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野生発酵でもワインがクリーンに仕上がる条件は何なのか?

こんばんは、じんわりです。

 今夜は「野生酵母」および「野生発酵」というキーワードにまつわるお話を。


 ワインの紹介文や説明を読んでいると「ビオロジックで栽培、“野生酵母”で発酵し~」のような文言が出てくることがありますね。

 巷では「自然酵母」「天然酵母」などと呼ばれることも多いですね。本稿及び幣ブログではこれら表現を「野生酵母/野生発酵」に統一しています。理由は以下別稿の後半部分に綴っています。

    「Natural(自然)」と「Wild(野生)」の混同


 野生発酵というと「市販酵母を意図的に使用せず、栽培から醸造の過程の“どこかに”自生する酵母(野生酵母)の力を借りて発酵を行うこと」という意味を持つことが一般的でしょうか。本稿では以降これを野生発酵と定義してお話を進めますね。

 近年のナチュラル志向の高まりもあり、いち消費者の実感としても私の仕事場においても、野生発酵(自然発酵)という言葉や概念の登場頻度が年々増している印象を持っています。

 「ワインとは自然かつ土着的な存在であるべきで、加工食品のような工業的普遍的な性格を持ってはいけない」という潜在意識が消費者さんの側に(一部造り手さんの間にも)あるように思います。

 そのため「市販酵母を使用する」と聞くと「工業的/化学的なものを天産物に混入する」「本来そのワイナリー、畑や産地に由来しないものを地場産品たるワインに混入する」といった負の印象がつきまといがちなのかもしれません。確かに消費者さんの視点に立つとそういった心情に共感はできますし、市販酵母を使用しているワイナリーや醸造家さんも同じように共感されていることでしょう。

 ではなぜ市販酵母を使用するのかというと、ほとんどの市販酵母が非常に低い成功確率で自然界から見出され製品化されていることを造り手側は知っていること。そして、主には品質の向上と安定に理由があるのですね。野生発酵を選択して一定以上の品質(例えば、味匂いに居心地の悪さを感じない)を製造バッチ毎にばらつきなく維持することは、宝くじの上等に当選し続けるくらい難しいかもしれません。

 造り手さんが野生発酵を選択する動機は何なのでしょうか。私が経験してきた限りでは、「ワインは自然かつ土着的であるべき」というような思想信条と、「野生発酵の方が美味しくなると信じている/過去に野生発酵で造ったワインを飲んだところ美味しく感銘を受けた」という味への拘り、の2つ動機があるように感じています。

 前者については醸造家さんや消費者さんそれぞれのワインに対する「思い」や「べき論」であり、テーマがやや大きめなので本稿ではこれ以上掘り下げないでおきますね。類似のテーマで自論を綴った別稿がありますので、以下ご興味があればご一読下さい。

 後者についてさらに掘り下げてみます。

「野生発酵の方が美味しくなると信じている」
 ワインにおける発酵の主役はSaccharomyces cerevisiae(以下SC)という酵母種です。「酵母」といってもSC種以外にも世の中には色んな属種の酵母が存在します。もちろんワインの世界においても同様ですね。以降の文脈では非常に雑ですが記述の単純化のためにアルコール発酵の主役であるSC以外の酵母種をひと括りにnon-SCと呼ぶことにします。

 野生発酵の場合、畑から入ってきたぶどう果皮に付着するSCの数的割合は少なく、まずは何等かのnon-SCが発酵初期のもろみ(発酵中の果汁のこと)を支配するのが一般的でしょう。non-SCはアルコール耐性が一桁%台の種がほとんどなのに対し、SCのアルコール耐性は10%以上が通例であるため、アルコール発酵が進むにつれてnon-SCはアルコール毒性に耐えられず、高アルコールに耐えられ徐々に数的割合を増してきたSCに第一党を奪い取られます。

 一方市販酵母の場合、多勢の菌数を一気にもろみに接種しますので、non-SCを含めた他の微生物グループは短期間で制圧されるか勢力を拡大できないまま抑え込まれることになります。“理屈上”発酵に関与する微生物は市販酵母のみになりますね。

 多くの異なる微生物が発酵に関与する方が味香りの要素となりうる代謝物には広がりがもたらされるでしょうから、野生発酵を選択した場合、とんでもなくおいしくおもしろいワインもできる可能性があるでしょう、上手くハマれば・・・。

 そう、上手くハマればなのですね。そして、往々にしてハマらないのが現実ですね。Non-SCのみならず、SCであっても野生であればどのような素性か全くわかりません。

アルコール耐性は?亜硫酸耐性は?好適発酵温度帯は?栄養要求性は?望まれる/望まれない味匂い成分の代謝特性は?ワインを造ったときの官能評価結果は?

