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「所定の位置に戻しなさい」と叱られたものの、所定の位置がわからなかった実家暮らし時代

片付けが上手くできないので、幼少期はずいぶん叱られたのを覚えています。よく言われたのが「所定の位置に戻しなさい」との叱り文句。

親は教育のためにそのように躾けていたのでしょうが、残念ながら効果は今ひとつでした。そして、年がら年中、その言葉を口にする。それが「できない」ものだから、イライラして、怒り、口論になる。

そんな繰り返しの実家暮らしでした。

今振り返ると、何であんなに言われ続けていたのだろうか?と思うわけですけど、少しわかったような気がします。それは、親ともども、片付け方がよくわかっていなかったからです。

「所定の位置に戻しなさい」

この言葉、一見、合理的なように見えるのです。合理的な前提条件というのはもちろん、「所定の位置が決まっているから」ですよね。位置が決まっているから、戻す。そしてそれをルール化したならば、守る。

そうすることによって、ルール通りやっているか、やっていなければ、その位置にないということになるから、どこかに置いてある。つまり片付けていない状態になっているはずです。

ところが、その位置が明確に決まっていれば良いのですが、後で気づいたことですが、我が実家には「所定の位置」というのが存在しませんでした。まぁ、親の中では、「ここ」とか「この辺」とか、ある程度決まっていたのかもしれませんが、それを明示するルールもなければ、指標もなかったんです。

これでは、「所定の位置はどこか?」「どこに仕舞えばいいのか?」わかりませんよね。ましてや、子供なら尚更「????」「(何を言っているんだろう?)」となるわけです。

保管場所というのは、明確に位置を決め、そして、それ以外のものは置かない。あとはそれをルール化する。そして周りの人にルールと場所を周知徹底する。そこまで行って、初めて「所定の位置」が決まるんです。

誰かが勝手に決めたマイルールを、何の説明もなしに誰かに押し付けても、相手は何のことかわかりません。ましてや、それができていなくて「怒られる」のは理不尽極まれりでしょう。

これは別に、家庭の中だけで起こっているのではなくて、職場なんかでも起こり得ることですよね。

誤解を防ぐために、ルールを掲示したり、置き場所を誰が見てもわかるように「ここは●●を設置するエリア」などと明示するわけです。それがお互いのためでもあります。職場なんかだと、基本ですよね。

親は子供を怒らなくて良くなるし、子供は叱られて不貞腐れることもない。これはお互いにとってもストレスなく過ごすことができるし、いいことづくめだと思います。

子供だって、ある程度成長すれば、ものごとを理解することはできます。

あまり親の批判をするつもりはありませんけど、残念ながら、家庭内での丁寧な説明を怠り、指示だけしても、具体的でなく、結局軋轢を生む結果となってしまいました。

まぁ、親もわたしも片付けは得意な方ではなかったので、仕方のない部分があったとは思いますけど、今考えれば、もう少し、やり方はあったんじゃなかったかなぁ?と思います。

万年、モノで溢れていた実家なので、親もわたしもそのようなルールを設けることは難しかったのかもしれません。(わたしも、その時は親に提案できなかったので、同罪と言えばそれまでですが)

モノの住所を決めるのって、モノが多すぎると出来ないんですよね。

だからまずは、親子一緒になって「モノを減らそう」という、共通の目標があればよかったのですが、仕方ありませんよね。

もし家庭を持ったら、所定の位置に関して、場所とルールの明確化はしたいなぁ、とは思います。それが家庭円満の一つの要因になるのではと思います。

それでは、また。


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