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Epi;3 カルシウムと僕【死時計シリーズ】

~introduction3~

「なぁ手毬てまり
「はい、シロ様」
「最近、やっつけ仕事のように『回収課』案件が増えている気がする」
最近、という表現は『現界げんかい』時代の概念の産物である。ここ『天界てんかい』では時間に際限がないので、敢えて時間を測る者もいないだろうし、永遠という時間軸の中でどこまでを最近と云わしめるのか、問われたとしても僕自身も明確な答えを持たない。
けれど、云わんとする意味は伝わったらしい。
「それはやむを得ぬのかもしれません。『回収課』の扱う案件がいよいよ50億を越したようで、複雑な閉塞案件も散見ではなくなっていると聞きます」
僕の有能な秘書は、美しい立ち振る舞いと穏やかな笑顔で周囲を魅了し、あらゆる課の内々の事情まで拾ってくる。美人に頼みごとをされると、表情も緩み口が滑るというのは、魂の持つ悲しきデフォだろうか。彼は女性にも男性にも人気がある。
「今回のこれは、3件同時に解決しろということでいいのかな?」
渡された『回収課』の黄色ファイルはみっつある。
「『現界げんかい』の時間軸において28年以内の案件なので」
「まとめて処理できるものなら、その方が効率がよい、と」
「はい、さようで」
ファイルは魂ひとつに1冊あてがわれている。どのファイルも女性のようで、閉塞案件というより迷子をこじらせた案件といえそううだ。
「それと、…こちらをご覧ください」
手毬が指した備考欄に興味深い記述がある。
「へぇ、これは珍しい」
みっつの魂のうちのひとつが『生時計』を廻したまま死亡したとある。なるほどこれなら『死時計管理委員会』の管轄と云えなくもない。
「まぁ、そうだね。こちらも『刀持ち』を拝借する案件が増えてきているし、お互いさまということにしようか」
「誘導に成功した時間軸に、回収係2名と渡し船をお手配下さるそうです」
「ああ、それで3人一緒か」
「それで、あの、シロ様」
手毬が照れた様子で、合わせ襟の胸元から布に包まれた何物かを取り出した。
白い手袋1対。
「先日、絹の『仙人やまびと』様から魂の波動を弾く性を持つ絹糸を賜りまして。万全の効果を得るにはまだ材料が足りないのですが、今までのものより効果が期待できるかと」
「これ、糸から作ったのかい?」
「はい」
早速、指を通してみる。
「いかがでしょう」
「うん、以前のものと寸分ないね。ありがとう。使わせていただこう」
見栄えだけでなく、手先も器用、心根も深い、この相方にはまったくもって頭が下がる。
さて、あとは。迷える女性たちの魂をどう誘導するか、試案しよう。



Mirror’s LoverS Presents
【死時計シリーズ】
Episode;3 「カルシウムと僕」


こつこつこつこつこつこつこつ
お骨のほかに
あとひとつ
 
こつこつこつこつこつこつこつ
入れるとしたら
なに入れる?
 
こつこつこつこつこつこつこつ
お骨のほかに
あとひとつ
 
こつこつこつこつこつこつこつ
入れるとしたら
僕はなにを入れるんだろう?
 
 
 