 市販酵母はこういった選抜クライテリアを奇跡的な確率で通過してきた一握りのエリート達です。

 それゆえ、偶発的な野生酵母が市販酵母と遜色ないパフォーマンスを示す頻度(確率)は極めて低いのではないでしょうか。場合によっては発酵を終えられない(残糖を食い切れない)こともありえるでしょうし、ワインが汚れてしまうリスクもあるでしょう。

 また、ぶどう果皮やもろみ中には酵母以外にも野生の乳酸菌や酢酸菌のような悪玉も生息しています。彼らはワインを汚す危険な存在であり、SCがもろみを数的に制圧するまでの時間が長ければそれだけ悪玉が増長するリスクも高くなるのですね。

 しかも初期もろみの菌叢やその変遷は製造バッチ毎に異なるはずなので毎回が出たとこ勝負の醸造になりかねません。


「過去に野生発酵で造ったワインを飲んだところ美味しく感銘を受けた」
 造り手側の心情としては「今以上に美味しいワインを造りたい、自らの限界を超えたい」という渇望があるものですね。そこに運命を変える原体験が訪れれば、前述のような微生物汚染+発酵不全+品質不安定のリスクは承知しつつ、野生発酵の可能性に賭けたい気持ちが芽生えても不思議はないでしょう。

 それらリスクをそもそもリスクと捉えていない作り手さんもいらっしゃるように思います。野生発酵のリスクに対して科学的に疎い、野生発酵のリスクを理解しているが品質のばらつきや不快臭はある程度許容する(ある程度で済まない場合もありえますが)、野生発酵のリスクを理解しているが品質をコントロールする方法を何らか体得している、といったケースですね。

 私は運命が変わるほどの1杯に出会ったことはまだありませんが、確かに野生発酵と謳われているワインでも「え?ほんとにコレ野生発酵?」と疑ってしまうほど不快臭が感じられない/不快臭の程度が極めて低いワインに出会うことも少なくありません。

 例えば、故浅井宇介氏が賛辞を贈ったニュージーランドのあのワインもそんな印象でした。遠い昔のことで詳細は忘却し記録もとっていませんが、硫化物の香味が少し気になった程度で汚れた印象を受けなかったように記憶しています。あのワインは野生発酵なうえに温度管理もせず亜硫酸も使わないそうなので、私が教え込まれた「常識」には全く収まらず、どう捉えていいのか・・・。今もって困惑するばかりです。

 同じ野生発酵でもクリーンに仕上がっているワインとそうでないワインの違いは何なのでしょうか? 私には真実はわかりません。もし答えがあったとしても、それは一つではないかもしれません。

 とはいえ、ぼんやりとした仮説は抱き続けてきたのですね。

 野生発酵ワインをクリーンに仕上げる条件として、ワイナリー施設内や設備用具のサニテーション、適熟健全果を収穫できる気候環境と栽培者の実力、丁寧な選果作業、適正なタイミングと量の亜硫酸使用、市販酵母接種時とは異なるプロトコルでの発酵温度コントロールなどは必須でしょう。果たしてそれらが全てでしょうか。

 野生発酵を宗とし、丁寧な仕事を行っていると思われるワイナリーのワインでも、私にとってクリーンだと感じられないものは少なからずありました。もしかすると何か他にも成功要因があるような気がしないでもないのです(もちろん、思い過ごしかもしれません)。


野生発酵の酵母はどこから来るのか?
 「野生発酵に関与する酵母の菌叢推移を時系列で辿る」という興味深い一連の研究をカナダのUniversity of British Columbia(以下UBC)が発表しています。そのうちのひとつを引用します。


