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フィギュアスケートエキシビジョン、氷の上で愛に似たなにかを舞う姿を見て。

今日の午後いっぱい、北京オリンピックのフィギュアスケートエキシビションを見ていた。その感想を勝手に熱っぽく語ろうと思う。

……と、そこのあなた。フィギュアスケートのエキシビジョンとはなんぞや? と思っていませんか。
思っていそうですね。私は見る前、「とは?」と思っていたので先に説明。

エキシビジョンはアイスショーのようなものでオリンピックや世界選手権などの大きな大会で競技が終了したあと開催されるのが慣行となっています。祭礼や祝祭を意味する「gala」とも呼称され、大会が終わったあとのお祭りという意味もあるんですね。
このエキシビジョンはフィギュアスケート競技と以下の点で異なります。

・技や演出上の制限がない
・採点や順位はない
・コスチュームは自由
・小道具の使用もOK

競技とは異なり、採点などはありません。選手は思い思いの演技を披露することができて、個性を丸出しにできるんです。
(引用:https://ganjin2021.jp/skate_ex/)

英単語 exhibition には、展覧会や展示会、という意味があり、観客から選手たちへ、アンコール的な意味で行われているそう。

男子シングル、女子シングル、ペア、アイスダンス、各種目の選手が思い思いの衣装と音楽で、北京オリンピックのフィギュアスケートフィナーレを彩る。

その姿はまるで卒業式のようだった。北京オリンピックの終わり、2度と来ない北京オリンピックからの卒業式。スケートリンクへ向けた別れの言葉。

エキシビジョンを見ていて、「オリンピックってスポーツの祭典なんだなあ」と思った。ただただそう思った。

ここで見てない人のために、内容をちょっとお裾分け。

ジーニーになりきって滑ったモリシ・クビテラシビリ選手。めっちゃくちゃ楽しそう。おどけてる。見てるだけで笑っちゃう。

ワンダーウーマンの衣装を纏ったトゥルソワ選手。ヘアメイクもこだわってるのがよくわかる。強くて傲慢で可愛い。ぴったりすぎる。

マイケルジャクソンの曲でパフォーマンスした宇野昌磨選手。アナウンサーが「色気……ふふっ、ダダ漏れですねえ~(笑)」と実況していた。その通りだ。

そして、薄い桜色の羽衣のような衣装を纏い、ピアノ「春よ、来い」で滑った羽生結弦選手。

どれも魅力的で、思わず見入ってしまったり、テレビの前で一人で手拍子をしてしまうような演目ばかり。


これまで、3つしかないメダル、1つずつしかない色を競い合っていた選手たち。
オリンピックという舞台に立ち、自分が出演するたった数分間のため、ただそれだけのために、今まで想像もつかない時間を重ねてきている。それこそが彼らが”アスリート”と呼ばれる由縁で。

でも、私が過ごしたのと同じように月日が流れて、1歩戦いが終われば、彼らは当たり前の、私と同じような感情をもつ1人の人だった。

楽しいことが好きだし、ユーモアのあることをしたいし、笑顔を届けたい。見てる私とそう変わらない気持ちを当たり前のようにもっているのだった。そのことをエキシビジョンを見て感じた。

オリンピックは、スポーツの祭典。祭典の意味は、盛大で華やかな行事、だそう。オリンピックはスポーツの祭典じゃん!! とテレビの前で、私は思わず叫んでいた。

それと同時に、フィギュアスケートをしている彼らは、ただただ氷が好きなんだなあと思った。

特に羽生結弦選手を見てそう考えた。演技の途中、彼は氷にキスをしたのだ。時間にして5秒ぐらい。顔は見えてないけど、きっと愛おしそうにキスをしたのだ。

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フィギュアスケートをする選手はみんな、氷に振り向いてほしくて、氷と友達になりたくて、氷と恋人になりたくて、氷と家族になりたくて、滑る。

アナと雪の女王でアナが氷の力を持った姉 エルサをずっと諦めないのと同じように、彼らも氷を諦めない。アナとエルサは家族って関係性があるのかもしれないけど、でも、フィギュアスケート選手はそういう関係性がなくても氷を諦めない。

それはたぶんもう戻れないからなんだろうなと思う。氷とは無関係だった、氷のことを知らなかった頃には、知らなかった自分には、もう戻れないから。

とにかく諦めないで、どうしても追いかけて、たまらない気持ちになっても、友達でも、恋人でも、家族でも、選手によってどんな関係性であっても”好き”で、ただ”好き”という愛の形で、氷のそばにいたいんだなって、そう思った。


そこまで考えて、「いや、これは半分そうかもしれないけど、半分違うかもしれないな」と思った。

だってきっと、そんなチープな話じゃない。そんなドラマの脚本のような話じゃない。これは、私が彼らを自分とは違う、ヒーロー視してしまっているからこそ生まれる考えだ。

なにしろ、彼らは、フィギュアスケートをするって自分で選んでいる。
みんなその道を自分で選んでいる。氷のそばにいる、氷の上に立つことをどこかでみんな、自分の意思で選択してきたのだ。

冷たくて、暖かくて、果てのない時間を過ごすことを自分で選んで、登頂成功の終わりが見えない登山家になってきたのだ。

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これは、トゥルソワ選手の演目。彼女は最初コートを着てリンクに登場した。静かな、まったりとしたバラードで1分ほど滑ったあと、曲調が変わるのに合わせてコートを脱ぎ、ワンダーウーマンの衣装が現れた。と、同時にトゥルソワ選手のばっきばきの腹筋も現れた。

登山家になった彼らは、やっぱり途方もない練習量、それも氷の上でも、陸上でもこなしてきたことが見える。
ひらひらで、きらきらで、可愛らしい、クールな衣装を着てるその下には、普段生活していたらつかない筋肉が確かにそこにある。それが選手を支えている。

私よりも若いのに、すごいなあ、と他人事のよう思う気持ちももちろんある。と、同時に私ももっと頑張ろう! と思えた。

冬季オリンピックにこんな競い合う以外のショー的なものがあるのを初めて知った。4年後もエキシビジョンには注目したい。

そして、そのときも同じように感想を書きたいななんて思った初めてのエキシビジョンだった。



”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。