水の音がする。聞き覚えはあるが、なんだったろう、この音。
気がついたときには、もう、そこに居た。一瞬、会議室かと思ったが、そうでないことはすぐわかった。無機質な白い壁は、ぼやけている。透けている、という感じ?
壁も、床も、天井も、すべて透け感のある白色をしていた。
まわりの人の顔は穏やかだけれど、知っている顔はない。
「おや、ずいぶん若いかただこと」
「あら、ホント」
年をとったおばあさ…、失礼、お年寄りの女性が3人、自分を合わせて4人。大きな丸テーブルを囲んで座っている。椅子の座り心地は、まぁ悪くない。
テーブルも、椅子も、女性たちが手にするカップも、壁や床と同じで、なんとなく透けていて、白い。
「こちらの男性は、貴女方がご招待したんですか?」
黒いロングコートの男が傍らに立っていた。眼鏡をキリリと直す仕草がいかにもインテリ風。言いまわしは嫌味っぽいが、僕の疑問を解決してくれそうだった。
「いいえ、銀山しろやまさん。その辺りでふわふわ浮いていたものだから、つい、声をかけてしまって」
「だって、いい男じゃない?」
「しずかさんは、こういう人がタイプなの?」
「あらぁ、まぁ、そうねぇ。タイプといえばタイプだけど。ほら、アタシらだけじゃ、殺風景じゃない?」
女性の会話はテンポがよすぎて、普段から傍から眺めるにとどめている。
「まぁ、お招きしてしまったのなら、仕方がありません。お飲み物は何に致しましょう?」
眼鏡のインテリが、彼女たちの会話をせき止める。
「飲み、もの?」
「ええ。ご覧のとおり、茶話会ですから」
いつのまに置かれたのか、見ればテーブルには、かごに盛られたお菓子がある。クッキーやマシュマロ、これは、え~と、…マカロン?というやつかな?女子が好きそうなお菓子が山盛り。
僕以外は、手に手に、コーヒーや紅茶をすすっている。
白く透き通っていたはずの壁やテーブルは、黄土色の、木目調になっていた。
ああ、夢かな?
「それで?お飲み物は?」
銀山しろやま、といったか?黒コートに黒シャツ、黒髪に黒縁メガネ、靴まで黒い。ああ、手袋は白い。
「あ、え、じゃぁ、コーヒーで」
「コーヒーですね。どうぞ」
すっと、すべるように差し出されるコーヒー。どこから出てきた?と聞こうとして、ああ、夢だから、と納得する。
「それでは、自己紹介といきましょうか?」
3人の中で、一番おだやかそうな女性が、貫禄の笑顔で云った。
「私はトミ、片仮名でトミ、よ。70歳は越えていたはずだけど…」
「86歳です」
「まぁまぁ、そんな年になっていたのね」
「あらやだ、デリカシーのない男ね」
「それはどうも」
インテリメガネは、トレードマークの眼鏡のブリッチを神経質そうに押し上げた。
「アタシはしずかよ。といっても、たぶん本名じゃないけど…ああ、銀山しろやまくん、本名求めてないから。ずっと夜のお仕事をしてたのよ。アタシは62歳、ね」
「わたしはぁ、ハル。わたしも片仮名ね。歳は…いくつ?」
「71歳です」
「まぁ、もう歳なんでどうでもいいけどね」
順に自己紹介を終えた3人の視線が、僕にじんわりと刺さってきた。
「え、ああ、僕は、…小山と、いいます」
「ま、こんな大きな身体で、小さい山、ですって」
「あらぁ、ハルさん。小さくったって山なら大きいわ」
「まぁ、それもそうね、お歳は?」
あれ、いくつだっけ?
「25歳です」
銀山が間髪入れずに答える。
「ま、若いわ~」
「いいわね、若さって」
「若いってだけで、もう財産よねぇ」
「小山さん、下のお名前は?」
「え?あぁ、修二、ですけど」
「え?シュウジ、さん?」
「え?え?え~!素敵っ!」
「まぁ、シュウジさん」
なぜか異様な盛り上がり。え、なんで?
「ああ、そういえば3人ともお好きなんですよね。カヤマシュウジさんという、俳優さんでしたっけ?」
「そうなのよぅ!シュウジ様!」
「若返るわぁ」
「おふたりとも、小山さん、困ってらっしゃるわ」
いや、困っているというか、なんだか恥ずかしい。
「はいはい、皆さん。茶話会さわかいを進めてまいりましょう」
台詞を吐きながら、眼鏡の男が、白い手袋をパンパンと打ち合わせた。
「その、茶話会さわかいって、何ですか?」
銀山しろやまさんが開いてくださったのよ。え~っと、なんでしたっけ?トツゼンでキュウサイがなんとかって…」
「死時計管理委員会、突然死救済係、です」
