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McDonald Romance


その場所には、想い出が宿る。特別じゃない、取るに足らない店。

とにかく金が無い大学生にすこぶる寛容で、マスターのじいさんがやかましい喫茶店だった。財布の底が見えてしまっても笑い合えた。だいたい今時キャッシュレス対応していないその店が悪いのだ。コーヒー代 380円を契機に、学生の憧れとは程遠いオンボロカフェに通う羽目になった。

忌まわしきパンデミックに伴うステイホーム期間が明け、大学で友達や恋人ができるたびに、その店に足を運んではじいさんにちょっかいを出された。たまにマジで腹が立った。ただ、コロナにサークル入会のチャンスを奪われ、尚且つゼミの女の子と一悶着があった僕にとって、その場所はありがたいもので居心地もまあ悪くはなかった。

対面授業とオンライン授業が混在するバカカリキュラムに文句を垂れながら、キャンパスと店を行き来する。時にはじいさんにレポートを書かせたこともあったが、消費者心理学の何たるかを全く分かっていない。そりゃそうか。それはそうと、僕のパソコンで小テストを受けて20点を叩き出したことは絶対に許さない。逆になんで20点は取れるんだよ。

ある時、店で音楽を聴いていた。King Gnuのライブに行くことが決まっていたのだ。数日前からアルバムを聴き込むのが礼儀だ。最近の音楽に興味を持ったじいさんはイヤホンを片耳貸してくれとせがみ、あろうことか僕は相耳をさせられた。周りの目が恥ずかしかったが、よく考えたら周りに客は居なかった。じいさんは1作目『Tokyo Rendez-Vous』がえらく気に入ったようで、満足気だった。たぶん5〜60代に向けた『Tokyo Rendez-Vous』の布教を成功させた史上唯一のオタでしょ。

数少ない大学での友達が破竹の勢いで落単していく中、根が真面目な僕は着々と単位を積み重ねたことで、自ずとひとりの時間が増えた。その年、2022FIFAワールドカップが開催された。日本のみならず、全試合に夢中になっていた僕は、いつもの席でパソコンを開き試合を観る。お気に入りはグループA オランダ×エクアドル。エクアドルのミドルブロックは、The南米中堅国というとてつもない強度で、清々しかった。それに、画面を覗いたじいさんが、昔エクアドルでサッカーをしていたという話が忘れられない。マジかよじじい、あんた凄えのな。でもなんでエクアドルなんだよ。

年が明けて、いよいよ就活が本格化してきた。危機感を微塵も感じていなかった当時の僕は、ES対策にも面接練習にも手をつけず、相変わらず欧州サッカー漬けの日々に明け暮れていた。贔屓のチームが国内リーグ・カップ、欧州制覇の三冠を成し遂げるのだから無理もない。そうして皺寄せが来た春夏、慣れないスーツで東京を駆け巡った。その姿は、周りの人の目にはどう映っていただろうか。僕の目に映る世界は、社会とどれほど重なっているだろうか。学生という殻を破り切れていない若造に、世の中と対等に渡り合っていく責任と、自由であることの不自由さが重くのしかかった。

その日は雨が降っていた。なんてことない、驟雨のはずだった。雨宿りがてら店に寄ると、いつもの顔があった。例によって客は無く、じいさんは古い本を片手に寂しそうに座っていた。僕はなんだかホッとして、いつもとは違う席に座ってみた。バイトのシフトに間に合わなくなりそうなので、コーヒーを1杯飲んで店を出ようとした時、ちょうど現金がないことを思い出した。空っぽの財布に心を躍らせて、ツケてもらうことにした。店を出ると、雨は止むどころか酷くなっていた。

大学4年の後期ともなれば、必要単位を取り終え、残すところ卒業論文のみとなる。キャンパスに行くことが無くなったので、その付近に位置する店にも行くことが無くなってしまった。バイトと卒論に殴られ続け2ヶ月ほどが経った時、根が真面目でないために今でも通学している友達から連絡が来た。

どんなことも、きっと永遠には続かない。全てを失うその前に、”今”を鮮明に焼き付ける。鮮明に。じいさんが亡くなった。人が死んで初めて涙を流した。祖父が死んだ時も、友達の父の葬式も、小学校の先生の訃報を受けた時も、悲しかったけど実感が無くて涙は出なかった。じいさんの死は、僕の居場所であった店という形有るものと共に消滅したことで、強烈に実感を与えた。身内でもない、連絡先も知らない、ましてや下の名前もわからない僕にはどうすることもできない。あの日ツケにした380円を握りしめて、店だった場所に足を運び、最後の挨拶を告げた。

先日、King Gnuの新作アルバム『THE GREATEST UNKNOWN』のアルバムツアーが東京ドームで行われた。サプライズ含め、圧巻のセットリストで会場は大盛り上がり。毎度恒例の『サマーレイン・ダイバー』による幕引きではなく、新たな時代を予感させる『飛行艇』をもってクローズした。雨が止んだ。彼は、名も知らぬ”偉大なる無名”として僕の中に残り続ける。

春になれば、僕は新社会人となる。内定先は、同期も上司も素敵な人たちで、居心地も良かった。なあじいさん、この東京の混沌で、また居場所を見つけたよ。ほろ苦いコーヒーも無いし、金にはうるさいだろうけど、いい場所だよ。多分、仕事でちゃんとストレス抱えて、酒で腹を満たして、たまにサッカーやって、家庭を持ってっていう当たり前の日常がやってくるんだろうな。空っぽの財布は潤って、今まで届かなかったところにも手を伸ばせて、でも時間は無くなって。そんなこんなで、学生生活に別れを告げる。コロナに丸一年を奪われ、人間関係にも悩み、金だけが無くなっていく。そんな日も、それさえも、恋だった。永遠に続くことは無い。明日には明日の風が吹くでしょ。


Dear. Old man


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