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DV被害者自立支援講座「わたしが私でいるために」とは?

 夫や恋人など、身近な人からの暴力「DV」は、自信や安心、人や社会への信頼感といった、本来持っていた大切なものを奪うような傷を残します。
 傷をケアし、少しでも安心な生活を送れるために、近い経験を持つ人同士が集まって自分の身に起きたことを分かち合う場所があります。
 ウィングス京都のDV被害者自立支援講座「わたしが私でいるために」もそんな場所の一つ。2009年の立ち上げから約10年もの間、講座に関わってこられたフェミニストカウンセラーの竹之下雅代(ウィメンズカウンセリング京都)さんに、講座のこと、回復のこと、社会が変わるために必要なことについて、お話をお聞きしました。

“存在”だけでわかりあえるような出会いがある場所

――DV被害者自立支援講座「わたしが私でいるために」はどのような講座なのでしょうか?

 夫や恋人から暴力を受けた経験を持つ女性が集まって、「暴力から生きのびてきた“自分”のことを知る」ためのワークをグループで行う、全5回の講座です。
 ワークでは、DVとはどういうものなのか、心理的ダメージとはどんなことが起こるのかをみんなで学び、お互いの経験を話し合いながら、かつてDVを受ける中で自分の身に何が起こっていたのかを考えていきます。
 ボディワークやリラクゼーションも挟みながら、どのワークもグループみんなで取り組むようにしているのですが、私たち講師は基本的にあまりしゃべらないんです。なによりこの講座では、被害者同士が”出会う”ことを大事にしています。


――暴力を受けた経験を持つ人同士が”出会う”こと……。
  それを大事にされているのはどうしてですか?

 この講座を提案したきっかけにも関係するんですが、2001年にDV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)が成立した時、ウィングス京都に立ち上がった「女性に対する暴力相談」で私は担当カウンセラーだったんです。でも、暴力を受けた女性のカウンセリングを7年ほど実践していく中で、一対一のカウンセリングに限界を感じた部分があって……。
 もちろん、カウンセリングで元気になられる方、離婚の道を着々と歩まれる方はいらっしゃいます。しかし、DVの被害は加害者から離れるだけでは終わらないし、自責感や無力感に陥っている方へのケアが同時に必要だと考えたんです。
 被害を受けた方が自分を信じる力を再生していくためには、近い経験を持つ人同士で実感として分かち合い、孤立観を払しょくすることで、お互いをエンパワーメントしていく場所が必要なのではないか、とその時に思ったんです。フェミニストカウンセリングが大事にしている、「Personal is Political(個人的なことは政治的なこと)」の「Political」の部分ですね。
 そういった経緯があったから、この講座では、DVの被害を受けた「私」の問題が、この社会に共通の問題であるということを伝えるために、被害者同士の”出会い”を大事にしているんです。 

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――なるほど。実際にこの講座を作る中で感じたことはありますか?  

 グループでワークを行うので、必然的に、他の人の話を聞きながら自分のことを考えることになるのですが、私はそれがすごく大事なことだと感じました。
 例えば「私以外にも夫から暴力を受けている人がいるんや」と発見したり、「この人はこういう被害にあったんや」「こういう人もいるんやな」と他の人のエピソードを知ることで自分のことを少し客観的に見るきっかけになったり。「こんな風にやってはる人がいるんや」ってちょっと先を行く人に出会う感覚を得たり。
 他の人の体験を聞くことはフラッシュバックも起きかねないしんどいことです。でも、命の危険を感じるような、本当に究極の経験をしている人同士だからこそわかる、感じ取れるものがやっぱりあって。私が一生懸命言葉を使って伝えようとするよりも、“存在”だけでわかりあえる感じがあるんです。そういったものがエンパワーメントにつながることを実感するし、そんな力がグループに存在していることが本当にすごいと思います。

社会をもう一度信頼するために

――プログラムを作っていく中で、参考にした、大事にした考え方はありますか?

 ジュディス・L・ハーマンという人の『心的外傷と回復』(1993)という本です。これはサバイバーにとっても、支援者にとってバイブルのような本なのですが、その中に「回復の三段階」という概念があって、基本的にはそれを参考に、プログラムを組んでいます。

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――「回復の三段階」……どのような内容なのでしょうか。
 

 第一段階は「安全の確保」。暴力を振るわれない環境で、心と身体の安全を確保することです。
 第二段階は「想起と服喪追悼」。「想起」は思い起こすっていう意味ですね。封印している傷つきを思い起こすことは、つまり「語る」というところに繋がります。「服喪追悼」というのは、なくしたものを悼むこと。例えば暴力を振るわれてしまったことによって人生が変わってしまったとか、将来の計画がガラガラと崩れてしまったとか、そういった”なくしてしまったもの”を、嘆き、悲しむ作業のことです。
 そして第三段階が、社会や他者との「再結合」。自分が選んだ相手が暴力を振るう人だった、相手から心を深く傷つけられたことによるトラウマで、自分への自信も、他者への信頼も壊されるような経験をします。自分が住んでいる社会が安全じゃないっていう感覚です。「再結合」とは、そこからその人なりの安全感や信頼感を回復させることです。
 最初にこのプログラムを作るとき、この3つの段階を取り入れようとしたんです。もちろん社会や他者との「再結合」、もう一度社会を信頼しなおす、というところまでいくのは本当に大変な道のりだから5回のワークでは無理なのですが、とにかくこの講座では孤立させられている存在をお互いに確認する場所にできたらと思っています。