「ああ、そんな感じだったわねぇ。それでね、ひとつだけ、持っていけるそうなの」
いや、何が何だか…さっぱりわからない。
「それ、説明します?」
銀山は、ひどく疲れた調子で僕を見下ろしている。
僕は恐る恐るうなずいた。
銀山は、ひとつ長い溜息を吐いて、襟と姿勢を正した。
「あなたは、輪廻転生という概念はわかりますか?」
「え?…まぁ、言葉だけなら」
「よろしい。では、それをふまえてお聞きください。
これからさせていただくのは、あなたがどこからやって来て、どこへ逝くのか、というお話です。
あなたご自身は、魂という存在です。本来、天界という美しい世界に生まれるはずだったのですが、魂には幾ばくかの穢れがあり、穢れを払うまでは、天界に生まれることが出来ません。穢れを払うため、肉体をまとい、ここ、現界げんかいで何度か生まれ変わる、それが輪廻転生です。
生まれ変わるたび、記憶はリセットされますが、体験や経験、功績は『徳』として上書きされていきます。
天界に転生するにはある一定の徳を積む必要があり、一度の生涯では積み切れません。何度か生まれ変わるのがセオリーです。この繰り返す転生の運営を円滑に行うため、現界に誕生するとき、魂はその中に『せい時計どけい』と『時計どけい』という、ふたつの時計を持って生まれてきます。
生まれた瞬間は、夢と期待を抱いて、『生時計』すなわち生きる時計、を廻し始めますが、人生のある時期、例えば病気になったり、身近な誰かの死に直面したり、何らかのきっかけで、自分がいつか死ぬ事を悟ります。死をより具体的に想定したとき、それまで廻してきた『生時計』から、自分が死ぬまでに何を残そうかと逆算する『死時計』に切り替わります。
順当な人生ですと、『生時計』から『死時計』に切り替わり、徐々に死を受け入れ、死亡した後は次の誕生の準備をする『輪廻転生の輪』に正しく組み込まれていくのですが、稀に『生時計』を回している最中に死に直面する魂が存在します。死に対する心の準備がないまま、死に直面した魂は、死出の準備がままならず、輪廻転生の輪に戻れない、転生の迷子になってしまうケースが多いんですよ」
いけしゃあしゃあと、流暢りゅうちょうな解説をありがとう。話の内容は、まぁファンタジーの域だったが、理解できなくはなかった。
『生時計』と『死時計』か。
なるほど、人生の中で、生き方の質が変わる分岐点、という意味合い、なんだろうな。
「ええ、そのとおりです」
なんだろう、さっきから心の中を読まれている気がする。
「私共、死時計管理委員会・突然死救済係は『生時計』を廻している最中、つまり死の覚悟ができていない状況で死に直面した魂の皆様が、転生の迷子にならないよう介入しております。
受け持ってきた案件は、概ね40歳未満の心臓疾患や脳疾患、交通事故などの突発的な事故被害者の方が多いのですが、稀にいらっしゃるんですよ、今回のように、自分が死ぬなど微塵にも思わず、死の直前まで『生時計』を廻していらっしゃるケースの方。ね、トミさん」
話を振られたトミさんは、長く生きてきた年輪のような、奥深く、それでいて含みを持った笑顔を見せた。
「おかしいですかねぇ?だって、月までいける時代でしょう?100歳越えても生きてそうじゃないですか?」
「たいていの方は、万が一、という懸念を持つのですよ。周囲で誰かが亡くなった時など、自分だったらどうするだろう、と考えるものです」
「他の人は、他の人だから。私は、私だから。でもそうねぇ、危機感がない、というのは確かに、周りに云われたような?」
「トミさんはトミさんで、一生懸命生きてきたのよ~?そんな責め立てちゃぁ可愛そうじゃないのよぅ」
「いえ、むしろ、規格外なのはしずかさん、ハルさん、あなたたちの方ですから」
銀山しろやまの瞳が、眼鏡の下で鋭く光る。
「だって…」
「ねぇ」
しずかさんとハルさんは、お互いの顔を見合わせて、ため息をついている。
「ここ何年も、誰も来てくれないし。話すことすらできなくなってしまったんだもの」
「最期くらい、誰かに聞いてほしいじゃないの」
誰も来てくれない?話を聞いてほしい?
やはり今一つ、この集まりの趣旨はわからなかった。
そしてほんの一瞬、瞬きする間に、茶話会さわかい会場は真っ暗になった。チカチカ光る星のようなものが見える。プラネタリウムが映す満天の星空に浮いているみたいだ。
