永遠の命題「なぜ写真を撮るのか」
いつもご覧いただいてありがとうございます。
「なぜ写真を撮るのか」
よくある問いで、なかなか答えが見つからないものです。
これまで私は、この問いについて特に考えることもなく、答えを探したこともありませんでした。
たまたまYoutubeである動画を見て、「なぜ写真を撮るのか」の答えを見つけることができました(やったー! ^o^/)
写真を撮る(浅い)理由
横浜に居た時は、あれも撮りたい、これも撮りたい状態で、被写体が沢山ありスナップ写真が中心でした。
舞鶴では、スナップ写真より風景写真が中心になりました。
毎週、五老ヶ岳山頂に撮影に行くようになったのですが、被写体もアングルも毎回同じ。定点観測的な写真を撮ってます。今もそう。
五老ヶ岳山頂からの景色は、近畿百景第1位に選ばれた景色ですから、おのずと綺麗な写真が撮れます。
観光地ですから観光客が多く、景色を見て感動で声を上げます。
日中の景色も綺麗ですが、観光客がなかなか見られない雲海や日の出など、美しい光景が沢山あります。
noteで投稿を始めたきっかけは、早朝や気象現象など、なかなか見られない感動的な光景を知ってもらいたいなぁということろから始まりました。
そんなに深い理由もなく撮り始めたのでした。
なぜ写真を撮るかがわからない
会社がある日は、目覚ましが鳴っても起きられないのに、休みの日はいつもより早く目が覚め、日の出前から撮影しています。まるで、小学生みたいですw
今週はココで撮影、来週はあっちで撮影みたいに楽しくて目が覚めているのではなく、早起きして撮りに行くのは、いつもの五老ヶ岳山頂なんですw
感動的な光景を知ってもらいたいという気持ちはあるのですが、それだけのことで同じような写真を撮り続ける動機が自分自身で分からなかったのです。
普通は面白い被写体を追っかけて、あっちこっちに撮影にいくでしょうから、ずーっと、モヤモヤしていたのです。
ある動画との出会い
そんな時、たまたまYoutubeに表示された動画を見たのです。
こういう系は殆ど見ないので、なぜYoutubeのホームに出てきたのか不思議です。多分、アフリカの映像を探したため、アフリカ繋がりで出てきたのかもしれません。
NaokimanさんとSHOGENさんの対話で、いろいろ心動かされる話しばかりです。じょーもん人がお手本なのは不思議だけど面白いw
動画の最後の方(約34分)に、100m先にある屋台にオレンジを買い行く話があります。ここで直感的にピンときたのです。
これって、写真を撮ることと同じこと?
写真は、花が咲いていれば撮るし、日の光と影がイイ感じだったら撮ります。趣味で撮影しているので気が向いたら撮ってます。
そして、風景写真を撮る時は、必ず空を見上げます。
雲の形、流れを見て、空をどれだけ写真の中に入れようかとか
そろそろ太陽が雲から出てきそうだなぁとか
日の光の陰影で露出を調整したり
鳥が飛んでいたりするとシャッター速度を調整したりします。
写真を撮る時に当たり前にやっていることですが、「100mの中にある幸せ」の話は、まさしく写真を撮るために被写体を探して撮影することと同じです。
写真を撮ることが幸せにつながることなのか
写真を撮る時って、いろいろ頭の中で考えてしまいます。
露出はどうするか、どこに露出を合わせようか、
シャッター速度は? ブレをいれるか/止めるか、長時間露光するか、
ISO感度はどの辺にするか
はたまた、PLフィルター使うか、NDは必要か。
思いを巡らすと、ほぼ半自動で私の右手の人差し指と親指がシャッター速度と絞り、ISOのダイヤルをカリカリと動かします。
ファインダー内では、ヒストグラムと水平をチェック。ファインダーの隅に余分なものが入っていないかチェック。
ピント位置を決めて、親指がフォーカスボタンを押す。
シャッターに人差し指を置くと、頭の中に居るお喋りな奴が口を閉ざすと同時に息が自然と止まる。
私の中に静けさが訪れ、止めた息で体の酸素濃度が徐々に落ちてくる。
シャッターチャンスが訪れると、人差し指がやさしくシャッターを切る。
息を吸って次のシャッターチャンスを探す。
撮影に行くと、これを数百回繰り返しているので、もはや体に染みついてしまいました。
でも、これって作業で全然満たされた感じがないのです。
シャッターを切る時の感覚
シャッターを切る時に頭の中に静寂が訪れ、風の音、風が肌を流れる感触が鮮明に感じられます。味覚以外の四感が鋭くなっているようです。
離れた木々が擦れる音が聞こえると、もうすぐ風が通るのがわかります。
風の強い日は、空がゴーっと音を立ててることもあります。
風上から獣臭(!?)がする時もあります。
深夜のフクロウの声、夜明け近くになると鹿が鳴き、日の出前になると鳥が鳴きはじめます。
夏の湿度を含んだ空気、冬の身を切るような寒さ、雨に濡れる感触。
視覚以外のいろいろな感触が「くるぞ、くるぞ」って知らせてくれます。
そして、全身で感じる「くるぞ、くるぞ」の感覚は、心を高めてくれます。
心が高まるのは分かるのですが、どこがピークなのかは分かりません。
とにかく「くるぞ、くるぞ」と感じた時からパシャパシャ撮っています。
ピークを過ぎたのは明確にわかりますから、最後から2、3枚前の写真が心のピークの写真です。
こうやって撮った写真は、不思議なほど撮った時の感覚や気持ちを覚えています。
デジカメは、心のピークの前後の含めて枚数が撮れますが、フイルムの場合は、ピークを狙い撃ちしているようなものです。だから難しく、集中しないと撮れません。
いずれにしろ、「くるぞ、くるぞ」と感じるのは同じですから、これが楽しくて満たされるのです。
私の「なぜ写真を撮るのか」の答え
私にとって、写真を撮る時の「くるぞ、くるぞ」が好きで満たされる瞬間です。
写真を撮る時の感覚と心のピークを感じることで満たされ、無意識に幸せを感じていたようです。
「なぜ写真をとるのか」は、「幸せを探しているから」が私の答えです。
私は撮ることで満たされ、見ていただいた方の心を動かしたい思いに繋がってます。
(なんか、キレイにまとまったなぁ w)
皆さまは、「なぜ写真を撮るのか」の答えはお持ちですか?
余談
頭の中に音楽が流れる現象を「イヤーワーム」っていいますが、写真を始めてから「イヤーワーム」が無くなってしまいました。
きっかけは、シャッターを押す瞬間に頭の中が静寂になると気づいてからです。頭の中に居る奴が、歌わない&喋らないと、世の中はこんなに静かだったんだなと思えますw
その代わり、シャッターを押す瞬間に風が吹くことが多くなりました。
私が風が好きだから吹くの???って思うこともあります。
(写真仲間には、風を呼ぶ晴れ男と言われますw)
私の写真に花などのマクロ撮影が少ないのは風が吹くからですw <ー本当か!?
最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。
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