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↑最後のワークの日に行う記念撮影。手を寄り添わせる。

「回復」は当事者だけが担うものではない

――約10年間講座に関わってきて、竹之下さんが感じた変化はありますか?

 そうですね……私の中では、DV被害者の方の回復ってなんやろうって考えたときに、社会が変わらないとどうしようもない、というところにたどり着くようになりました。
 DVが「ただの夫婦喧嘩ではない」ということは広く知られるようになりましたが、本人がDVだっていう認識が持てなかったり、周囲の人もわからなかったり、本当にまだまだ”見えなくさせられている”と思うんです。
 さきほど「社会との再結合」の話が出ましたが、被害は一見本人の問題のようにみえるけれど、社会の人がDVによって受ける心理的なダメージの大きさを正しく理解して、暴力に対して敏感になって、共に生きていくことを大事にすることなしには、被害を受けた方が社会をもう一度信頼できること――つまり「回復」はないわけですよね。
 この講座を通して、そのことをすごく教えてもらったなと私は思っていて。そういう意味では、支援して被害者が変わっていったというよりも、私自身が変わっていった、という方が強いですし、同時に社会が変わらないといけないって思います。

――なるほど……。暴力やジェンダーの問題が社会の問題である限り、「回復」は、当事者だけが担うものだけではないですよね。

 そうですね。「わたしが私でいるために」を終えた方のセーフティーネットとなるような居場所として、グループのメンバーで定期的に集まる「アフター会」と、グループ同士が集まる「アフター同窓会」という2つの会を開いているのですが、その有志で、毎年11月にウィングス京都で実施する「パープルフェスタ」で、来館者に向けた展示を作るんです。

パープルnotegazou

 
 それに向けたみんなのパワーというか、エネルギーがすごいんです。
 「私はこういう経験をして、だからこそ今こういう風に考えています」、ってことを市民の人に正しく理解してほしい、かつての自分みたいに大変な思いをしている人に相談に繋がって欲しい、顔は見えないけど、私たちはここにいるんだってことを知って欲しい、そんな熱意が集結したような展示だったんです。
その展示に、メッセージを読んだ来場者の方に感想を貼ってもらうスペースを作ったのですが、私はそれが、本当にすごく意味があることだと思っていて。
 「知らなかったことを教えられた」「私も暴力をなくしていきたいと思った」など、来場者の方の声を今度はサバイバーの人たちが読んで、「あ、こういう風に伝えることができた」「こういう風に感じてくれたんやな」と受け止めることができたんです。そこで「一方向」じゃなくて「双方向」になった、と思ったんです。
 まさに先ほど話していた、サバイバーの声を聴くことで少しずつ社会が変わり、サバイバーが参加できる社会をつくっていく実践の一つになった。この展示はそんな意味を持っていたと思うんです。

――「わたしが私でいるために」講座は、当事者同士が“出会う”ところから、社会と繋がる、社会を変えるというところに結びつくんですね。
 
 はい。私はもっと多くの人に、DVの被害を受けた1人1人がどんなことに傷ついているのか、なぜ人に対して信頼しきれない気持ちを持っているのかということを理解してほしいと思いますし、「暴力」や「誰かのことを侵害すること」についても自分自身のこととして考えたいです。  
 あと、今私は支援者として話していますが、やっぱりこのインタビューも、当事者の話も聞いてほしいって思いますね。被害を受けた当事者の方と、社会の「双方向」なやりとりによって、社会は変わっていくと思うから。

 〈お話を聞いて〉
 竹之下さんは、グループでの語り合いは「生きる力をお互いに注入し合うような時間」だとおっしゃっていました。その時間の大切さを想いつつも、被害を受けた方の「回復」のためには、一人一人が、“私たちの社会がどう変わるべきなのか”を考え続けなければいけないと、改めて思います。
 今後は、「わたしが私でいるために」の講座も継続しながら、これまでのパープルフェスタでの展示をまとめた記録集や、広く市民から参加者を募りトラウマへの理解を深める心理教育に関する本の読書会なども行う予定だそうです。開催時期は未定ですが、もう一度集まれるようになった時、ぜひあなたも「双方向」にかかわってもらえたらうれしいです。

*紹介した一冊ジュディス・L・ハーマン『心的外傷と回復』は
ウィングス京都図書情報室で貸出中*


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