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鐘(かね)㋑

梵鐘(ぼんしょう)💧

画像は便利なモノで、ここでは大きな鐘を想像して書いてまいります。大小で使いみちが変わる例は幾らでもありますから初めに確認しておきました。高浜虚子が「去年今年貫くの如きもの」と詠んでみせましたけれど、撞木(しゅもく)という有難い名称まで付けて貰ったにも係わらず、この「棒」は梵鐘(ぼんしょう)なしには余り役に立ちません。そう考えると虚子は棒の恩人かも知れません。なにせ、梵鐘そっちのけで棒だけを詠んでいる。

とにかくも棒の突きかた次第で冬の夜空に大きく響きわたるのですから、さぞ愉快に思えるのではないでしょうか。じっさい鐘が勝手に鳴ってる訳ではないようですね。男女のも似たような感じですが、男女に限るのは狭量かも知れません。親子愛・兄妹愛・仲間愛、つまり人間愛まで高らかに謳いあげるべきかも知れません。そんなこと考えてると鐘よりも棒のほうに値打ちを覚えてしまいそうです。なにせ鐘よりも随分と安いのでしょうから。

ナンのカンの言いながら、鐘の話も少しはしなければ駄目でしょうね。鐘のほうは人それぞれに色んな解釈ができそうです。役立たずと言われそうな鐘も幾つかありそうです。寄進した鐘の所為で命を落とした秀頼の話とか、鐘のなかに隠れていた安珍を鐘は護らず、中で焼け死んだ話とかありますね。方広寺の鐘みたいに体中に有難い経文を書いてもらったけれど、瑕疵(かし)があって痛い目にあった芳一さんも気の毒なことをしましたからね。

そんなこと考えると、やっぱり私の遣りかたのほうが良いかなあ・・・次の記事で書いてみます。おひま潰しにでもお読みにお出でください。(´ー`)

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