UBCの市販酵母接種 vs 野生発酵 試験研究概要

試験デザイン概要
市販酵母使用実績のあるワイナリー3箇所計12タンクで試験
タンク1~3 ← 市販酵母を接種
タンク4 → 野生発酵を選択=市販酵母を全く接種しない
低温浸漬時、発酵初期、発酵中盤、発酵完了時の時系列4点で菌叢をモニターし菌株レベルで相対的な勢力分布を確認
主な結果
・12本のタンクいずれも低温浸漬時は野生酵母がもろみ中で優勢となった
・市販酵母接種タンク9本は発酵初期以降は複数市販酵母がもろみ中で優勢となった
・野生発酵タンク3本中2本(つまり3醸造所中2か所で)で、発酵初期以降に複数市販酵母の増殖と優勢な分布が見られた

 野生発酵試験区でも低温浸漬時点ではタンク3本とも野生酵母が優勢なのですが、内2本は発酵初期以降に植えたはずのない複数の市販酵母がまさに“どこからか湧いてきて”もろみを制圧してしまいました。つまり、

「醸造所内で市販酵母の使用実績があれば、野生発酵を行ったつもりでも過去(もしくは同時期)に使用された複数の市販酵母が混入し発酵に関与する可能性がある」

 と言えそうです。UBCの研究を引用したIowa State University のコラムでも、「この現象は市販酵母を接種しなかったワインによくあるケースだ」と述べられています。


大切にすべきものは何か?
 UBCの研究結果を目にしてからは『野生発酵でありながらワインがクリーンに仕上がる条件の一つ』として、『市販酵母によるポジティブな交差汚染』(言葉の使い方がいろいろおかしいのですが比喩的表現としてご容赦くださいませ)という現象があってもいいだろうなと思うようになったのですね。勿論、そのことが決定的なファクターであるとは思わないのですが、一条件として考えると私の中のモヤモヤが少しだけ晴れるのですね。「それなら野生発酵があれだけクリーンに仕上がっても疑問はないな」と。

 この「野生酵母と市販酵母による意図せざる連携発酵」にツッコミどころは残るものの、香味質の奥行き感とワイン品質の安定という背反しがちな達成目標を、ある程度高いレベルで両立してくれる可能性があるように思います。野生と市販の良いとこどりと言いましょうか。市販酵母を直接接種していないという意味でマーケティング的な野生発酵という「形式」も保たれます。
 
 発酵の初期段階において、野生のnon-SCに香味の幅を広げてもらい、アルコール発酵を安定的に完了する役割は蔵付き化した/意図せず混入した市販選抜酵母に担ってもらう、という図式ですね。もちろん、初期に大量菌数の単一市販酵母を接種しないリスク=汚染菌にワインが冒されるリスクは残るのですが・・・。

 少し刺激的な意見ですが、ワインがおいしくなるならこういうプロセスもアリだろうと私は思うのですね。
 発酵に対する姿勢やアプローチが土着的で非人為的(=いわゆる自然)であるという「付帯情報」はワインにおけるひとつの価値ではありますが、ワインの瓶の外側にある情報よりも、その瓶の中身は全くのブラインドで飲んだときに真においしいかどうか、それが一番大切だと私は思うのですね。

 そういう意味ではどちらかというと私は市販酵母に与する立場でしょうか。市販酵母に強いこだわりもないのですが。手に取ったワインが自分にとっておいしければそれでいい、というスタンスですね。

 ああでもないこうでもない・・・と書き殴りました。UBCの試験タンク12本から造られた各ワインに対して、ブラインドテイスティングの結果があればさらに興味深かったでしょうね。(あれだけの試験を計画して実現できていること自体が凄いので、これ以上要求するのも無茶な話ですが・・・)

 今夜はこのあたりで。

さんて!

じんわり

参考文献:
https://www.bcwgc.org/sites/default/files/media/files/Jessica%20Lange%20UBC%20yeast%20populations.pdf
https://www.extension.iastate.edu/wine/native-yeasts-and-microbial-terroir
戸塚ら、新ワイン学、2018
Ribéreau-Gayon et. al., Handbook of Oenology Vol.2
Combina et.al., Dynamics of indigenous yeast populations during spontaneous fermentation of wines from Mendoza, Argentina, 2004
Torija et.al., Yeast population dynamics in spontaneous fermentations: Comparison between two different wine-producing areas over a period of three years, 2001


関連稿:

「自然」と謳えるルールによりワインのおいしさは保証されるか?




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