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ただただ書く。ほんとうに、ただそれだけなんだ。

怖いことに、ほぼ毎日「書くこと」がないままnoteに向かっている。

そもそも、日付変更線を跨ぐ間際になって、「あ、そういえばnote」と思い出すことすらある。つまり、「何を書こうかな」と日々の生活のなかで考えることも減ってきている今日この頃。でも、なぜか毎日noteが書けている、この1年ほど。

いや、我ながらすごい。よく頑張っていると思う。

毎日ぎりぎりまで忘れているくせに、不思議なことに完全に忘れることはない。忘れられないと言ってもいい。

毎日8時間ぐらいはパソコンで仕事をしていて、パソコン本体だって見飽きているはずなのに、私はnoteを書くことを忘れていない。


そんなことを思うと、古傷のことを思い出す。

私の腕には、いつかのケガをした古傷がある。ケガをして、血が出て、かさぶたを越えて、いつもの肌に戻った。だけど、色が周辺の肌とちょっとだけ違う。ちょっとだけ黒ずんでいる。

「なにこのシミ?」とお母さんに言われたことがあって、私にとっては古傷だけど、人から見たらシミに見えるんだと思った。

毎日noteでいうと、ケガをして、血が出てきて、かさぶたになっていたのが半年ぐらいのこと。それからかさぶたを越えるのと同じようにして、noteを書くことが日常に定着してきた。

今は、夜になると「書くのか」とふと思い出すほど、毎日noteは日常生活に溶け込んでいる。

毎日が〆切で、なのに毎日に事件とか面白い出来事が起こるわけではない。毎日は、悲しいくらいに何もないままただただ過ぎていくことのほうが多い。

だがしかし、「何を書こうかな」と考えなくても、なぜかnoteが書けるようになったのは、周囲の肌と同じだけどちょっとだけ違う古傷のようだ。

過ごしている毎日は同じだけど、毎日noteをしていなかった日々とはちょっと違う。ちょっとだけ黒ずんでいる。

そしてそれは人から見たら、「なんで毎日なんて書いてるの?」とよくわからない行為でもあるのだと思う。

ただただ書く。ほんとうに、ただそれだけなんだ。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。