。

 ところが今回は、予想外の言葉が飛んできた。

「あなた、本当はいい人いるんじゃないの」

 食べかけの豆苗が喉で引っかかった。隣では妹がお茶をむせていた。

「え、どうして?」

 何も思い当たらない。両親から、従姉妹から、何か噂が飛んでいるのだろうか。でもそういう火種も思い当たらない。頭の中がぐるぐるする。

「だってあなた、前回渡してくれた本、ああいうのを編集するって、わかってなきゃできないでしょ」

 今度は絡まって団子になった豆苗が一気に胃の奥へアタックしてきた。

 昨年末、初めて書籍編集を担当し10月末に刊行した本を手渡していた。祖母が読むかはわからなかった。80近い祖母が読んでも「わからない」と言われるかもしれないなと思っていた。
 それが、祖母は読んだのだ。最後まで読み切ったのかはわからない。けれど、その口ぶりから第一章・第二章は読んでいるのだということが伝わってきた。驚いた。嬉しかった。

「いや、でも私は編集で、書いてるわけじゃないからね。著者はちゃんと、別の女性が書いてらっしゃるからね」
「そりゃ、わかってるわよ。あなた、渡してくれたとき何度もそう言っていたし、奥付にそう書いてあるじゃない。でもねぇ、書いてるのが別の人だとしても、編集をするってことは、わかってないとできないでしょ」

 関心の向く先はいつも「世界の中心は、あたくし」で、自分のことばかり話すと思っていた祖母が、今日はやけに鋭い。呆気に取られてしまった。

・・・

 祖母の言葉は、半分正解・半分不正解というところだろうか。

 文芸は、隅から隅まで全てを理解していないと編集ができない、ということはないと私は思っている。全てが理解できるものであるべきだとも思わない。理解はしきれない、けれどなんだかいい。そういうグルーヴを楽しむのも、一つのあり方ではないだろうか。

 そして、私が編集において〝恋〟や〝男女の関わり〟を理解していたかというと、それも半々くらいだと思う。本の編集を始めたばかりのときは、自分の知らない世界の話だと思っていたから。

・・・

「noteで書いている」と聞いて初めて読んだ彼女の文章。「パイパン」の文字に、焼き菓子の「パイ」と「パン」かなと思っていたけれど、どこにも香ばしい食べ物は出てこなかった。勢いとグルーヴ感に脳を揺さぶられながら、私のボキャブラリーが一つ増えた。
 母が「もとは白・發・中の白のことで」と教えてくれた。「白牌」か。それなら呼び方は「パイパイ」にならないのか。よくわからない。それにたぶん、語源が麻雀牌だと知らずに使っている人が多いのではないかとも思った。

 どちらにしても、私の見ている世界は小さくて、交わったことのない世界があるのだと感じた。

・・・

 それからしばらくして、彼女はnoteで週1回の小説連載を始めた。

 毎回、読んでは驚いた。一人でスマホを覗き込みながら、描かれている状況に赤面することもあった。

 小説の状況も、ストーリーも、理解はしている。だけど、どうしてそういうことが起こるのか、なぜそんなにも求めるのか、そこに描かれる恋と性の感覚は、私にはいまひとつわからなかった。
 お付き合いしたことはある。いいな、と思った人がいたこともある。でも、「なんとなく」で、自分にとってもっと優先度の高いこともあった。
 この主人公の女性はなぜ、常に何かを期待しているのだろう。なぜこんなにも、なんとも言えない男性とハプニングに遭遇し続けるのだろう。
 彼女がしているのが〝恋〟ならば、私は恋をしたことがないかもしれない。

・・・

 同時に、わからないと思いながらも、その理解ができない世界と彼女の文章の研ぎ澄まされた鋭さに、惹かれていった。

 風が吹くようだった。一見すると、ただお茶を飲みながら話しているような印象。けれど、要所要所に独特の、そして詩的な表現がキラリと輝く。どの回にも必ず心に引っかかる一文があった。
 そして、読後感が好きだった。そこに残るちょっとした虚しさとサッパリした感覚。知らない世界の、恋や性のお話。だけどサラリとしていて、どこにもいやらしさがない。抵抗感が全く生まれない文章だった。

 Twitterでは同じように感じた人が多くいたようで「削がれた文章」「乾いた文章」という感想がよく見られた。ある人は「清潔」と書いていた。
「清潔」という感想を見たときは、昔話題になった漫画『NANA』のセリフを思い出した。

わがままで泣き虫で甘ったれで、その上異常なまでの恋愛体質で、しかも移り気で。上京して半年足らずで男はすでに三人目。なのに少しも汚れない、不思議な女だった。

『NANA』8巻より

 そういえば、私は『NANA』も全巻読んだけれど理解できなかったし、なぜあれほど話題になったのかもわからなかった。でも、このセリフだけはものすごく印象に残っていた。

 どこかで憧れていたのかもしれない、そういう自分とは違う女に。

・・・

 彼女の小説が書籍化されることになった。縁あって、その編集を担当させてもらえることになった。

 嬉しい、よりも緊張だったと思う。4年ほど編集の仕事をしてきたけれど、書籍は未経験だ。そして、その小説の世界は私が歩んできたのとはかなり違う、けれども現実に存在するであろう世界だ。
 力量も知見も、足りるだろうか。なにより、著者が納得してくれるのだろうか。迷った。

