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感動は言葉で伝えられない

いろいろなところを旅行するようになって、めっちゃ感動したり、さほどでもなかったなと愚痴ったり、いろいろな感情をその土地、そのタイミングで湧き上がってくる感情があります。


普段あまり感情的にならない方だと思っているんですが(本人がそう思っているだけで、客観的に見て「そうだ」ということではありませんが、念の為)、それでも、感情を表に出さなくても心の中ではめちゃくちゃ感動していることも結構あるんです。


感動を行動で表現したり、言葉で表したり、表情で見せてみたり、色々と方法はあるのですけど、やはり「言葉で感情を表現する」というのは難しいと思います。


毎日毎日、来る日も来る日も、このnote上で、好き勝手を書き散らかしているわたしでも、自分の感情を正確に、上手く描き切ることはとてもじゃないけど、容易にはできないです。


そういうことができる人は、小説を書いたりするのが得意なのかもしれません。


どうやらわたしには、そういうのが得意ではなかったようです。


まぁ、それでいい。


それが実力なのだから仕方ない。小説家になろうとも思わないし、絵描きにもなれない、何ににもなれないですけど、ただ、「わたし」にはなれますw


例えば、絶景を見たとして、「素晴らしい」とか「美しい」とか、ありきたりな通り一辺倒の表現はできるかもしれませんが、もう一歩踏み込んで、正確な描写や心の機微、いかにしてその感情が湧き上がったのか、を言葉にして表そうと試みるのですが、なかなかうまくいかない。


結局、堂々巡りをして、「よかった」くらいの感想しか述べれない。


ちょっと悔しい感じもあります。


でもですね。


結局、それは、言葉の使い方に慣れていないからかもしれません。つまりは、もっと素直にそしてもっと感動する場面に触れると、「慣れ」てきて、自然と感動を伝える言葉を発することができるんじゃないか?って思うのです。


いつも無感動、無機質な境遇にいると、感情が沸き起こってこない。となるとその感情を表す言葉も思いつかないわけで。


言葉で感情を伝えられない、わけではなくて、感動を経験するのが乏しいから、それを伝え慣れていない、そういうことなのかも。


だから、心に感動を与えるために、時々、旅に出たり、美味しいモノを食べに行ったり、誰かと触れ合ったり、語りあったりすることが大事なのかも。



言葉で感動は伝えられないけれども、画像や動画の方が、やっぱり感動は伝わるのかなぁ・・・と思うこともあります。


文章一本でやってきたけども、伝わらないもどかしさもある。であれば、伝えるツールとしては、言葉でなくても良いのかもしれないです。


だけどやっぱり、こう言っては何ですけど、書くのが読むのが好きなのかもしれないので、このスタイルは伝わらなくとも続けていこう。改めてそう思った次第です。


それでは、また。

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