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WimHofMethod 公式本の要約 part 1 アイスマンの誕生

The birth of the iceman

1959年、ヴィム・ホフはオランダで生まれました。双子でしたが、当時はエコー装置がなかったため(1960年超音波診断装置製品化)、一人目が生まれたところで、分娩室から出されてしまいました。
ヴィムの母親はまだ、お腹に何か入っていると言ったのに、医師や看護師は、追加で陣痛が来ているだけだと言って、まともに取り合ってくれなかったそうです。

気づいた時には、赤ちゃんは深すぎて自然分娩は不可能になっており、意識が遠のいた状態で、ベッドで手術室に運ばれようとしていました。母親は赤ちゃんが死ぬかもしれないと思って、「この子を宣教師にするので助けてください」と神様に祈ったそうです。

そして、病院の廊下の寒さの中で、不思議な力によって、ヴィム・ホフはこの世に生を受けることができました。

ヴィム・ホフは、非日常への憧れを抱いて育ちました。
12歳になる頃には、ヨガ、ヒンズー教、仏教、心理学に傾倒していきました。森で遊ぶのが好きで、教会に行くのは退屈だと思っていました。

13歳の時に動物を殺すことは残酷だと思い、ベジタリアンになりました。難解な学問を探求し、ヒッピーのように髪を長くすることで、”普通の文化”から自分を隔離するようになっていきました。
勉強は苦手で、学校は自分には向かないと思い、退学しました。しかし今思えば、ヴィムがドロップ・アウトしたおかげで、偉大な学者たちがヴィム研究して論文を発表できています。(ヴィム・ホフ・メソッド関連の英語論文は20編ほどあります)

12才から自転車で新聞配達をしていました。17才の時にはスペインやセネガルまでママチャリで行ったこともあります。地元のお祭りで自転車の大会があってプロの自転車選手を抑えて優勝したこともありました。新聞配達で坂を上り下りしているうちに鍛えられていたからでしょう。

それから何年も経った冬のある日曜日の朝、水面に薄く張った氷を見て、なにか惹かれるものを感じました。そして、服を脱いで水の中に入ってみました。

水温は気にせず、ただ好奇心で入った。あまり長い時間水に浸かっていたわけではありませんが、内なる意識とのつながりを感じるには十分な時間でした。水の冷たさよりも好奇心の強さが勝っていたのは、人間の心が持つ大きな力を示していたのでしょう。しかし、残念ながら、多くの人類はこの力を失ってしまいました。

ヴィム・ホフは数日後、再び同じところに来て水に入りました。何回も通ううちに、冷たい水に入ると反射的にゼーハー呼吸してしまうことに気づきました。逆に、ワザと激しく呼吸したらどうなるか試してみたくなりました。実際に25回激しく呼吸してみたら、全身がしびれて、電気が走ったようでした。これをきっかけに体と心のつながりを見つける旅が始まりました。

この呼吸法の練習を重ねるうちに、5分以上息をせずにいられるようになりました。冬の間は毎日泳いでいました。25年間毎日です。
ある凍えるような夜に、短パンで外に出てとても気分が良かったことを覚えています。自分が何かを掴んだことに気付いたらからです。
アイスマンの誕生です。

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