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「わざわざ」を「当たり前」にする事で自分の周囲が笑顔になる。

皆様こんにちは PICOです。

今回の記事も、以前私が介護・看護の仕事(病院勤務)をしていた頃の話なのですが、今回は患者様が話してくれた話ではなく、病棟の大ベテランの看護助手さんが私に話してくれた話を記事にしてみました。 もし宜しければ読んで頂ければ幸いです。

◆「わざわざ」とは何か。

「わざわざ」と言うと、何となくイメージとしては『面倒だけれど、仕方なく…』と言ったマイナスのイメージがある言葉だが、人がどんな行動を「わざわざ」だと感じるのかは、それこそ人それぞれだと思うのだ。

私がまだ病院へ勤務していた頃の話。 ある日、退院が決まった女性の患者様が、その日居た病棟のスタッフ1人1人に丁寧に『退院が決まりました、大変お世話になりました・・・』と挨拶をして回っているのを見掛けた。

勿論、その患者様は私にも挨拶をしてくれたのだが、随分と律儀な患者様だなぁ…と当時の私は思ったが、それ以上の事は特に何も感じなかった。

退院日当日、その患者様は再度改めてその日居る病棟のスタッフ1人1人に丁寧に挨拶をしてから退院していった。

私はその患者様の行動を遠目から見ながら、隣に居た大ベテランの看護助手さんに『随分律儀と言うか、珍しい患者様でしたねぇ・・・』と言うと、その看護助手さんは『御礼を言われて嫌な思いをする人なんて居ないでしょ? 確かに、わざわざ面倒な事してる様に見えるかもしれないけど、人を喜ばせる事ってのは、大抵「わざわざ」なのよ』と笑いながら言った。

あの患者様の行動は、確かに私には「わざわざ」に見えた。

こう言う言い方は良くないのかもしれないが、多くの患者様は退院が決まれば自分の担当の看護師や主治医に軽く挨拶をする程度で帰って行く。 私は別にそれでも良いと思っていたし、それに対して特別どうとも思う事も無かった。 しかし、この話を聞いてから改めて考えてみると、確かに「わざわざ」だと思う行動の多くは、ほんの少しだけ人を喜ばせる行動が多い様な気がしてきたのだ。

「おはよう」と挨拶する事。

「ありがとう」と感謝を伝える事。

「こんにちは」と挨拶する事。

これらは確かに人によっては面倒だと思う事であり「わざわざ」だと思う事かもしれない。 けれど「おはよう」と挨拶をされれば気分が良いし「ありがとう」とお礼を言われれば何かをしてあげて良かったと思うし、すれ違った近所の人から「こんにちは」と声を掛けられれば嬉しくなる。

あの時、看護助手さんの言っていた言葉の意味が数年立った今頃になって少しずつ理解出来てきた気がする。


◆「当たり前」とは何か。

私は「当たり前」と「常識」は似ている言葉の様で、まったく別の意味だと思っている。 勿論これも人それぞれ解釈は違うとは思うが、どちらかと言えば「常識」は『知っていて当然』『万人や不特定多数の人が共通の認識としている事』…と言うイメージがあり「当たり前」はその人個人の思う、各々の心のあり方と言うか…心の持ち様だと私は思うのだ。

ここでは上記の意味で「当たり前」と言う言葉を使うが、そうなると「当たり前」とは何か…と言う話になると思う。

私は、それこそ「当たり前」とは先に挙げた『挨拶』や『お礼』などを差すのではないかと思うのだ。

「おはよう」と挨拶する事。

「ありがとう」と感謝を伝える事。

「こんにちは」と挨拶する事。

誰かにとっては「当たり前」の事で、同様に誰かにとっては「わざわざ」な行為である事だと思うのだ。 そう考えると、私は「当たり前」と言うのは【その人の習慣】だと思うのだ。


◆「わざわざ」を「当たり前」に変えるとは。

ここでやっとタイトルの話題に戻る訳ですが「わざわざ」を「当たり前」にすると言うのは、日々の生活で自分が「わざわざ」だと思っている事を習慣にする事だと私は思ったのだ。

朝起きて「おはよう」と挨拶するのは面倒だけれど、言ってみよう。 

誰かが何かをしてくれた時に「ありがとう」と言うのは照れくさいけれど、言うようにしてみよう。

近所の人とすれ違った時に「こんにちは」と挨拶するなんて恥ずかしいけれど、声を掛けてみよう。

それらが「わざわざ」ではなく「習慣」になり、その人の「当たり前」になった時、その人の周囲には今までより必ず笑顔が溢れている様に思う。

人を幸せな気持ちにさせるのはとても難しいかもしれないけれど、ほんの少しだけ嬉しい気持ちにさせるのは、きっと挨拶1つで十分なのかもしれない。 いつかの「わざわざ」が「習慣」になり、自分の中の「当たり前」になった時、そんな貴方を見た誰かがほんの少しだけ嬉しい気持ちを受け取って、その受け取った気持ちを他の誰かへ送る事が出来れば、皆が少しだけ今までより幸せになれる気がするのだ。 人はこうやって少しずつ幸せに近づいていくのだろうと思い、同時に、これが人は1人では幸せになれない理由なのだろうかとも思った。


◆最後に・・・。

あの時の患者様は「わざわざ」挨拶をして回っていたのではなく、それがその人にとっての「当たり前」の行動だったのかもしれない。

もしかしたら「わざわざ」だったのかもしれないが、その「わざわざ」を「当たり前」に変えている最中だったのかもしれない。

いずれにしても、挨拶をされた私達は少しだけ嬉しい気持ちになったのだ。

こう言う事を人は「偽善」だとか「自己満足」だとか言って笑うのかもしれないけれど、あの日私に『人を喜ばせる事ってのは、大抵「わざわざ」なのよ』と、教えてくれたあの人からは、そのいずれも感じる事は無かった。

「わざわざ」と言う言葉に、私はもうマイナスのイメージは無い。

誰かを少しだけ笑顔に出来る最初の第一歩だと思う。


それでは・・・また、次回の記事でお会いしましょう。

【追伸】:前回の記事へ「スキ」して下さった皆様、有難う御座います。今後はこの様な記事を不定期に書いていければと思いますので、もし宜しければ今後ともお付き合い下さい。 有難う御座いました。




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