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日曜日のお昼過ぎに考えていたこと

「受け入れる・受け止める」と、「引き受ける・引き取る」の違いを考えていた。

どんよりとした曇り空から、まだらに青空が見えている。それは、築年数のある私の部屋の壁紙に一部が、ぽかりと窓になっていて澄んだ空気が見えるのと似ていた。空と、私の部屋が似ているとは、ちょっと不思議な気持ちだ。


「受け入れる・受け止める」は、その事象を受け止めるために自分が凹むような気がする。パックマンのように、ベコンと一部が空洞になって、その事象を入れ込んで丸になる。受け入れるための隙間を私の意思で作って、ぱくりと自分の中にいれる。字面的には受動的な感じがするが、実は能動的な意志ある行動なのだと思う。

一方で「引き受ける・引き取る」は、丸の状態の自分に、その事象がくっついてくるような感じがする。関ジャニ∞ の「∞」の字のように丸が2つあって、こう、完全な丸だった自分に対して、少しだけ余計な雰囲気がある。

それに「引き受ける・引き取る」のほうがよっぽど受動的なような気がする。自分が関与していないところで何かの事象が起こって、それを押し付けられた結果として、「引き受ける・引き取る」が起こるのだと思う。だから、身よりのない子や犬猫に対して使うのかもしれない。


カーペットの上で横になってだらだらだと考えていて、ふと首を横に向けると、いつ抜けたのかわからない髪の毛が1本落ちていた。いつ生えて、いつ私の頭から離れていってしまったのだろうか。


私は、「受け止め」られる人になりたいなと思う。でも、悪意や悪口、気がつかなった痛みは、きちんと「引き受け」ていきたい。私に対する評価や批判、もしかしたら言われているかもしれない噂も、自分のものとして「引き受ける」「引き取る」。


そんなカッコよさげなことを思って、「何を思ってんだか」と自分でツッコミをいれた。ただ、「受け入れる・受け止める」と、「引き受ける・引き取る」の違いについてはいい線にいったな、とも思っていた。

時刻は15時になった。さて、スーパーにでも出かけようか。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。