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小説・「塔とパイン」 #03

仕事場に戻ると、鼻腔に甘い香りが飛び込んでくる。さっきまで、都会の雑踏の空気と、自身のタバコの匂いに包まれていたのが、部屋の暖かさと共に氷解する。


休憩から戻ってきて、手を洗い始めた。

「やっぱりここ、水、つめてぇ〜なぁ〜。」

冬の冷たい水が、外に出て冷えた身体に、指先から追い討ちをかけてくる。


手を洗う習慣ができたのはこの業界に入ってから。それまではお世辞にも綺麗好きとはいえない生活を送ってきた。


しっかり、手を洗う。

本当は面倒くさい。


石鹸をしっかり泡立てていると、ふと『生地を泡立てることと、どう違うんだろう?』という、くだらない考えが浮かんだ。


仕上げはアルコールで手消毒する。ポンプタイプの消毒液だが、日本のものとは少し成分が違ってて、ほんのり酢の香りがする。正直いうと、手から酢の匂いがするのはちょっと苦手だ。


鼻腔をくすぐると、これから続きを始める仕込み作業に支障が出るから。

とはいえ、まだ仕事を始めるつもりはない。


もう少し、この合間の時間を楽しもうじゃないか。

「あれ?マグカップはどこだ?」


厨房の棚をみたが、マイカップが見当たらない。ああそうだ、昨日、最後にコーヒーを飲んだ後、その存在を忘れていた。


「どこに行ったのか・・・」

「あ、あそこか?!」

厨房の食洗機を覗いてみると、あった。フランスのとある街で買ったどこにでもある普通のマグカップ。キャラクターのイラストと、全世界で有名な一節がフランス語で書かれてる。あいにく読めない。


まずは身体を温めたい。

コーヒーを淹れよう。

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