泣きたいときは泣けばいい
タイトルそのまんま。泣きたいときに我慢するんじゃなくて、泣けばいい。噛み締めて押し殺して、必死に「泣くまい」としなくてもいい。
泣きたい感情をミニマムにしなくてもいいんだよ。思いっきり、泣けばいい。
そういう時もあります。そういう時は、曲をかけながら、しんみりすればいい。わたしは時々この曲を聴きながら、しんみりします。
歳がバレる。まぁ、歳がバレて困るような歳でもないですけど、世代ですw
「男は泣いちゃいけない」
そう言われて育ってきたし、周りに大泣きする人もいない。そりゃいい歳こいたオッサンが、わんわん泣いているのは格好悪いし、そんな姿を見つけたら「なんだかなぁ」ってなります。
だから人目をどうしても気にしてしまいます。でも、泣きたいときはある。
感動的なシーンを見たら、込み上げる
情緒的な物語を読んだら、目の端がジワる
膝を思いっきり強打したら、痛過ぎて目から汗が出る。
涙が出そうになるシーンはいくつかあるし、いくつもありますが、ちょっと大っぴらに「泣けない」ことも。
顔では笑ってて、心は泣いているなんていうこともあります。
これ、冗談かと思っていたら、結構そういう状況あるんですよね。歳をとったから涙もろくなったのか、はたまた、元々情緒的なのか、ストレスによって情緒不安定になっているのか、涙腺が緩んだのか。
理由はいろいろあるけれど、とにかく「泣きたい」と思うことはゼロではないということです。
逆に涙もろくなっていることで、泣きそうになるタイミングも多くなるんですが、そういうのを経験すると「あ、今泣きそう」っていうのも、なんとなくわかるようになってきます。
割と冷静に「あ、泣きそう」って、わたしのセンサーが感知することも。感情が込み上げてくるのと同時に、冷静さも戻ってくる。
それで感情の波が収まることもあります。
冷静に対処できる場合はそれでもいいし、時と場合によっては、冷静に対処しなければいけない場合もあります。そういうときはコントロールするのには便利かも知れません。
だけど、理性的に振る舞っていても、抑えるのが難しいこともある。
そういうときは人目を憚って、どこかで泣くしかない。
「人前で泣くな」多分この風潮は今でも、そしてこれからも変わらないと思うのだけど、「泣きたい気持ち」は誰にでもあるし、それを否定されるモノではない。
泣いてはいなくとも、泣きたい気持ちが察せられる、皆が優しくなれる社会になればいいとは思うのですけどね。
それでは、また。
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