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書けないと思っていても、なぜか毎日noteは書ける

毎日noteを1年と半年も続けていると、だいたいわかることがある。

それは、「どんなに書けないと思っていても、きっと書ける」ということ。「自分で決めた800字ルールを達成するために、ズルできる方法がいくつかある」ということ。そして「800字であれば、数十分ぐらいで(質の良し悪しは別にして)書ききれる」ということ。

すごいでしょ? 1年も続けると、自分のnoteに関して「大丈夫だ」と思えることが増えてくる。

ブラウザでnoteを立ち上げて「さあ、何を書こうか?」とゼロの状態であったとしても、なぜか書けるようになるのだ。


1日を思い返してみたり、最近あった出来事、した会話、見たテレビ、口にいれた何か。もしくは、今自分の周りにあるものを見渡して、発端となりうるものを探してみる。テレビのリモコン、図書館で借りてきた本、イヤホン、スピーカー、アイスティー、モバイルバッテリー、リップクリーム、ホテルからちょうだいしてきたアメニティのくし……。

そう思うと、私の机の上ってめちゃくちゃ乱雑だ。今書き並べたものは全部机の上にあったもので、自分的には整頓されていると思っていたけれど、きちんと整理されているわけではなく、それぞれが「陣地はここだ」と言わんばかりにどしんと置かれている。

そんな少々自由気ままな机の上でパソコンを広げて、noteを書いている。ちなみに、これはそんなに珍しいことではなく、今思うと私の机は常にこんな感じだ。まるで頭の中のようにごちゃごちゃごちゃごちゃしている。

それが不意にスイッチが入ると、「綺麗にしなきゃ!」と思い立って、もとの部屋にお帰りいただく。とはいえ、数日後にはまったく同じ机が出来上がっているというのが、私の家の七不思議の1つかもしれない。


ほら、ほんとうは今日、まったくゼロの状態でnoteを立ち上げたはずなのに、もうこんなところまできた。あと20文字。

ズルしているといえばそうかもしれないけど、そうだったとしても1年半続けてきた功績のほうに目を向けてほしい。こんな日があっても、こんな日がほとんどだったとしても、それでも続けていることに意味があると私は思うのだ。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。