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【掌編】『夢』の保証

 最近、正則の様子がおかしい。SNSでやりとりをしながら、俺は思った。
 これまではどんなくだらない話でも必ず返事をしてくれたし、ときおり、家族や仕事の話もしてくれた。それが、既読スルーだけでなく、メールを送っても返事がない状態が続いていた。
 田中正則は、小学生のころからの友人である。昔から頭がよく、容姿も秀でていたため、女子にもてた。性格も明るく、俺がつまらないことで落ちこんでいても、粘り強く話を聞いてくれる優しい男でもあった。
 社会人になってからも友人関係は続いていた。正則は海外の大手自動車メーカーに就職したので、会うことはほとんどなくなった。しかし、通信技術の発達により、いつでも連絡を取ることができる。インターネットさまさまである。
 正則の身に何かあったのではないか? 海外には危険な場所も多いという。嫌な考えが頭をよぎり、俺はいてもたってもいられなくなった。
 俺は駄目元で、「ひさしぶりに話がしたいんだが、時間取れるか? リモートでもいいけど」とメールを送ってみた。
 正則が勤める会社は、様々な国に工場を持ち、正則自身、世界中を飛びまわっている。そんな忙しい友人をリモートとはいえつかまえることができるのかどうか。
 意外にも、今回はすぐに返事があった。
 「実は今、日本にいる」。正則は日本支社の様子を見るため、群馬に来ているらしい。近いところで助かった。
 俺はすぐに会える場所をセッティングし、日程をすりあわせた。
 日曜日、俺は行きつけの居酒屋で正則が来るのを待った。小さな店だが、うまい焼き鳥を出すことで有名だ。
 正則はラフな恰好で姿を現した。相変わらず、何を着てもさまになるいい男だ。
 ひさしぶり、と軽く手をあげると、ああ、と正則も手をあげた。疲れていることを、その緩慢な動きが如実に表していた。
「疲れてるみたいだな。まあ、あっちこっち飛びまわってるなら当然か」
 正則はこたえず、「今日はどうしたんだ? お前から声をかけてくるなんて、めずらしい」と訊いてきた。
 恥じることではないが、俺は陽気な方ではない。飲み会はほとんど行かないし、友人と呼べる人間も少ない。正則からすれば、言葉どおり、めずらしかったのだろう。
「お前が既読スルーなんかするからだろ」俺はわざと怒ったように言った。「メールも返事がなかったし、何かあったのかと思うじゃないか」
「高校生じゃあるまいし、そんなことで」正則は笑った。わずかだが、嘲笑のようなものを俺は感じた。「まあ、俺もお前に会いたかった。リモートじゃなくて、直接会えてよかった」
「ほんと、何年ぶりだろうな」俺は言った。
 それから二時間ほど、俺と正則は酒を少しずつ飲みながら、焼き鳥を口に運んだ。
 正則はSNSで返事をしなかった理由に触れない。俺も強いて訊こうとはしない。案外、正則が笑ったように、特に理由はないのかもしれない。
 それならそれでいい。よくよく考えてみると、家庭を持っている正則がひまなはずがない。高校生じゃあるまいし、と笑われても仕方がなかった。
 俺が最近見た映画の話をしていると、
「夢が叶っても、幸せにはなれないんだな」
 会話の流れを断ち切って、不穏な言葉が突然投げこまれた。
 俺は箸をとめ、正則の顔を見つめた。
「昔、言ったっけ。空飛ぶ車が造りたいって」
「映画に出てくるみたいなやつな」かの有名な映画に出てくる、自動車の形をした、空飛ぶタイムマシンのことだ。「俺たちが中学生ぐらいのころ開発されてたけど、あれは空飛ぶ車じゃない、小さなヘリだって怒ってったっけ」
 正則は小さくうなずき、「それが車に興味を持つきっかけになったし、その後の進路を決定づけたんだと思う」
「自動車業界への就職に強い、一流大学に一発合格して、大手の自動車メーカーに就職できたってのは、純粋に凄いよな。で、空飛ぶ車は?」
「空飛ぶ車なんてどうでもいい」
「『夢』がないなあ」
 俺はため息をついたが、正則の表情が一瞬強張ったのを見逃さなかった。
「代わりに石油を使わない車の開発に携わってる」
「へえ」いずれ世界を変えそうだ。「それの完成が、今の夢ってことか」
「夢はもう叶ってる」正則は挑むような強い口調で言った。「開発は順調だ」
 そうかそうか、と俺はうなずいた。でもそんな機密を話していいのか? 正則は少し、冷静さを欠いているように見えた。
「奥さんはどうしてる? 元気か?」
「今はアメリカに住んでる。娘も二人いる」
「そういやそんなこと言ってたな」
 一流の大学を出て、希望する仕事について、奥さんと子供がいる。年収だって相当なものだろう。
 順調そのものの人生。誰が見てもそう思うだろう。じゃあ、さっきの言葉は嘘か冗談か?
「なのに何で、こんなに」正則はぽつりと言った。「気が滅入るんだろうな」
 嘘でも冗談でもなかった。
「頑張りすぎなんじゃないか?」俺は言った。
「頑張って何が悪いっ!」正則はかみつくような口調で言った。俺が目をまるくし、周囲の視線がこちらに集まっていることに気づいたのか、恥じ入るように「ごめん」と謝った。
「いやいいけどさ」
「頑張って何が悪いんだよ」泣き言のように正則は言う。「俺は夢を叶えたんだ。一流の大学を出て、やりたい仕事について、いい妻と娘に恵まれた。なのに、どうして俺は幸せを感じられないんだ?」
 俺は何も言わなかった。ただじっと、正則が心の中にためこんでいた澱を吐きだすのを聞いていた。
 だが、正則の口から出てくるのは感情ばかりで、何が不満なのか、どこでつまづいているのか、という具体的な話や悩みは出てこなかった。
 ときおり、俺が意見をさしはさむと「そんなことはない」「妻は何も悪くない」「仕事には満足している」と怒りに近い言葉をぶつけてきた。
 おそらく、正則は本心を俺に明かしてはいない。プライドが、正則の心を硬い鎧のように覆っている。
 あまりにも強すぎる自負が、友人である俺をも拒絶しているように感じた。