 彼女が最初から納得していたかは、わからない。それでも、何も言わずに担当を任せてくださった。初の著書をできたばかりの出版社から出す。その編集を未経験だった私に担当させてくださった、それはとても勇気のあることだと思う。
 すごい人だな、と思った。感謝している。

・・・

 2022年1月。
 彼女がこれまで更新してきたnoteを全て読み返して一覧にし、「恋」「セックス」「仕事など」といったタグと、おおまかな時系列番号をつけていた。その恋愛観はまだわからなかったけれど、独特のリズム感と客観的な乾いた風通しの良さはますます好きになっていっていた。

 そんなある日、彼女の新作noteが公開された。
 それが、「夜のコール」だった。

・・・

 読みながら、うなずいていた。
 サラリとして、風は吹いている。なのに、むしろそれが、グッと胸の奥を抉ってくる。その感覚、わかる。痛かった。重かった。

 本当はそこにいて欲しいのに、追いかけさせたくて、気を引こうとわざと相手にとって嬉しくないだろうことを言ってしまう。時々そうやって確かめないと、不安になる。どこか根底で、「自分なんて」と相手も自分も信じきれていない不安定さ。

 わかりたくなかった。
 わかってしまった。

 やり方や言葉は違えど、同じように気を引こうとしたことがある。気を引くために、小さな不幸を見つけては「かわいそうな私」であり続けようとしていたことがある。
 それは回を重ねるごとに相手を疲弊させ、険悪な空気しか生まなくなり、関係を壊していった。けれど、そうなればそうなるほど不安は大きくなり、「まだ大丈夫」と確かめようとして繰り返してしまう。
 そういう、相手に求める気持ちと、不安と、自分を信じられないことと、うまくそれを表現できずに相手を試すことと。身に覚えがあった。

 ああ、そうか、と思った。
 あの時、私も〝恋〟をしていたのだ。それがあるべき形か、幸せな形かは別として、〝恋〟をしていたのだ。恋する女性の不安を、私も知っているのだ。自分の中に、一欠片の「コスモ・オナン」が見えた気がした。

 きっと、恋をしていた。私も。

 慌てて他の文章をもう一度読み返した。相変わらず、どうしてそんなに変わった人や出来事に遭遇するのかはわからなかったけれど、その場面場面での彼女の心は、少しだけわかるような気がした。行間に、その時間と目の前の相手に真っ直ぐで一途な乙女の心がキラリと見えた。

 知らない世界の他人の話が、少しだけ「私の話」になった瞬間だった。

・・・

 わかったことが編集に影響したかというと、そのレベルは小さかったと思う。おそらく、自分の中の〝恋〟を見つけなくても、構成も文章の編集も、それほど大きくは変わっていない。
 基本方針は、できる限り彼女の元の文章を変えないこと。編集に当たって、自分個人の感情は入れ込まないように意識した。書き換えを提案するところには、日本語としての意味の通りや用法など、できるだけ客観的な理由を添えた。
 だから、わからないままの私でも、ほとんど同じように編集していただろうと思う。

 でも、少しだけ「私の話」になったことで、愛着は増した。自分の中に「コスモ・オナン」の一欠片を感じたことで、主人公の「私」がより一層好きになった。
 そういう愛着があったからこそ、著者の文章をそのまま生かそうと強く思えたのかもしれない。

 そして何より、自分が彼女の小説を通して自身に気づいたこと、それから読み返したら見えてきた世界があったこと。その体験で、「この本は2度、3度読んで楽しめる。読むたびに発見や、その回ごとの楽しみ方がある」と自信が持てた。

 だから、祖母の言葉は「半分正解・半分不正解」なのだ。

・・・

「海外ではね、男の人もみんな毛はきれいに剃ってるのよ」
「えー、そうとは限らないんじゃないの」

 いつの間にか、祖母と妹は海外の剃毛事情を話していた。「あたしは世界の全てを知っている」という口ぶりの祖母に、疑問を呈す妹。「へー、そうなんだ」と言っておけばいいものを。

「おじさんのお友達でニュージーランドから来てた人は、腕の毛も金色でキラキラしてたよね。だから遠目に見たら毛が薄いんだけど、近くで見ると結構もじゃもじゃだったよ」
「あら、そう。そういえば、そうだったかしら」
「下は、見たことないからわからないけれど」

 どちらとも言わず、微妙に話を逸らす。

「あの本読んでね、あたしも何か書いてみたくなったわよ」
「おばあちゃんは、長く自分で宝石の仕事もしてて、エピソードはありそうだよね」
「お客さんからも言われるのよ、その話、本にしたらいいんじゃないって」
「でも、エピソードがあるのと、読み物として書けるのは違うからねー」
「そうなのよねー。書いてみようかとも思ったけど、やっぱり難しいわよね、ああいうのは。あたしはあなたたちに話すだけでいいわ」

 そう笑って、祖母は運ばれてきたばかりの北京ダックを一口に食べた。

別日に恵比寿ガーデンプレイスへ向かう途中の道で撮影

今日登場した祖母は、母方の祖母です。
父方の祖母との話はこちら

・・・

2022年10月刊行
『全部を賭けない恋がはじまれば』稲田万里 著
発行:ひろのぶと株式会社


2022年12月刊行
『スローシャッター』田所敦嗣 著

発行:ひろのぶと株式会社


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?