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「前例がない」は速攻捨てたい

「前例がない」「前例がありません」という言葉をよく聞くと思いますが、どうでしょう?周りで、職場で、学校で?聞いたことありませんか。


「前例がない」これだけだったら、あっそう、なのですが、その文脈の背景にあるのは「だから、それは出来ない、したくない」があります。


前例がないから出来ません。「出来ません」を本当に文字通りいう人もいれば、皆まで言わない人もいる。


ただ「前例がない」という言葉を発した時、わたしの肌感覚ではあるけれど、ほぼ100%「出来ない」ことを述べている。つまり、常套句・枕詞のようになってしまっている。


前例がないということが、出来ない理由になるわけじゃないですよね。


それは、みんなわかっているのに。


前例がないことが理由なら、世の中、何も出来ないし、新しいことは何も生み出せないことになってしまう。前例をどうにか乗り越えるから、新しい何か、モノでも、スタイルでも、システムでも、生み出される。


前例がないという言葉、もう使わなくてもいいんじゃないか?


出来ないならシンプルに「出来ません。なぜなら●○だから」具体的にここがこう難しいとか、物理的に不可能なのか、お金が足りないのか、場所が足りないのか、人が足りないのか、法律が適してないからか・・・。


具体的に分析すれば、出来ない「理由」はいくらでも出てくるはず。


前例がないで片付けるのは、少し不誠実です。


だからこそ、前例がないという言葉をもう、使わないようにして生きてゆきたいと思う。


だけど便利なんだよなぁ。前例がないという言葉。


前例がないということを盾に、身を守ることもできてしまう現状、そしてそれを受け入れられている社会が、まだある。


そんな中で、利用しない手はない。そう考えたくもなる。それがそもそも、前例ということなのかもしれないw


まぁ、でもシンプルにミニマムに暮らすなら、暮らしたいなら、前例にとらわれないことも大事になってくる。


前例にとらわれたままだと、モノは減らない


目の前に広がるものは、ある意味「前例」の結晶と言っても過言ではないかもしれない。前例を超えたところに、違う生活があるのだとしたら、やらなきゃいけないことは見えてくるはず。


ま、どう受け取られるかは、その人次第だけれど。


それでは、また。


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