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【掌編】夢みたいなこと

 それは、突然やってきた。
 俺が恋人の加奈子と、オープンカフェで他愛のない話をしていると、テーブルが小刻みに揺れはじめた。
 日本人の本能か、俺たちだけでなく、周囲の会話も一瞬とまる。
 続いて、突き上げるような震動が来た。間違いない、地震だ。
「ひっ!」加奈子が短い悲鳴をあげた。女性は「きゃーっ!」という悲鳴をあげるイメージがあるが、本当におそろしいことが起こったときは、声もほとんど出ないようだ。
 かくいう俺も同じで、テーブルにしがみつきながら、いつでも動けるように腰を浮かせていた。
 地震が起きたら、テーブルの下に隠れて頭を守れ。
 小学生のころ教わった地震対策だ。
 だが、今は少しちがう。頭上を確認し、俺たちはテーブルの下に隠れなかった。
 日当たり良好なオープンカフェは、影に覆われていた。巨大なひさしのような板が、俺たちの頭の上に展開されているからだ。
 ときおり、ガラスのようなものが割れる音が聞こえる。さらに、重く硬いものが砕ける音まで。間違いなく頭上で起こっていることだが、板……〈完全地震防壁〉は完全にそれらを防いでいた。
 〈完全地震防壁〉と呼ばれるものが開発され、店舗や工場などへの設置が義務づけられたのは、十年前……俺が高校生のときだ。
 詳しいことは門外漢の俺にはわからないが、新型の国際宇宙ステーションの外壁にも使われているらしい。その強度は、大きめのスペースデブリが高速で突っこんできても、へこみひとつできないのだとか。
 揺れを感知し、完全に展開されるまでの時間は一秒にも満たない。人工知能によって、危険と判断された揺れにのみ反応するという有能さだ。
 揺れは三十秒ほど続いた。防壁に覆われていない外を見ると、ガラスや外壁の破片が道路に散らばっている。歩行者の多くが、防壁の下に避難してきていた。
「もう、大丈夫だ」俺は声が震えないように、加奈子に言った。
 加奈子は頭を手で覆っていたが、おそるおそる手をはなし、「コレが実際に動くの初めて見た」と防壁を指さした。
 俺もだ、とうなずく。まるで自分たちを守ってくれている巨大な「手」だ。
「さて……」俺はスマートフォンを取りだし、地震情報を集めはじめた。
 速報が出ていた。かなり大きな地震だったようで、電車が脱線したり、道路に亀裂が走ったりしたようだ。倒壊家屋や死傷者の情報は、まだ出ていない。
「帰れるのかな」加奈子が不安そうに言った。
 無理もない。今日は少しおそい時間に会う約束をしたため、もう十六時近い。今の状態で、日が落ちるまでに帰れるかどうか。
「ひとまず家族に連絡してみたらどうだ?」
 俺が提案すると、加奈子はすぐに家に電話した。真っ先に家族のことを考えそうなものだが、見た目以上にパニックを起こしていたようだ。
 加奈子の表情が次第に明るくなる。どうやら、家族は大丈夫なようだ。
 一方、俺は仕事でこの街に来ているため、一人暮らしだ。マンションがどうなっているか確認する術はなかった……十年前なら。
 俺はスマートフォンのアプリを起動し、「カレルレン、部屋はどうなってる?」と訊いた。
 返事はすぐにあった。『いくつかのものが落下しましたが、大きな被害はありません』
「何が落ちた?」
『玄関に飾ってあったフィギュアが落ちました』
 げっ、と俺はうめいてしまった。それ、たしかくじで当たった某有名巨大人造人間アニメのやつじゃないか。壊れてないといいが、カレルレンにそこまで確認するほどの能力はない。
「カレルレンって?」加奈子が訊いてきた。
「俺の部屋を管理してるAIの名前」元ネタは俺の好きなSF小説だが、言ってもわからないと思うので黙っておく。
 俺はあたりを見まわした。電車が動かないことははっきりしている。タクシーもおそらくつかまらないだろうし、つかまえられたとしても、どこで道路が寸断されているかわからない。
「今日は送るよ」俺は言った。さすがにほうってはおけない。
「うん。でも、どうやって?」不安げに加奈子が訊く。
「歩くしかないだろうな」
 俺は鞄からゴーグルを取りだした。ゴーグルといっても、普通の眼鏡にしか見えない。実際、スマートフォンがなければただの度の入っていない眼鏡だ。
 俺はゴーグルについている小さなボタンを長押しした。ややあって、スマートフォンとの連動が完了する。
「加奈子の家まで行きたい。誘導、頼む」
 レンズに地図が表示され、外の景色が見えなくなる。それも一瞬。普通の眼鏡のように、外の景色が見えるようになった。
 ただしその景色には、スマートフォンから送られてくる情報が、AR(拡張現実)として書きこまれている。
 目立つのは、足もとの大きな矢印だ。
「ゆっくり歩いても二時間か」レンズに映っている所用時間を確認する。
 ゴーグルはスマートフォンと連動することで、レンズに様々な情報を表示する。無骨なゴーグル型ではなく、スマートな眼鏡型が開発されたことで、前を見ずに歩く「歩きスマホ」は大幅に減った。
 今、俺はスマートフォンに登録された「加奈子の家の住所」を呼びだし、そこまでの案内を命じた。その情報が、ゴーグルのレンズに映しだされているのだ。
「どうする? 歩くか? それとも、避難所に行く?」レンズには避難所の場所も映されていた。
「……帰る。ゆっくり歩いて二時間なら」
「途中で情報が更新されるだろうから、時間に関してはあてにならないぞ」
「いい。お父さんとお母さんが心配だから」
 よっしゃ、とこたえ、俺と加奈子はカフェの中に入った。客はすでに全員、外に出ている。
 俺は店の隅に設置されている、災害時に使用するボックスを開けた。様々な非常用の道具がおさめられている。すでに一度開けられたらしく、中身はかなり減っていたが、必要なものはあった。
 加奈子に頑丈そうな靴をさしだす。「ヒールの高い靴よりましだろ」
 加奈子は靴を脱ぎ、災害用の靴に足を入れた。ぶかぶかだが、小さなモーター音とともに、靴が足に密着する。見る人が見れば、昔のタイムトラベル物の映画を思いだすだろう。
「大丈夫みたい」加奈子は軽く跳びはねて笑顔を見せた。恐怖が少しやわらいできたようだ。
「行こう。怪我しないようにな」俺は加奈子の手を引き、歩きだした。
 日はかなり傾いていたが、ゴーグルが光を補正してくれるから、夜になっても問題ないだろう。
 度重なる災害に対応するため、土木、宇宙事業、IT、アパレルなど、様々な業界が手を組んだのが十五年前。そして十年前に開発された〈完全地震防壁〉を皮切りに、様々な技術が導入されていった。
 災害の多いと言われる日本が、その対策のために大きく動きだしたのだ。ようやく重い腰をあげた、と言う者もいる。だがその進歩はまだ続き、俺たちは昔の人間よりも安心して暮らしていけるようになった。
 あとは……
「ばかでっかい人造人間ができれば、災害の事後処理も簡単になるのになあ」
「なに夢みたいなこと言ってんの」隣で加奈子が笑った。
 俺もいっしょに笑った。たしかに、『夢みたいなこと』だ。
 しかし、俺たちの親世代から見れば、その『夢みたいなこと』が実現しているのが現代なのだ。

(了)

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