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メルシャン軽井沢ウイスキー蒸留所の足跡をたどる -歴史の終わりと継承-

日本のウイスキー史や各蒸留所の製造工程を丹念に描きだした力作、ステファン・ヴァン・エイケン著『ウイスキー・ライジング』を読んでいると、ある蒸留所の記述から受ける印象が心から離れなくなります。
そのエモーショナルな文章と写真に、私まで感情移入してしまうその蒸留所の名は「軽井沢蒸留所」、すでに失われてしまった閉鎖蒸留所です。
ジャパニーズウイスキーをより深く知ろうとするなかで、秩父蒸留所の設立当時を追ってみると、そこにも軽井沢蒸留所の名が現れます。

ここでは、メルシャン軽井沢蒸留所について、断片的に集めた情報をまとめます。また最後に、2021年12月に工事が開始された軽井沢ウイスキー社による軽井沢ウイスキーに係るニュースリリースに触れます。

メルシャン軽井沢蒸留所の略史

 メルシャン軽井沢蒸留所は、1955年に浅間山の麓に設立され、2012年に閉鎖、そして2016年に解体されました。

略史
1955年 大黒葡萄酒、軽井沢蒸留所建設
1956年 ウイスキー生産開始
1957年 「ホワイトオーシヤン」発売
1961年 オーシヤンに社名変更
1962年 三楽酒造がオーシヤンを合併し、社名を三楽オーシヤンに変更
1976年 日本初のシングルモルトウイスキー「軽井沢(特級)」発売
1980年代 税制改正の影響等により事業縮小
1985年 社名を三楽に変更
1990年 社名をメルシャンに変更
2000年12月31日 公式なスピリッツ生産終了
2001年 IWSCで金賞受賞
2004年 自社用の原酒製造終了
2006年 1ヶ月半再稼働(秩父蒸留所の肥土伊知郎氏研修)
2007年 キリングループに
2012年 蒸留所閉鎖
2014年 御代田町の所有に
2015年3月 御代田町が内部設備を一般競争入札に、ガイアフローディスティリング株式会社が505万円で落札
2015年10月25日10~15時 最後の一般公開
2015年11月19~23日 設備運び出し
2016年1月 建物解体、跡地に新たな町役場建設

参考:中日旅行ナビ ぶらっ人 2015年10月23日記事
JWIC「日本ウイスキーの歴史

上記JWICによると、1950年代半ば以降のウイスキーが大ブームとなった高度経済成長期には、寿屋(サントリー)、大日本果汁(ニッカ)、大黒葡萄酒(オーシヤン)の3社が激しくシェアを争い、「ウイスキー戦争」なる言葉も生まれていたとのこと。
1976年には日本で初めてとなるシングルモルトウイスキーを発売し、2001年にはインターナショナルワインアンドスピリッツコンペティション(IWSC)で金賞を受賞するなど、ジャパニーズウイスキーの世界的評価を高める先駆けとなりました。

しかしながら、その後のウイスキー冬の時代、多くの方々に惜しまれながら蒸留所は閉鎖。私の老師※が軽井沢ウイスキーについて語るとき、しばしば「蒸留所でもうウイスキーを造れないと語っていた姿が忘れられない」と悲痛な表情をうかべます。

※軽井沢蒸留所の内堀氏(後述)に浅間山の水を送って頂き、その仕込水でつくった水割りをお店で出したこともあるほど、軽井沢ウイスキーを愛しているモルトバーのマスターです。

メルシャン軽井沢蒸留所の最期の様子は、「nikko81」さんのブログがとても詳細で、その最期を追体験するようです。壁に残された時が止まったカレンダー…当時を知らない私でも物思いに沈んでしまいます。

 48年間ウイスキーを造った内堀修省モルトマスター

ステファン・ヴァン・エイケン氏による軽井沢蒸留所の記述のポイントは、「黄金期の60~70年代から、衰退と閉鎖までを見届け、ウイスキーづくりに人生を捧げた最後のモルトマスター」である内堀修省氏への2015年11月におけるインタビューにあります。
2015年11月といえば、設備の運び出しがあった月です。エイケン氏は、この1週間前にインタビューを行っています。

ウイスキーブームが、もう少しだけ早く到来していたら……。伝説的な存在となった蒸溜所も、1月中の解体工事が決まっている。

出典:『WHISKY Magazine Japan』January 8, 2016「軽井沢蒸溜所の終焉【前半/全2回】」
http://whiskymag.jp/krz_01/

ひとつの歴史は終わったが、軽井沢でウイスキーをつくる夢が完全に潰えたわけではない。…(中略)…
軽井沢蒸溜所が生み出してきた素晴らしいウイスキーの風味を、いつか再び味わうことは可能なのか。そんな質問に、モルトマスターは微笑みながら答えた。「私がいるうちなら、まだできるかもしれない。でも、完全に同じものにはならないだろうね」

出典:『WHISKY Magazine Japan』January 15, 2016 「軽井沢蒸溜所の終焉【後半/全2回】」
http://whiskymag.jp/krz_02/

内堀氏は、2006年に当時休止中だった軽井沢蒸留所の再稼働中に技術指導を行った肥土伊知郎氏の招聘を受け、秩父蒸留所でのウイスキー技術指導をされていたとのこと。メルシャン軽井沢蒸留所の設備は静岡蒸留所へ、そして内堀氏を通した技術は秩父蒸留所へ、継承されていたのですね。