「では、どなたから始めましょう?」
ホスト役の銀山の声が響く。黒いコートは闇に溶け、不気味に、声だけが振動する。
「じゃぁ、わたしから」
ひときわ身体の小さなハルさんが、口を開いた。
そこは360度スクリーンシアターのようだった。ぽつり、ぽつり、話し始めたハルさんの言葉を忠実に再現するかのように、臨場感のある景色が写る。
断崖絶壁の合間に透き通るような美しい川が流れている。緑の匂いと、光と影。空が黄昏色に染まると、熱を帯びた炎の匂いが混じり、少し離れて、祭囃子のような音が響く。
「高千穂峡、かしらね?」
「ご名答!」
嬉しそうに、ハルさんが笑った。
「倒れる少し前にね、孫が連れて行ってくれたのよ。そりゃぁもう昔から、何故だか行きたかった場所で、おじいさんが生きている内は、世話で忙しかったからね。孫がね、大学卒業の春に、ばぁちゃん、行きたがってたろうって、何もかも用意してくれてねぇ。フフ、孫はね、と~っても、背が高くてね。私と歩くと、キリンとアライグマみたいだったねぇ」
船に揺られて、川をゆっくり下るように、景色が流れていく。ざわざわと、風に揺られる木々の音、ダイヤモンドを散りばめたような水面。鳥の声。懐かしい場所に戻っていくような、やさしい感情があふれていく。
「アタシのは、こんなの美しくないけどw」
しずかさんが声を上げた途端、景色は空転して、辺りは黄金色の光に包まれた。
「25の時だったわ。そりゃぁもう磨きがかかって、飛ぶ鳥落とす勢いで赤坂にお店を出したのよ。アタシが一番輝いてた時代ね」
「まぁ、驚いた!」
「ほんとね」
照明は薄暗いのに、目にチカチカと刺さる光の束。ピアノの生演奏。乾杯~とグラスを合わせる声。
「を~、これはこれは」
「あ~ら、銀山シロヤマちゃん、こういうの、スキ?」
「好き、とか嫌いとか、ではありませんが。そうですね、人間らしいところが、いいですね」
「んもう、銀山ちゃん、カタイんだ・か・ら」
しずかさんは少し腰を浮かせて、2人掛けのソファーの片方に寄った。ほらほら、と、空いた一人分のスペースに座るよう、銀山に手招きしている。
「勘弁してくださいよ」
そう、ドラマでよく見る夜のお店の風景だ。
「もう、堅物もそこまで行くと化石よ、化石」
「化石、ですか」
「ねぇねぇ銀山ちゃん、下の名前は?」
魅羅緒みらお、です」
「ミラオ?」
「魅力的の魅に、羅生門の羅に、鼻緒の緒」
「うっわぁ!鼻緒って、銀山ちゃん明治の人?」
「あ~すみません、この状態が続くと辛いので、トミさん、お話進めていただけますか?」
「あら、私の番なの?」
すとん、と、辺りは再び暗闇に包まれた。闇のように感じたけれど、目が慣れてくると、そこは山頂のように見えた。
張り詰めた、冷気。耳の奥がつんとするような、静寂。
そこに突然差し込んでくる、暖かい光。日の出、だ。
「夫は定年の後、山登りに熱中してね。一度だけ、一緒に富士山山頂の元旦の初日の出を見に行ったの。登山なんて縁がなくて、練習だ練習だと、高尾山に何度も登らされたわ。最初は納得がいかなくて、夫に振り回された人生そのもののような気がして、山の事が嫌いになったけど、夫が、まるで出会ったころのような、それこそ少年のような顔をして登る様子を見ていてね。ああ、100歳まで生きてやろう、この人の隣でなら永遠に生きていける、そう思ったのよ」
日は昇り、沈む。
天に大きな弧を描いて、世界を包むように。
「夫はもともとお酒が好きな人でね、さっさと先に逝ってしまったけど。『生時計』だったかしら?たぶん私の時計は、夢も希望も持たずにただただ廻っていたのでしょうけど、この日の出が、私に生きる意味をもたらしたの。誰かと生きる、生命を生きる。またこの世界に巡ってこられるなら、この景色を、持っていきたいわ」
「持って行く?」
つい、口をはさんでしまった。
「ええ、持って行くのよ。次に生まれるための希望として、記憶の中からたったひとつだけ、想い出を持って行く。…そうよね、銀山しろやまさん」
問われた銀山は、奥深い笑みで静かに頷いた。
この茶話会とやらの趣旨は、つまり?
