#05 自分のHISTORY~1982年音楽と美容について
皆さん、こんにちは。
ビューティークリエイティブエバンジェリスト(美容家)、美容師、ヘアメイクアップアーティスト、の柳 延人(やなぎ のぶと)です。
今回は、#04に続き、自分のHISTORYとリスペクトした義兄が会社を設立した1982年の音楽と美容について書きました。
1.HISTORY
気がつけば、ヘアメイクプランナーとして、ミュージカルだけでなく、舞台界全般へと、仕事の幅が広がっていた。
衣装や小道具も含めたトータルビジュアルの依頼も増え、大きな予算も任される仕事が増えた。
25歳、
背伸びをしながらも、仕事を仕切る楽しみを経験し、もっと大きな仕事がしたいという欲に駆られる毎日。
寝る時間を惜しんで、仕事への情熱を自分自身に注ぎ、常に大きな仕事をしている妄想の日々、現在もイマジネーション力が健在なのは、ミッキーとこの頃の自分の妄想癖のおかげだ。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ミッキーマウス
この頃、とてもリスペクトしている人物に、大きなアドバイスを受けた。
義理の兄、『小笠原 浩』である。
義兄の若き時は、半端ない不良ぶりで、泣く子も黙る極悪ヤンキーだった事は、都市伝説として知っていたが、15歳で姉と知り合いそのまま結婚、義兄弟になった。
そして、F1レーサーを目指した事もあるほどのスピード狂で、車無くしては義兄の人生は語れない。
結局仕事は、大好きな車の板金や整備工になり、毎日遅くまで働きまくっていた。
昔、半端ない不良は、大人になると更生する説は、義兄を見て本当だと思った。
そんな義兄が、ある日自分の会社を作った。
いつから計画していたのか、若かった僕には全くわからなかったが、相当な野心を持ち、独立を目指していたのだろう。
そして、義兄の会社設立は1982年、25歳の時だった。
この義兄からのアドバイスは、
『人生、一度しかないからな。やると決めたらやるんだよ!失敗した時の事なんか、一切考えない、それが男ってもんだろ?俺は、独立して社長になる!そして、家族に良い暮らしをさせてやる!って決めたから、会社作ったんだ。!お前も、やりたい事があるなら、迷ってないでやってみろよ!人生、一度しかないんだぞ!』
一字一句、この通りに言われた事を思い出して書いたが、改めて、でっかい人だったなーと、今でも思う。
人生で初めて、男が男に惚れたのだった。。
ちなみにこの時の義兄の会社は、中古車販売や車のカスタム、整備板金で、地元では知らない人がいないほど、でかい会社になっていた。
僕は決意した。
遠慮なく、この人の背中を追おう。
この人と同じ25歳で会社を作ろうと。
そして、会社設立を決意した。
美容とエンタメに関する事が全てできる会社を作ろう。
まず、人生初の銀行融資を計画した。
銀行には、ワープロで作った起業企画書を持ち込み、必死でプレゼンした。
いわゆるスタートアップだったわけだが、美容がいかに長期展望なビジネスであること、エンタメに必要不可欠であることを、熱苦しいほどの熱意で熱弁したのを、今でも思い出す。
僕がスタートアップメンターとして、若手起業家支援しているのも、この頃の経験で得たものを伝えていきたいという思いがある。
僕も含め、起業した仲間たちとは、今でも集まると夢を語る熱いトークセッションを行なっているが、若い人たちにももっと熱くなってほしいと思う。
義兄に教わった決断の勇気、失敗を恐れないで進むこと、人生は大抵このように生きてうまくいく。
僕は死ぬまでこの精神で生き抜こう。
義兄に一つだけ勝った事がある。
僕は現在55歳、義兄は49歳でこの世を去った。
僕は、リスペクトする偉大な義兄より、6年も長く生きている。この先も長く生きて、この差は引き離していくだろう。
こうして1990年6月20日に設立した株式会社ウィロー。
ここからが、山あり谷あり、海千山千な人生が始まる。
人生、うまくいかないことがあるほうが、うまくいった時の喜びが大きい、と、悟った今なら、当時の自分のに伝えられるのにな〜(´Д`)
2.MUSIC JAM
ここでは、僕の記事の内容の年代に流行っていた洋楽の中から、柳レコメンド曲を僕なりのライナーノーツとしてご紹介していきたいと思います。
今回のレコメンド曲は、義兄が会社。設立した1982年から、サバイバーの『アイ・オブ・ザ・タイガー』です。
この曲は、サバイバーの3作目のアルバム『アイ・オブ・ザ・タイガー』の1曲目に収録されている曲です。サバイバー初となるビルボード1位を記録(6週連続)、全英・全豪でも1位の売り上げを記録しており、グラミー賞の最優秀ロック・パフォーマンス部門を受賞しました。
この曲は、シルヴェスター・スタローンの依頼で作曲され、彼の監督・主演の「ロッキー3」の主題歌として使用され、大ヒットしました。
僕の中では、プロレスラーのハルク・ホーガンの入場テーマソングとしても、記憶に刻み込まれています。
It's the eye of the tiger
It's the thrill of the fight
Rising up to the challenge of our rival
それは虎の目
それは闘いの戦慄
立ち上がれ 強敵の挑戦に
困難な事に挑戦する時に、ぜひ聞きたい曲です!
