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【掌編】それってセクハラじゃないかな

 平田雅美は定食のトンカツをつつきながら、
「それってセクハラじゃないかな」と言った。
 その言葉に、私ははっとなった。考えたこともなかった、とつぶやくと、
「いや普通にあるって。どこでも。あまり表沙汰になってないだけで」と、雅美は言った。
 雅美は私の同僚だ。私が異動になったので部署はちがうが、いつも会社の近くの大衆食堂でいっしょに昼食を取っている。
 健啖家の雅美は、いつもこってりとしたものを食べる。食が細い私には信じられない。トンカツなんて、見るだけで胸やけが起きそうだ。同時に、その元気がうらやましい。
 私の上司である近藤一平は、ことあるごとに「~のくせに」という。若いくせに体力がない、いい年のくせに結婚もしていない、などなど、一日に何度「くせに」と言っているのかわからないほどだ。
「その近藤っていう上司がどういう人か知らないけどさ」トンカツをほうばりながら雅美が続ける。「頭の中、相当古いよね。半世紀前の頭じゃん。年いくつ?」
「たしか五十になったばかりだと」
「頭の中がバージョンアップされてないんじゃない? いまだにウィンドウズ95使ってそう」
「それはないと思うけど……」たとえだとわかりつつも、ついつっこんでしまう。こういう融通のきかないところが私の悪いところなんだと、落ちこんでしまう。
「今の時代、男だからとか女だからとかで、特定の業務を押しつけるのはおかしいと思う」ごくん、とトンカツを呑みこむ雅美。「あんたんとこの上司は時代に逆行してる。今の業務って、何?」
「倉庫業務。割と力仕事かも」
「前に身体が弱いって言ってなかった?」
 私はうなずいた。私は人よりも身体が弱い。入社時の面接で話したが、虚弱体質だ。明確な定義のない体質らしいが、疲れやすかったり、食が細かったりするのはそのせいらしい。だからできるだけ体力を温存し、できるだけ運動もし、みんなの迷惑にならないよう心がけている。
 会社もそれを承知の上で私を雇ってくれている。近藤部長も私の身体のことは聞いているはずだ。だが、あまりそのことを考慮には入れてくれていないようだ。
「もしどうしても駄目なら」冷たいお茶で一服しながら、雅美は言った。「直接訴えた方がいいよ。事情をもう一回説明して、別の業務に変えてくれって」
「うん……そうだね」私は手もとの定食に目を落とした。結局、半分ほど残してしまった。
 私は大衆食堂のおじさんに心の中で謝りながら、雅美と外に出た。
 夏の日差しが照りつける。今日も倉庫業務だと考えると、気が滅入る。
 案の定、私は疲れのあまり、作業を途中でとめ、身体を休めてしまった。
 主任が「大丈夫か」と声をかけてくれたので、大丈夫ですとこたえたが、あまりに顔色が悪かったせいだろう、近藤部長に報告へ行ってしまった。とめるひまもなかった。
「また具合を悪くしたようだな」
 近藤部長に呼びだされ、いらいらとした口調で確認を取られた。私は申しわけありませんと謝り、思いきって、雅美が言っていたように業務を変えてほしいと頼んだ。
 その途端、近藤部長は激昂した。
「これだから!」机をバンバンと叩く。「何が虚弱体質だ! それでも『男』か! 『男』のくせに情けないと思わんのか!」
 私は疲れた身体と心をふるいたたせるため、一瞬、息を吸いこんだ。
「お言葉ですがっ」できるかぎり強い語調で近藤部長につめよる。「『男のくせに』というのは、れっきとしたセクハラです」
「なんだと!?」
 近藤部長は凄むが、私は何とか踏みとどまった。自分でも凄いと思う。
「私の業務を変えるか、部長自身が考えをあらためるか、どちらかにしてください」
「こ、この」
 近藤部長は顔を真っ赤にしていたが、横から課長がやってきたので、私から目をはなした。課長が持ってきた書類に目を通しているとき、課長は私に目配せした。戻れ、という意味だろう。
 私は自分の席に戻り、深いため息をついた。
 男のくせに──男だからなんだっていうんだ。
 男だってセクシャルハラスメントの対象になる。雅美が教えてくれなかったら、私はずっと知らないままだっただろう。
 そして、遠くない未来に、自分も後輩に近藤部長のような言葉をぶつけていたかもしれない。
 近藤部長がどういう判断を下すかはわからないが、言うべきことは言った。喧嘩腰になってしまったが、私は雅美に心の中で感謝した。

(了)

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