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一つ屋根の下でいつも気配を感じていたい

もし、どこでも住めるとしたら。
私は南部曲り家に住んでみたい。
岩手県の遠野で見た、人と馬が一つ屋根の下で生活する家。

昔、盛岡藩ではお米を作ることができなかったから、馬は貴重な収入源だったし、毎日の暮らしを助けてくれる頼もしい相棒だった。
長くて厳しい冬も、一つ屋根の下なら安心。
馬房と人の居住スペースが土間でつながっていて、外に出なくても大事な馬の様子を見ることができる。


私は大学の時、馬術部だった。
地方から東京の大学に進学し、おしゃれなシティライフに胸をときめかせていたはずが、始まったのは馬まみれの生活。

週6日は朝5時に集合。
馬房掃除、先輩が乗る馬の準備、先輩が乗った馬の手入れ、合間に先輩に怒られながら馬に乗る練習。
自分の汗と馬の汗、馬の尿やふんがミックスされた、えも言われぬ香りを全身にまとい、パン屋で朝食を買い込み、1限目の教室に8時半ギリギリで滑り込む。
「馬術部が来ると振り向かなくても匂いでわかる」とよく言われたものだった。
教科書を立てた陰でパンをがっつき、食べ終わった途端、教科書の陰で就寝する毎日(先生ごめんなさい)。
馬の昼飼(エサ)、夕飼の作業は当番制だったので、3日に1度は昼休みと授業終了後にも作業をする。
そして毎週月曜は休馬の日。
馬の運動は休みだが、当然馬房掃除や3度の飼付けはあるので、これも当番がやる。
そう。休人の日はない。365日、ないのだ。
東京という大都会の片隅にいるはずが、シティのライフに触れる時間はほぼなかった。

月に1回、装蹄士さんが馬の蹄鉄を換えに来てくれた。
装蹄が終わった後、装蹄士さんと部員一同で、おでんとか、カレーとか、大鍋で作る料理を囲んだ。
料理中にニンジンの端っこや皮が出ると、部室の台所から土間におりて棟続きの馬房の馬に持っていった。
今思えば、あれは曲り家ライフ擬似体験だった。

こっぴどい失恋をして、連日誰かしらと飲まずにはいられなかった時。
帰りにそっと馬房をのぞくと、起きている馬が胸(正確には頚の付け根あたり)を貸してくれたっけ。
あったかい体温とほのかな体臭に包まれて、何を言ってくれるわけではないけれど、じーっと付き合ってくれることに慰められた。

一つ屋根の下で、いつも馬の気配を感じながら暮らしてみたい。
冷え性の味方、ユニクロ超極暖シリーズを駆使しまくりながら。

#どこでも住めるとしたら #南部曲り家 #馬


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