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シアワセの循環(今日はIT関係ない)


本日の3行まとめ

  • 贅沢品は家族や友人、お世話になっている方などに還元する

  • カネで買えるものと買えないものがある

  • 自分は質素に、でも身なりはしっかりと

画像の豪華バイキング弁当

自慢ではなく家族還元です。週末ごちそうプレゼントで購入したものです。
当の本人(私自身)は相変わらずカップ麺やら見切り品のやっすいパンやら総菜やら食べてますので…

自分の欲のために金を使わない

カネというのは本当に不思議なもので、自分の欲や贅沢品、自分のために使うと、せっかくの良い流れも自分で止まってしまいます
しかし、自分のために使わずに大切に想う誰かのため(※誰でもいいとは言ってない)に使うと、何故か結果的に何かの形で自分に戻ってくる、そんなことが多いなと、長い人生経験の中でつくづく思う次第です。

※昔仕事をいただいていた、とある社長さんに、いつもお仕事をいただいているお礼にと食事をごちそうさせていただいたことがあります。
その結果
自分より貧乏人に奢ってもらってありがとうございます
と言われ、それで縁を切りました
オトナなのでさすがにケンカはしません。
誰がどうみても受注できるわけもないクソ高い見積書(迷惑料と慰謝料込み価格)を出して、自分から仕事を取れなくして疎遠にもっていったという感じです。
悪い方に考えると仕事を失うということになりますが、相手の本性というか人間性が分かって(どの道どこかで切るべき人間なのだから)さっさと縁を切ろうということで、早めのパブロンが出来たと考えればプラスだったと思います。
というわけで「伝わらない人には伝わらない」ので無理に「イイヒト」を演じる必要は一ミリもないと思います。

喜ばれるって悪くない

画像のような弁当…私も食べたいといえば食べたいというのが正直な所。
しかし、おいしそうに喜んで食べる家族の顔を見るのも悪くないものです。
「オレってカッケェェェ…」
なんてニヤニヤするのも悪くないものです。
私は男の価値というものを、どう生きるかよりもどう死ねるかに見出しているタイプなので、死んだ時泣かれたらオレの勝ちだな!くらいの感覚です。

どうあれ良いことも悪いことも色々な形で自分に戻ってくる

まさに循環、因果応報というものだと思います。
記憶とは強いものです。
シアワセな記憶も、不幸な記憶も、ヒトは強く鮮明に残るものです。
自分の「欲や都合」のためだけに生きると、なかなか持続しないしもたないものです。
自分のためだけに動くと多くの敵が生まれるからかもしれませんね。

カネで買えるのは「欲」であり「シアワセ」ではない

欲は身を亡ぼす

欲には際限がありません。
一つ手に入れて満足できるのであれば人は苦労しません。
またすぐに次の何かを欲します。
(したことはないですが)イメージ的には麻薬のようなものでしょう。
手に入れても手に入れても満足できず、止まれなくなり、最終的に全てを失うその日まで、その欲は決して満たされることなくただヒトリ、誰からも相手にされない孤独が欲とシアワセの違いを教えてくれるのかもしれません。
とはいえ、欲に溺れず生きるというのは簡単ではありません。
誰だっていい思いはしたいものですし、「欲」の力は強力です。
ムリに頭から切り離そうとしても飲まれるでしょう。
人間が人間である以上「うまく」つきあっていくしかないと思います。
※私の場合は公営ギャンブルでヤバい金額が当たった時を想像しながら一時所得とかシャレにならんからうまくやらないとなぁ…なんて考えながらヨダレをたらすことですかね…

お金は当然に大切

生きていく上で必要となるお金(生活費)は大切です。
きれいごとでメシは食えませんので…
だから私も働きます。
お金なんて必要ないという話ではまったくもってございません。
超大切です。
ただ、必要なお金とそうではないお金があるというだけです。

