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お金は稼ぐものではなく、貰うものだと思っている話

はじめに

少し尖ったタイトルな気はしているが話を続ける。

何かの参考になれば。

給料は我慢料も意味は分かるけれど

稼ぐのは生きるために仕方ないがある程度稼ぎ切ってしまうと、なんのために働いているんだっけという感情が湧いてくる。

こんな必死で働いて体調を壊したら意味なくね?
とか思ったりして。

生きるための金を手に入れる段階とある程度金を得てからでは仕事するモチベが変わってしまう。

ここ数年はずっと「稼ぐために働く」という感覚で仕事をしていない。
好きなことをしていたらなんか金が貰えたという感覚でやっている。

どうやら私はその方がうまく行くみたいだ。

好きなことをやっていたら金持ちになりましたが理想

絵が好きだから毎日絵を描いていたら買いたいという人が出てきて売れるようになった。みたいなね。

最初から絵を売って生活する!とかいう感覚でやっていると何年も売れないと精神的に落ち込んでしまうかもしれない。

好きが高じてというのがいいね。

私がここ一ヶ月noteを書き倒しているのもそれに近い。

目標はフォロワーを集めてアプリを開発することなんだが、それは必ずしたいことではない。
一応の目標。それをしないと食えないわけでもない。
ちょっと前にプログラマをしていたから環境が整えば、また作りたいな程度だ。

ちなみに環境とは、アプリを使ってくれそうな人たちがある程度集まっている状態のことをいう。

とはいえ、これも1つのゲームだと思ってやっているから真剣にやってはいるよ

???「ゲームは仕事じゃないんだから真剣にやれ」

好きだからやるが決して手を抜いているわけではない

「できればいいな」程度だとできないのではないか?と思われるかもしれないが、結局絶対的な時間が物を言うのではないかと思っている。

鼻息荒くいつも100%でnoteをやっていたら、こんなたくさんの記事は書けていないだろう。
思ったことを素直に書いている状態だ。
テーマも思いつくままに。
記事も100本以上書いているので、どこかで矛盾していることを書いているかもしれない。
そういうのをいちいちチェックしていたら大変だ。
(仕事になってしまうw)

力でいうと60%〜80%ぐらいの力だろう。

まあ文章を書いているときはそれなりに楽しんでしまっているので、力は出しているとは思う。
なんというのか、絶対にバズらないとな!みたいな力が入っていないという感じかな。

誰かの記事を読んでヒントを得てその記事の反対意見を書いているときが一番楽しく記事を書いているような気がするw

1本1本の記事に全力でやっていたら記事を書く前に力み過ぎて更新数も落ちてしまうのではないだろうか。(金をもらっているわけでもあるまいし)

質なのか量なのか

これは個人差がある。

ある程度有名で成功しているクリエイターなら次の作品に期待がかかってしまっているので、適当な仕事はできない。

それに本人も何か発表すれば必ず多くの人に見てもらえるというのもわかっているので、手は抜いて自分の株を下げるようなことはしないだろう。

逆に注目を浴びていないクリエイターは、数撃ちゃ当たるも作戦としては有りなのではないかと思う。

有名になってきたら1つの作品に力を入れていけばいいのではないか?

この辺は人それぞれかもしれない。
ちなみにピカソはとんでもない作品数があるのは有名な話だ。

どう考えても好きだからやっていたとしか思えない。

売れている漫画家も金は十分にある。
金を目的としてはやっていないだろう。
やっぱり漫画を描くのが好きだからやっているに違いない。

金を目的としてやっていないからこそ逆にクオリティの高いものが作れてファンが喜ぶのだ。
その結果、金目当てでコスパよく働こうと思っている人よりも大金が稼げてしまうというロジックなのではないか。

まとめ

noteはクリエイターが集まっていると聞く。

クリエイターなのにコスパよく稼ごうとか言い出したら私は違うなと思う。

とはいえ、ピカソも芸術家というよりはビジネスマンだったみたいなことを言う人もいる。

この記事のタイトルは私は貰うものだと思っているという話なので、みなさんとは違うと思う。

結局、大金が稼げてしまえばどんな手段でも勝ちなのでご自由にどうぞw

それに、年齢と資産にも関係しているかもしれない。

ということで、私はお金は必死こいて稼ぐものというよりは、なんか貰えたって感じでやってますよ。

お金は、副産物的な感じかな。

コスパで考えてnoteをやっていたらコスパ悪いしな。(今の時点では)