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さくらももこ と さすらい

2023年11月8日(水) 天気:曇り

小説でも映画でも音楽でもグルメでも、好意を持つ知人のおすすめは積極的に試すようにしている。好奇心を膨らませるきっかけとしてこれ以上のものはないし、イマイチだったとしてもそれはそれで話題になるから。
というわけで、好きなひとの好きなものシリーズ第n弾は、さくらももこさんのエッセイ集『もものかんづめ』。

日常の何でもないような出来事を綴っているのに、ケタケタ笑えたり、ハッと気付かされたり、フーンと深く考えさせられたり、そんな瞬間が1ページに3回くらい生まれるのが面白くて、不思議で、少し嫉妬する。真っ直ぐな感性でものごとに向き合う、一方その視点は冷静で鋭く、ひとつ距離を置いた俯瞰の位置にあるような。自分の中の他人、のような。

人間には『向き』『不向き』があるものだ。
《宴会用の女》では、自身が事務作業など”普通”の仕事を人並みにこなすことができなかったOL時代を、漫画家として大成している さくらさん が持ち前の洞察力を駆使して回想する。僕の勝手な感覚として、アーティストや芸能人には、与えられた仕事を真面目に処理する人々を退屈とか平凡という言葉で侮る人が少なくないと想像している。馬鹿馬鹿しいと感じて、”非一般人”として生きることを選ぶんじゃないかなと。でもさくらさんは、OLやサラリーマンの彼ら彼女らに「カッコイイ」と敬意を払い、「エライなあ」と憧れているかのように表現をする。素敵だと思った。”普通”や”常識”を嫌い、他人と異なることを魅力と信じて思春期を過ごした僕には刺さってしまった。

エッセイなんだから、もっと気楽に読めばいい。とか言われそうだ。

「風の先の終わりを 見ていたら こうなった」
「雲の形を まにうけてしまった」
奥田民生さんの『さすらい』は1998年リリースの楽曲で、僕と同い年。出会ったのは大学2年生の頃。自分は何がしたいのか、何のために生きるのか、レールを失ったことにようやく気付き、悩んでいる("考える"というより"悩んで"いた)ときに寄り添ってくれた歌であり、大人にしてくれた詩である。

エッセイを読み終え、布団を被り、目を閉じ、この曲を聴きたくなり、眠りにつくのが30分遅くなった。次の日はしっかり二度寝をした。
人間には『向き』『不向き』があるものだ。僕は早寝早起きが苦手だ。

さすらいもしないで このまま死なねえぞ。


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