「『生時計』を廻しながら、突然死に直面した迷える魂を救済するのがわたくし、死時計管理委員会・突然死救済係の仕事です。今回は、自分があたかも永遠に生きると信じて生時計を廻し続けるトミさんが『心臓発作』を起こし死亡されたので、救済措置が発令されました。その彼女のすぐ近くに、次の輪廻に旅立つ事をかたくなに拒んでいる魂、ハルさん、しずかさんがいらっしゃったので、まとめてお迎えして来いと上司につつかれましてね。まぁ、船はもともと3人乗りですし、ご一緒するならお茶でも囲みながら、持っていく想い出選びでも致しましょうと、この会を設けさせていただいたんです」
銀山の口調は、憎らしいほどに軽やかだった。
「僕は、なんでここに?」
「それは最初に申し上げたでしょ?その辺りでふわふわ浮いていたものだから、つい、声をかけてしまって」
トミさんの笑みは、やはり奥深い。
「あなたは、戻るのでしょう?」
「まだまだ、お若いものね~」
「そうよ~。もう少し、頑張って来なさいよ」
3人が、それはもう眩しそうに、自分を見ている。
「ねぇ、銀山しろやまさん、この方、戻るんでしょう?」
「もともと無理に、この輪に引きずり込んだのは貴女たちでしょう?」
「まぁ、引きずり込んだなんで人聞きの悪い」
「そうよ~、ちょ~っと若い子とお茶したかっただけじゃない?」
「まぁ、今更、構いませんけど。でも、…あれ?」
腕を組んだまま、銀山が首を傾げる。
「この人、足りないみたいですね」
「足りない?」
「ええ、指が…」
銀山の言葉をかき消すように、大きな振動と爆音が来た。360度スクリーンが、激しく飛び交う壁や屋根で大きく乱れた。
頭がくらくらする。脳も心臓も、緊急事態を叫んでいた。
この瞬間には見覚えがある。
事故。爆発事故、…だったのか。
「おい、修二くん!」
「誰かいるのか?」
「彫刻の兄ちゃん先生だよ、おい、担架!」
僕を抱き上げているのは、父の代から世話になっている画廊の山崎さん。
山崎さんも、額から血を流している。
ああ、そうだ。今日は、山崎さんに紹介された仕事の、現場の下見に来ていたんだ。
我が家は父が画家、妹がその卵、自分が彫刻を志す創作一家で、父との取引でよく顔を合わせていた山崎さんは、自分のことを未来の彫刻家、彫刻の兄ちゃん先生と愛情をこめて呼んでくれていた。
その、山崎さんの紹介で、青山に新規オープンする高齢者マンションのロビーのオブジェの仕事を引き受けた。富裕層をターゲットにした介護付き高級マンションだという。
オブジェの制作に入る前に、現場の広さを確認したかったんだ。
空気がきな臭くて、咳こむ口を思わず押えた。けれど、その右手は…。
「2本…、いや、3本」
耳元で深く響く銀山の声が、僕をこちら側に引き戻す。
「工事現場…ガス爆発のようですね」
自分の目に映る右手には、指が2本しか、ない。
「あなた、指を使うお仕事…」
やめろっ!思い出したくない!
「なるほど」
指がない?指がないってどういうことだ?
「どおりで、こちら側に惹き込まれた訳ですね」
「やめてくれ!」
ユビがナイなんて、…シンダホウガマシダ…
いつか父のような画家になりたいと思っていた。
幼いころはそれなりに評価された僕の絵も、高校を出る頃には、周囲と差異のない、平凡な作品になっていった。
妹の絵が評価され始めると、なんとなく居場所がなくなって、迷いながら美術大学に進み、彫刻と出逢った。僕の才能は、平面ではなく、立体の世界で花咲いた。
国際的な賞を取ったことで多少名が売れて、仕事の依頼が入り始めた、そんな矢先だった。
10本の指、それが僕の世界を彩る魂そのもの。
「私のを、あげるわ」
そう云って、トミさんは右手の中指を折った。
「そうね、アタシのも、あ・げ・る」
しずかさんは、右手の薬指を折った。
「短いけど、我慢してね」
ハルさんは、小さな小さな右手の小指を折った。
折った指を、僕の右手にはめてくれる。つないでくれる。
「でも、気をつけてね。私たちの骨じゃきっと、カルシウムが足りないわ」
「そうねぇ、すかすかになっているもの」
「でも、働きものの手よ。5人も育てたもの」
「大変な戦後を生き抜きましたからね」
「戻ったら、小山ちゃん、たくさんカルシウムを摂るのよ」
「カルシウムだけじゃぁだめよ。ビタミンDも摂らないと。カルシウムを吸収するにはビタミンDが大事なんだから」
「ねぇ、いいでしょ?銀山ちゃん、冥土めいどの土産よ」
「土産とは、持って行くものでは?」
光が反射して、銀山の目元の表情はよく見えない。
「いいのよ、私たちは想い出を持って行くから」
 
