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消費することで生きている。消費が、明日を連れてくる

こうさ、「アー! ひとつ前の自分やっておけよー!」ってことないですか。トイレットペーパーが終わったら変えておくとか、シャンプーのラストプッシュをしたら詰め替えておくとか、底から1㎝になったら新しい麦茶を作るとか。

なんか最近、そういう過去の私に「アー! なにやってんねん、過去の私!」と言いたくなることが多い。上にあげた例なんてまさにで、ときどき仕事でも「アー! なんで昨日の私はここまでやっておかなかったんだ!」と思ったりする。

とはいえね。面白いもので、過去の私も「明日の私がやってくれる」とめっちゃ未来任せ。「今日はこれだけ頑張ったから、明日の私に引き継いでも問題ない」と思っているし、「まあ、次にトイレするときの私がもよおす前にトイレットペーパーを入れ替えてくれるでしょ」と思っているし、「明日の私が、お風呂に入る前にシャンプーを詰め替えてくれるでしょ」と思っているし、「あと1㎝あるから別に問題ないか」と思っている。

今の私はめっちゃ過去任せで、過去の私は未来任せ。いったいどうしたものか。


「いつの私も頑張ってるな~」とnoteを書く今の私は思っている。毎日noteは常に地続きで、ここには昨日もあるし、今日もあるし、明日もある。途切れることなく続いていく。

それがときどき不思議になる。日常生活にいる私は過去任せになるし、未来任せになるけど、noteのなかだけはどの時間任せにもならない。昨日の私も書いたし、今日の私も書いたし、きっと明日の私も書く。それが揺るぎない事実として、ただここにある。

日常生活を過ごしていると、不確定なことが多い。トイレットペーパーはなくなるし、シャンプーも終わりを迎えるし、麦茶だって飲み切ってしまう。消費することで生きている。消費が、明日を連れてくる。

だけど、noteは違う。生産が、明日を連れてくる。1note、1note、書くことだけが積み重なっていく。書いた文字だけがここにはある。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。