きっかけは些細なことだった、とよく言うけれど

きっかけは些細なことだった、とよく言うけれど、確かにその通りだなと思う。思い返せばあのときの返事が、振り返ったときのあの行動が、きっとバタフライエフェクトの羽ばたきだったのかもしれない。

ただ、あのときの返事をした瞬間とか、あの行動をした瞬間は、対して意気込んでいなかったりするのだ。川の流れに逆らうことなく、ただただ流されるままいた結果、思い返してみると、あのときのことが、川面から飛び出していた流れを変える石にぶちあたった瞬間なのだと気がつく。


私は就活生のときの「何か挑戦したことはありますか?」の質問にとある強烈な一言を毎回つけていた。

それは、「~です。ですが、あのときは、『挑戦しよう』と思って始めたわけではありません。ただやりたかった、ただその気持ちが抑えられなかった、その結果が今振り返ってみると『挑戦』の形をしていました」だ。

万が一、今就活をしていて「何か挑戦したことはありますか?」の質問の受け答えを準備している就活生、ビビッときたらぜひ使ってみてください。すごい見識のあるような就活生、はたまた文学的要素強めの癖がある就活生だと思ってもらえるかもしれないです。責任はとりません。


ただ、これはけっこうを的を得ているなと個人的には思っていて、確かに「挑戦するぞ!」と意気込んで始めたことは、私はあまりないように思う。

もしかしたらそう思って始めたことはあったのかもしれないけれど、そもそも覚えてないということは、大した挑戦ではなかったのかもしれない。

「気がついたら、あれがきっかけだった」、「ふと思ったら、あのときのあれが挑戦だった」、きっとそういうものなのだと思う。

人生に分かりやすい分岐点はそもそもそんなにないのかもしれない。

大きくは、やるかやらないか、行くか行かないか、好きか嫌いか、の2択と思われがちだし、結局そうなのかもしれないけど。

でも、実はなんとか生み出した脇道とか、どうにか探し出した細道とかが実はあったりして。いや、もしかしたら、そもそも2択なんてなくて、進む道すらも自分で舗装している可能性がある。


”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。