日本では、松田聖子さんの赤いスイートピーが各所で聞こえてくる中、中森明菜さんの少女Aがムーブメントとなった、1982年のビルボードチャートはこちら
1. フィジカル / オリビア・ニュートン・ジョン
2. アイ・オブ・ザ・タイガー /サバイバー
3. アイ・ラヴ・ロックン・ロール / ジョーン・ジェット&ブラックハーツ
4. エボニー・アンド・アイボリー / ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー
5. 堕ちた天使 / J・ガイルズ・バンド
6. 愛の残り火 / ヒューマン・リーグ
7. ジャック&ダイアン / ジョン・クーガー
8. 青春の傷あと / ジョン・クーガー
9. アブラカダブラ / スティーヴ・ミラー・バンド
10. 素直になれなくて / シカゴ
11. 汚れなき愛 / ソフト・セル
12. 炎のランナー / ヴァンゲリス
13. ミスティ・ハート / クォーターフラッシュ
14. ロザーナ / TOTO
15. アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット / ダリル・ホール&ジョン・オーツ
16. ジェニーズ・ナンバー/867-5309 / トミー・ツートーン
17. キー・ラーゴ / バーティ・ヒギンズ
18. 気になるふたり / メリサ・マンチェスター
19. ガール・ライク・ユー / フォリナー
20. ドント・トーク・トゥ・ストレンジャー / リック・スプリングフィールド
3.BEAUTY
ここでは、僕の記事の内容の年代のビューティーに纏わる内容をご紹介していきたいと思います。
出典:http://meguro-tokyo.blogspot.com/2007/07/blog-post_25.html?m=1
こちらの広告写真は、1982年、『猫』がテーマ『図書目録』の広告です。カネボウ化粧品とヤマハ発動機の二社の広告が掲載されています。
[主催]カネボウ化粧品・ヤマハ発動機
[企画]日本出版販売+ジョーカー・コーポレーション
発行年:1982年
カネボウとヤマハのコラボ、今ならともかくこの年代のジョイント企画は凄いです。
この頃のカネボウ化粧品は、大躍進していました。
◆1979:化粧品を(英)ハロッズ百貨店で販売開始(欧州初進出)
◆1980:カネボウコスメティックス・ヨーロッパ社設立(スイス・チューリヒ市)
◆1981:化粧品事業が鐘紡に合併、カネボウ化粧品本部となる
◆1982:カネボウホームプロダクツを鐘紡に合併
◆1984:口紅・バイオシリーズ発売、大ヒット
2006年にカネボウ化粧品は花王株式会社の100%完全子会社に移行となり、そして、他のカネボウの名称を冠する会社も、今月(2007年7月1日)に「クラシエ」となりました。
明治20年に創業したカネボウは、今年、創業から133年目の年にあたります。
実は、僕はカネボウ化粧品が運営していた、カネボウ総合美容学校の出身で、カネボウ化粧品の美容部員も経験しました。
縮小化しているイメージのカネボウですが、誇りある日本のトップブランドです。
OBとして、これからも注目し、飛躍を期待したいと思います。
タイトル画像出典
出典:http://meguro-tokyo.blogspot.com/2007/07/blog-post_25.html?m=1
出典:https://movies.yahoo.co.jp/movie/25719/
出典:http://hiro-auto.com/contents/46
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