 帰るころになると、正則の表情は少し明るくなっていた。
「話ができてよかった。聞いてくれてありがとうな」
「これぐらいたいしたことないさ」俺は言った。「頑張りすぎるなよ。せいぜい、奥さんと娘を大切にな」
 正則はタクシーで帰った。俺は駅に向かって歩きだす。結局、正則が何を悩んでいるのかわからずじまいであった。
 幸せを感じられない。
 それが悩みの根幹であることは間違いない。しかし、その理由はわからない。おそらく、正則自身にも。だから、感情的な言葉を吐きだすことに終始するしかなかったのだ。
 電車に揺られながら、俺は正則に言っていない「ある言葉」を、心の中でずっと反芻していた。
 正則と比べると、俺の人生などみじめなものだ。
 高校も大学も、志望校には入れなかった。大学は一浪したし、新卒で就職はできず、卒業後に入った会社も三か月ほどでやめてしまった。今いる会社は、三番目の会社だ。だが、俺がやりたかった仕事ではないし、業務内容も得意なものとは言いがたい。ただ少しだけ向いている。その程度だ。年収も、おそらく正則の半分以下だ。
 三十代半ばにして、いまだ独身で、実家で両親や妹と暮らしている。つきあっていた女性がいたが、彼女は別の男のもとへ行ってしまった。
 正則とは比べようもない、ひどい人生。そう判断する人間は多いだろう。
「ただいま」
 家に帰ると、両親の「おかえり」より早く、「おかえりー!」という元気な声が俺を出迎えた。廊下を走ってきて、俺に抱きついてくる、小さな身体。
 俺の妹の、七歳になる息子。つまり甥っ子だ。
「おかえりなさい」妹が姿を現した。「こら、幸一。おじさんからはなれなさい。重いでしょっ」
「やだ。今日はおじさんとゲームするんだもん」
 そういえばそんな約束したっけ。幸一はずっと昼寝をしていたから、遊ぶひまが全然なかった。
「明日お仕事なんだから駄目!」
「いいって別に。幸一、遊ぼうか」
 腰をかがめて頭をなでてやると、幸一はわーい、と諸手をあげて喜んだが、すぐに顔をしかめた。
「おじさん、何かくさい」幸一は鼻をつまんだ。
「お酒飲んでるからな」酒は苦手なので一杯しか飲んでいないが、子供の鼻というのは敏感なのだろうか。
「飲酒運転は駄目だってお母さんが言ってた」
「レースゲームをするだけなのに飲酒運転と言われるとは思わなかったな」俺は笑った。
 妹は八年前に結婚した。だが、夫となった男からひどい暴力を受けた。物理的な暴力、言葉の暴力、生活費をわたさない社会的な暴力。ソトヅラだけはいい、最低の男だった。
 離婚を考えていた妹だが、夫は交通事故であっけなく死んだ。その後、妹は幸一とともに実家へ帰ってきた。
 もし、と手を引く幸一を見ながら考える。かわいくてかわいくて……自分に息子がいたらこんな風に感じるのかもしれないと思うほどかわいい、甥っ子。
 もし、今の会社にいなかったら。
 もし、俺が新卒で就職していたら。
 もし、つきあっていた女性と結婚していたら。
 もっとさかのぼって、もし、望む高校や大学に受かっていたら。
 俺はこうやって、幸一と暮らすこともなかったかもしれない。落ちこんでいた妹を助けられなかったかもしれない。少ない年金で暮らしていくしかなった親を、支えることもできなかったかもしれない。
 痛いほど腕を引かれながら、俺はつぶやいた。
「『夢』が叶ったからって、幸せになれるわけじゃないんだよな」
 夢は幸せを保証しない。いつしか、俺はそんな人生観を抱くようになっていた。
 正則に言えなかった言葉。夢に向かって走り、夢を叶えた正則の人生を全否定しかねない言葉。あまりに厳しすぎて、言えなかった。
 だって、夢なんてなにひとつ叶わなかった俺が、こんなに幸せじゃあ、あいつの立つ瀬がないだろう?

(了)

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