 
こつこつこつこつこつこつこつ
お骨のほかに
あとひとつ
 
こつこつこつこつこつこつこつ
入れるとしたら
なに入れる?
 
こつこつこつこつこつこつこつ
お匣の中に
ただひとつ
 
こつこつこつこつこつこつこつ
入れるとしたら
なに、入れる?
 
 
「小山先生~」
タクシーを降りると、ヘルメットを揺らしながら、現場責任者の篠田さんが駆け寄ってくる。
平日の昼下がり。天気もよいし、空気が清々しい。
「先生、お忙しいところすんません」
「篠田さん。よしてくださいよ、先生というのは」
「いんやぁ、でも」
篠田さんは語尾を濁しながら、姿勢を正した。
「お待ちしておりました、小山先生。一同、感謝しきれぬほど、先生に感謝しております」
建設現場の事故から2年。自分をはじめ、重傷者を多数出したけれど、死者はゼロで、事業は仕切り直しをはかり、当初の予定から2年4カ月遅れて建設が進んでいる。
事業元から十分な見舞金を受け、1年ほどリハビリをして、僕は彫刻の仕事に復帰していた。
あんな事故の後だったから、周りの誰もが首を傾げて「まさか引き受けるとは」と云った。僕の本当の指が埋まっている場所、件のマンションのオブジェの仕事を、再び引き受けていた。
「ご指示の場所に配置したんですが、あとは先生にチェックをいただければと」
「はい、判りました」
篠田さんからヘルメットを受け取り、現場に入る。
7日前に仕上がったオブジェは、指示した通りの場所で、差し込む陽光を浴びでいた。
「これは、魚、ですか?」
僕がオブジェを見上げえる背後で、一緒にオブジェを見上げていた篠田さんが問うてくる。
「あ、すんません。こういう芸術的な感じのって、どうもうとくて」
「こういうのは、感性なので、ご自由に解釈されて構わないと思うんですが。モチーフはおっしゃるとおり、魚です。3体の魚が、仲良く天に昇るイメージで作りました」
「へ~、天に昇る魚ですか」
ひとつはスマートに縦長
“空飛ぶ魚の骨?斬新ね”
ひとつはぽっちゃりでくねらせて
“ぽっちゃりなんて、失礼な男ね”
ひとつは小柄で躍動的に
“まぁまぁ、明るくて気持ちいい”
3体は、均等に捻れて旋回し、共に天を仰いでいる。
「しかし、なんで骨なんですか?」
それはよく聞かれた。尤もな質問だ。
「骨のほうが躍動感が描けるかなと思って」
「へ~」
「篠田さ~ん、すみません、こっちちょっといいですか?」
ロビーの外入り口から声がかかる。
「ああ、来たか!先生、すんません、ちょっと抜けますね。微調整は、また後ほど」
「お構いなく」
「ほんと、すんませんっ」
小走りに去る篠田さんの背中を見送りながら、僕は改めて、オブジェを見上げた。
以前と比べ、右手の握力は半分程度になり、造形作業には時間がかかる。けれど、作り続けられる喜びに比べたら、苦でもない。
普段から手を保護するためにはめている白い手袋を外し、手で直に、作品に触れる。
トミさんの中指、しずかさんの薬指、ハルさんの小指。長さも太さもアンバランスで、不格好だけれど、どの指も、自分の意思どおり、動く。
事故でけがを負った手、という解釈で、このアンバランスさも説明がついた。
リハビリは頑張ったよ。骨が丈夫になるよう、カルシウムを意識して摂った。勿論、ビタミンDも。
「やれやれ、記憶が残ってしまいましたか」
いつの間にそこに居たのだろう。黒いロングコートの男が背後に立っている。
「芸術肌の人はこれだから。シックスセンス、というやつですかね」
銀山しろやま、さん?」
「おや、わたくしの事もご記憶で」
穏やかな営業スマイルのようでいて、瞳は笑っていない。まさか、この男、僕の指をとり返しに来たんじゃ…。
「持っていったりしませんよ。もう完全に、あなたに根付いてしまっていますし。まぁ人間の骨で挿し木のような芸当ができるなんて、愉快で仕方がありません。それに…」
銀山はうやうやしく頭を垂れた。