シアワセにそこまで大金は必要ない

もし自分が贅沢出来なくて辛いと思うようであれば、それは今の生活環境が良くないのだと思います。
また、
「カネを持たないと相手にされない」のであれば、そういう関係でしょう。
「カネを使わないと相手にされない」のであれば、そういう関係でしょう。
別に自販機のコーヒー1本でも友人との会話や時間は楽しめます。
家ならテレビでも見ながら家族と話すだけでも楽しめます。
(生活費は別にして)そこまで金(贅沢費以外)ってかからないものです。
カネの話が出てこない人間関係の構築シアワセの第一歩だと思います。

人からカネを求められない人生になると、カネの使い所がなくなるが所以に、じゃあたまにはということで、身近な相手に還元でもしようと、結果喜ばれ自分にもシアワセが巡ってくる、そんなイメージです。
「見返りを求めて」還元するわけではないという所が大切だと思います。

ボランティアには1ミリも興味がない

私はイイヒトではありませんので、ボランティア活動はしません。
そんな暇があったら親の肩たたきでもするか家族サービスにカネ使うくらいのものです。
世の中の困っている人たちに対してという意味でいうなら、犯罪等で不当に奪った連中が、罪滅ぼし一つで返していけよくらいの気持ちです。
もし人間が皆平等に分け与えあえるのであれば、誰かが誰かから奪わなければ、そもそも貧富の差は生まれないので。

質素と清潔感

ノーブランドの方が真価が問われて面白い

一度くらいは高級ブランドモノや高級車を…という気持ちは分かります。
私自身、若い頃はありましたし、実際買いましたし、なんとなく優越感的なものや、いい気分に思えた時代もありました(すべて過去形)

ただ、そこで気づいたのが、そういうモノを身に纏っていると「そういう人」ばかり寄ってくるんですよね。
「カネのニオイ」でしょうか。
そこで自身の矛盾に嫌でも気づかされてしまうのです。
本当の自分(中身)はそうじゃないのだと。

質素に生きるのと貧乏くさいは違う

質素倹約という言葉がありますが、身を立てるということは、守るべき人(家族等)を守るということであり、そのために必要なものは必要になるわけですが、余計な贅沢はしない、見栄は張らないというのがそういうものだと思います。
貧乏くさいというのはどちらかというと清潔感的なものもあると思います。
靴のカカトを踏んでいたり、身なり的に色々とダラしない感じやチャラい感じがしたり、頭ボサボサだったりとか毎日同じ服を着ているとかetc…

さいごに

ブランドモノがダメというわけではない

なんだかんだで趣味的に持ってはいます。
持ってはいますが、人(他人)から見える所にはありません
例えばベルトだったり、ちょっと高い将棋の駒だったり、自己満足的な
誰かに見せるため、見られるため以外の所
にはあります。

シアワセになりたいのであれば

どうあれ近しい人に還元が一番だと思います。
※注「貢ぐ」のとは違います
繰り返しになりますが、大切なのは、良い流れを自分で止めないことだと私は思って生きています。

カネのかからないことでも出来ることは色々ある

例えば親の肩もみとか料理や洗濯の手伝いとか。
ちょくちょく高齢の両親に会いに行って細かいことしてますが、すごい喜んでくれますから。
「育て方間違ってなかった~!」とか言われると、ニヤっときますからね…

誇りのもてる人生を

目先のカネに惑わされることなく、自分を見失うことなく、誇れる人生を歩んでいただけたらうれしいなと思います。
くどいようですが、私は金持ちではないので、余裕があって上からモノを言っているわけではありませんので。
本当に、シアワセってそういう所にはないなと思うだけです。
私も40超えてるわけですから、今更カッコつけても仕方ないです。
そういうことなんです。半分余生ですから。
この歳までウダウダやってきて、今ようやく本当にそう思えるようになったというだけです。
もっと早くこう思えたらなぁ…そんな気もするので、この記事を読んでくださる方の年齢は分かりませんが、一人でも早くシアワセを発見していただけたら…幸いでございます。

もし、万が一、サポートいただけるようなことがあった場合には、NOTEの記事の方でしっかりと記事と合わせてサポート額の使い道を報告させていただきます。 (先日落雷でパソコンが破壊されたので多分当分はその買い替え費用の足しにさせていただくことに…すみませんすみません)