スコッチウイスキーの大著を翻訳された坂本恭輝氏

秩父蒸留所の肥土氏のために、すでに休止中だった軽井沢蒸留所の再稼働を決定したメルシャンの取締役は誰か。その方の名は、2020年5月25日に放映されたテレビ番組『逆転人生 親子2代の夢を実現世界が認めたウイスキー』において紹介されていたとおり、坂本恭輝氏です。
坂本氏は、2004年にご本人が翻訳・刊行された大著『スコッチウイスキーの歴史』によると、1972年に入社し、1977年よりウイスキー製造に従事、1984~85年の2年間はストラスクライド大学留学という経歴の持ち主です。入社12年目の働き盛りにスコットランドへ留学後に帰国された1985年といえば、スコットランドでも数多くの蒸留所が閉鎖された冬の時代。帰国後、どのような思いでウイスキー製造に向き合われていらっしゃったのか、あるいは銀座のバーで肥土氏に出会ったときのことなど、いつかお話をお聞きしたいものです。

坂本氏のウイスキーへの思いについて、『スコッチウイスキーの歴史』の訳者あとがきが心に刺さりましたので、以下、長めに引用します。

昔ながらの伝統製法を頑なに守り続けて…などと伝統的な食品の分野ではよく耳にする言葉ではあるが、真実でもあり、そうでない部分もある。事実、酒の品質は時代とともにあるいはその時々に変わるものなのである。なぜなら、酒は農産物を原料とした加工食品であるが故に絶えず原料の品質変化の影響を受け、また、社会や経済環境の変化によって否応なしに酒の造り方や品質あるいは飲まれ方も変わって行く。例えば、スコッチウイスキーが憧れのスペシャリティであった頃と豊かになった現在とでは飲み手にとってのスコッチのポジショニングが異なり、求められる品質が変わってゆくのは当然である。従って、酒造りの観点で最も大切なのとは酒の品質を変えることのないように維持するというよりはむしろ、その時々で最善の品質を作り上げることに懸命に努力することであり、その結果を飲み手が評価するものであると思う。そういった意味で、酒造りを含む酒文化の今後の方向性やそれが何故なのか、あるいは何が真実かを解き明かしてくれる重要なファクターが歴史であると考えている。歴史の変遷を理解せずに、ある一時期ある瞬間に起こっている事柄で本質を理解したと思うのは全くの錯覚で、本質でない方向に迷い込んでしまう危険性を孕んでいる。

この本を通じてウイスキーの様々なバラエティーや文化的な背景などの情報がさらに広まってゆくことでその素晴らしさが飲み手に認められ、ウイスキー復権の一助になればと願っている。

マイケル・S・モス/ジョン・R・ヒューム著『スコッチウイスキーの歴史』国書刊行会、2004年、pp.300-301。

私は造り手ではない飲み手だからこそ、歴史を学ぼうと志し、あとがきに書かれた想いを継承するような姿を模索していきたいと思っています。

The Keepers of the Quaichに選ばれた酒巻忠義氏

メルシャン軽井沢蒸留所について調べながら、1997年10月6日に、当時の酒巻忠義副社長が「The Keepers of the Quaich」に選ばれたとの記事を発見しました。
The Keepers of the Quaich」は、1988年にBallantine's社、 Chivas Brothers社、United Distillers社、Edrington社、Justerini & Brooks社によって設立された非営利組織です。
元サントリーチーフブレンダーである稲富孝一氏の記事によると、「The Keepers of the Quaich」は、スコッチ・ウイスキーの発展に深くコミットし特に優れた貢献があったと業界から認められて会から招聘された人だけで構成されており、キーパーは国籍を問わず全世界から選ばれているとのこと。
メンバーとして“キーパー”に選ばれることは、一説には「オスカー賞のようなもの」とも称される格式高さがあります。

メルシャン(株)(東京都中央区、03・3231・3910)の酒巻忠義副社長が10月6日、スコッチウイスキー業界とスコットランドの名門・名家が組織する「キーパーズ・オブ・ザ・クエイヒ」(The Keepers of Quaich)の正会員として迎えられた。 

『日本食糧新聞』1997.12.17 8305号 3面

2001年のIWSC金賞受賞前である1997年でのキーパーに選ばれるとは、早い時期からスコットランドでメルシャン軽井沢蒸留所の功績が認められていたのだなあと驚きました。にも関わらずの蒸留所閉鎖…歴史をたどると悲しくなってきます。

軽井沢蒸留所の復活はあるのか

2021年12月7日付報道にて、長野県佐久市の戸塚酒造の戸塚繁社長が個人出資で立ち上げた「軽井沢ウイスキー株式会社」と、Plan・Do・See社、三菱地所の3社により、軽井沢でのウイスキー製造及び連携開始が発表されました。

各種行政協議を経て 2021 年 12 月に着工した新生「軽井沢蒸留所」には、メルシャン軽井沢ウイスキー蒸留所の内堀修身氏が顧問として、また、ウイスキー・ディスティラーであった中里美行氏が工場長として招かれ、ウイスキーの製造を進めていくとのこと。一度は幕を閉じた軽井沢でのウイスキーづくり、いま再び、メルシャン軽井沢蒸留所でのウイスキー造りを経験した方々が集まり、新たな未来を続けようとされているようです。

【軽井沢蒸留所 内堀修身顧問】 コメント
ウイスキー作りで一番大事な要素は「水」。水と風土に恵まれた軽井沢のこの土地で、今まで以上の味わいを醸しだしていきたい。

【軽井沢蒸留所 中里美行工場長】コメント
以前と同じ味はもちろんの事、それを超えるものを期待されていると感じている。内堀さんと、また、ウイスキーを作れることが本当に楽しみ。

2021 年 12 月 7 日付けニュースリリース

新生軽井沢蒸留所の今後に注目していきたいです。