「あなたの中では今は『死時計』が廻っている。わたくしは死時計管理委員会・突然死救済係のもの。『生時計』を廻している人が顧客です。あなたのことは、わたくしの管轄外ですから」
頭は下げているが、口元はいたずら気に笑っている。そんな気がする…。
「おや、ばれました?」
「え?」
「素敵な作品ですね」
銀山は僕のオブジェを穏やかな瞳で見上げていた。辺りにこぼれる陽の光と重なって、その姿は見えにくかった。
「先頭がトミさん、そして、しずかさん、ハルさん、と」
「あのっ」
「はい?」
「ありがとう、と云うか。その、何とかやってますって、皆さんにお伝えしたいんですけど」
「無理です」
え、即答かよ。
「3人とも、次の輪廻に旅立ってしまいましたから」
次の、輪廻。…ああ、転生を繰り返すって云ってた、あれか。
「ああ、本当によく覚えていらっしゃる」
忘れる訳がない。僕に指をくれた3人のおばあちゃんたち。
「ああ、なるほど。指の方が覚えていたんですね」
手袋をはめているのに冷たい銀山の手が、僕の右手をすくい上げた。
「いや、これはまずいな」
「え?」
「幸運と不運の情報量のバランスが」
は?また訳のわからないことを。
「あいや、…そうですね」
銀山は、両手を後ろに組んで作ったような澄まし顔を見せた。
「ホメオスタシス、という言葉はご存じですか?」
「え?なんです、それ」
「簡単に言えば、平均値であろうとする肉体や精神の働きのことです。
例えば、肉体であれば、体温が上がったら汗をかいて体表面の温度をさげる、逆に寒かったら身体を震わせて体温を上げようとする、というように、肉体の生存確率を上げるために無意識に平均値に戻そうと行動するんです」
「あ、それ聞いたことあります」
「そのホメオスタシスは、幸運や不運といった運勢にも当てはまりまして。
一生涯を通して、幸運と不運はプラスマイナスゼロになります。大きな幸運と出逢う方は、同等の不運も経験する。ふり幅が大きいほど、人生は波乱万丈になるでしょう。
あなたは3本の指を失いましたが、奇妙なめぐりあわせで、それに代わる指を得た。本来はそれで運勢がプラスマイナスゼロになるはず、…なのですが、どうやらその3本の指のせいで、あなたの幸運値があがってしまっていますね」
「え、どういうことですか?」
ついつい、この男の流暢な物言いに呑み込まれそうになるが、その内容が不穏当極まりない。
「ああ、幸運値が上がった分、不運のふり幅が大きくなる、という訳ではないのでご安心を。挿し足した指たちがあなたの幸運値を押し上げようとしていて、予定値より底上げされているようですね」
声はしていたが、銀山はいつの間にか姿を消していて、そもそもそんなものは存在しなかったかのように、辺りは穏やかな静寂に包まれていた。
また、幻を見たんだろうか?
いや、違うな。
確かに指はここにあって。確かに僕はここに立っている。
そうか、あの3人が一緒に頑張ってくれているのか。なんだか心強い。
「先生~、お待たせしまして…」
篠田さんが急ぎ足で戻ってきた。
「じゃ、微調整、お願いしていいっすか?」
「よろしくお願いします」
高千穂の緑も、お店の喧騒も、日の出の光も。
どれも美しい輝きだった。
絶望のどん底に陥って、生きる希望を失くした僕に、指と希望をくれた3人のおばあさん達。
あれ?銀山は「今は『死時計』が廻っている」と云ったな。ということは、あの時は…。
「ま、いっか」
「え、先生、何て」
過去のことを深く考えるより、未来の希望を見つめたいと思う。
あの事件は僕にとっての分岐点。誰の人生にも、何度も訪れるのだろう。
「なんでも、ありません。その、角度の調整をしてみようと思うんですけど」
願わくば。
仲良く天を目指す骨の魚たちが、見る人の心に目指す喜びを届けてくれますように!なんて恰好カッコいい台詞を脳内で吐いてみたけれど。
中空で、3人が笑っているような気がした。


【Next Episode;夏の夜空に月雫】


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