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辿り着ける未来、あるいは検索の思い出

初めて「検索」という行為に触れたのは、いつのことだろう?

微かに記憶にあるのは、初めての百科事典。

1歳上の兄が小学校に入学したタイミングで、小学生向けの百科事典が家にやってきた。プレゼントされた兄よりも私のほうがハマって、日がな一日、飽きることなく眺めていたのを覚えている。ついには、宇宙の話ならx巻、植物ならy巻……みたいに、頭の中に自然とインデックスが作られて、いつの間にか、該当の巻をすぐに引っ張り出せるようになっていた。もしかすると、これが検索の原体験かも。

逆に、自分では辿り着けないものもあった。

それはテレビ番組。見たい番組が、いつ、どのチャンネルで放送されるのか、私には全然分からなかった。皆がそれを当たり前のように言い当てるのが、すごく不思議で。

世の中には「テレビ番組表」という検索インデックスが提供されていて、それが新聞に掲載されているということを知ったのは、だいぶ後になってから。こんな便利なものがあるのに、なぜ学校では教えてくれなかったのかと、トンチンカンな方向に憤る変な小学生でした(先生、ゴメンナサイ)。

grepに感動、正規表現に驚嘆

時は流れ、20歳ぐらいのころ。とある計算機センターにあった、大型汎用機(UNIVAC)の夜間オペレーターという仕事をすることに。

夜間バッチ処理が行われているコンソール画面を見つめ、出てくる指示(分岐処理の確認、オープンリールテープのセット、プリンタ用紙のセットなど)に従って作業する仕事。エラーが出たら、マニュアルに沿って対処するのだが、それで上手くいかないときは、プログラム作成者をポケベルで呼び出して、指示を仰ぐことになる。

その際、プログラム作成者から「xxのzzはどうだった?」と聞かれたら、コンソールに流れていた処理(ログ)を溯って確認する。当時のコンピュータ資源では、コンソールログをメモリやディスクに格納することができず(コストに見合わなかったのだろう)、代わりに、コンソール画面に表示された情報を、そのまま出力するプリンタが接続されていた(いわゆる、ハードコピー)。

つまり、コンソールログに表示されていた過去の内容を溯って確認するには、ハードコピーでプリントされた用紙を手でたぐりながら、目視で探すことになる。これが、慣れるまでは大変で。私がやると全然見つからないのに、先輩がやると一瞬で「はい、ココにあるね」と見つけ出すのが不思議でしょうがなかった。

そんな体験があったので、その後、コンピュータ技術情報誌の編集部に潜り込み(1990年〜)、UNIXワークステーションを使い始めてgrepコマンドの存在を知ったときは、感動という一言では言い表せないぐらいの衝撃を受けた。懐かしい。正規表現という発明に驚嘆したのも、この頃。

初めてのバグ報告は、検索機能

編集部でUNIXワークステーションを使うようになり、grepやfindといったコマンドで、検索という行為が一気に身近になった。

Emacs(当初使っていたのは、Emacsを日本語化したNEmacs)を使うようになると、エディタとEmacs Lispの実行環境が一体化され、かつSelf Documentationという考え方で、エディタの機能を実現するコード中にHelpドキュメントが組み込まれている幸せに、感動する日々。

その後、Emacs Lispで遊ぶようになると、etagsという魔法のような(当時は、本当にそう思えた)機能に感動して、プログラムを書くよりも、etagsでジャンプしながらコードを読むことにハマった。自由ソフトウェアのおかげ。感謝、感謝。

etagsは(それより以前にあった、C言語用ctagsのEmacs Lisp版)、ソースコード群に対して、そこに含まれるキーワード(関数名、変数名)であらかじめインデックスファイルを生成しておき、その情報を使って、ソースコード間ジャンプを素早く行えるようにするコマンド。プログラムとしては、そんなに複雑なことではないけど、ユーザー体験としては、一度これを知ったら元には戻れないというぐらい、衝撃的に便利なコマンドだった。

あるとき、NEmacsの機能としてあった「grep」(M-x grep。外部コマンドとしてgrepを実行し、その結果をbufferに表示する機能)のバグを見つけ、それを作者に報告して修正してもらうという体験をした。おそらく、1991年か1992年ごろのこと。フリーソフトウェア(自由ソフトウェア)にバグ報告するという初めての体験も、検索がらみのことだったのは、今思えば、不思議な気がする。

インターネットの検索といえば

私が潜り込んだ雑誌編集部は、幸運なことに、当時まだ商用化されていなかったインターネットに接続されていた(当時はまだ、実験参加という建前)。微かな記憶では、私が使っていたUNIXワークステーション(4.2BSD)に割り当てられたIPアドレスは、クラスBのグローバルIPアドレス。ファイヤーウォールもDNSもなかった(世の中にはたぶん存在したと思うけど、私が触っていたごく初期の環境では、まだ使われてなかった)、そんな時代。

そのインターネットで、私が「検索」という体験に可能性を感じたのが、archieというFTPサーバのインデクシングサービス。複数のFTPサーバにあるファイル(公開配布されているフリーソフトウェア)を横断的に検索できるというので、とても重宝した。正直に告白すると、インターネットの未来はarchieだよね、と周囲に語っていた記憶がある。

World Wide Webも、かなり最初期の頃に触る機会があったが(名前は忘れたけど、X Window System用のブラウザをコンパイルした記憶が)、私には、そこまで可能性があるものとは思えなかった。ハイパーリンクという考え方はすでにあって目新しいものではなかったし、そもそも、Webサイト(Webページ)を作るインセンティブが想像できなかった。CGM(Consumer Generated Media)という現象は、まったくの想像外。

恥といえば、もうひとつ。Google検索も、一般公開されるよりも前、かなり早い段階で見せてもらう機会に恵まれた。アメリカの、とあるベンチャーキャピタルが、投資を決めたサービスのひとつとしてデモを見せてくれたのだ。が、これも私には、まったくピンとこなかった。「very interesting, but we already have AltaVista」みたいなことを言ってしまった記憶がある。思い出すにつけ、穴があったら入りたい気持ち。

辿り着けてる?

振り返ってみると、私の人生の早い段階から様々な局面で「検索」との関わりがあったようだ。

検索の原体験から50年。今年の4月から、独自の技術によって「検索」の未来を切り拓こうとしているHelpfeelで、新しいチャレンジを始めたのも、何か不思議な縁を感じる。

「検索」というと、技術的な新しさを感じない人も多いかもしれない。しかし、必要としている人なら誰でも、容易に必要な情報に辿り着けるようにするのが「検索」だとすれば、そこにはまだまだたくさんの課題が横たわっているし、新しい技術が生み出される鉱脈が眠っている──個人的にはそう考えている。

ということで、ワクワクする環境で、日々たくさんの刺激を受けながら楽しくやってますよ、という近況報告でした。(了)


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