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価値を知らない人は失う。

盛夫の朝の備忘録#785

おはようございます😊

不思議なもので、この世界の緻密で精密な理を知れば知るほど、何かしら別の次元の存在を感じてしまうのは、私だけでしょうか?

多分、多くの科学者の皆さんは、知識レベルがある領域に達した時点から、疑問に感じる存在がチラつく様になるのでは無いのでしょうか?

物理学、数学、化学、生物学、気象学、天文学、文化人文学、哲学など様々な学問が存在しますが、ある領域から「おかしいな」と感じてしまうそうです。

何故、地球はこれほど緻密に精密に出来ているのか?

学問的なアプローチをすればするほど、ある領域から神の存在がチラつくそうです。

宇宙の中に自然発生的にこの環境が果たして産まれるのだろうか?

今のところ謎ですが、浪漫を感じる話です。

私は、自分の中の精神的領域においては、正当性も優位性も上下関係も存在しない事に氣付きましたが、他人の精神的領域の位置がわからないので、交流によってある程度の共感領域を感じる事で、共に過ごす時間を共有出来るのですがね。

神や霊の話は、それこそ不思議な話なので、中々話す相手が見つかりませんが、とはいえ知の専門家の学者さん達には、案外不思議な世界の話が通じる事があるので面白いです。

今後もそう言った不思議な世界の話と学問領域から見た共通点の話なんかを、学者さん達と話が出来ると面白いなと想っています。

さて、「有る」のが当たり前に感じて、日頃から色々な事が「有る」前提で生きていると、感謝もしなくなり、それが当たり前に感じてしまうものですが、そうなるとヤバい事に氣付きます。

感謝をしなくなる状態に陥る。
感謝をしなくなると、価値に氣付けないので、失う事になります。

失う事で、初めて「無い」状態を知り、失った後悔に陥ります。

誰もが何かしらの経験が有ると思います。

感謝をしなくなる事は、それほどヤバい状態なのですが、自分の中の正当性や優位性を優先する生き方を選んでいると、いつの間にか自分が感謝を感じなくなった状態に氣付くことすら出来ません。

そんな人に、何を言っても無駄なんですが、危険なのがそういう人物が権力を持つと社会に悲劇が訪れます。

なんせ「有る」前提で、事を進めてしまうので、失う恐ろしさを知らずにジャンジャン自然環境を破壊してしまいます。

不動産開発という環境破壊がそれです。

価値を知らない人は、失う。

自然も、人も、仕事も、お金も、家族も、インフラも、生命も、體も、価値を知らない人は、それぞれの価値を知らないものから、失っていきます。

価値を知ってる人は、感謝の想いを持って、大事に接するので、想いの循環が発生して、失う事はありません。

価値を知る事は大事なのですが、価値を知るヒントは、知識があるか無いかです。

知識を身につけて、理を知り、価値を知るから、存在に感謝出来る想いが芽生えるのですが、有る前提を価値も考えずに消費していると、失います。

そんなに甘くはありません。

価値を知らないと、必ず失います。

価値を知っているから、人は大事に接する事が出来るのです。

価値を知らない人には、ゴミに見えるものですが、手放そうしているそれは本当に価値のないゴミなのでしょうか?

例え話に腕時計の話があります。

ある青年が父に言われて、祖父の遺品の腕時計を質屋に持って行くと5,000円だった。
次にアンティーク店に行くと同じ腕時計が100万円の価値だと言われる。

青年の父は、青年に自分の価値を活かす事を知りなさいと教える。

適切な価値を知っている者は失う事はないのですが、価値を知らないと活かす事が出来ないので、失う事になります。

人類にとって、今の地球の環境は、かけがえのない価値あるものですが、価値に氣付かず環境破壊を進めています。

私も含めた人類全体の問題です。

宇宙や地球にとって、人類が居なくても良い存在になってしまったら、我々人類がゴミを捨てる様に、宇宙も地球も人類を捨てます。

現代は、人類の危機であって、地球の危機ではありません。

自然災害などは、ある意味そういった別の次元からの神の計らいなのかも知れません。

冒頭に書いた様に、知識領域がある程度高い人達は、どうしても感じてしまう様で、高い知識領域レベルの人達は、案外神の領域を信じている人が多い様です。

無知なる行為が人類を滅ぼす。
無知なる者は、価値に氣付かず失う。

何を失っていくかは、その人それぞれの問題ですが、人類全体で言えば、今の自然環境を失い続けて、人類の危機に迫っています。

私の身近な熊本県で言えば、数年後に「水」資源を失う可能性が高いです。

価値を知っているのか、知らないのか、有るのが当たり前だと想っていた熊本県の「水」資源。

熊本県民が「水」資源を失った後に残るのはなんでしょうか?

熊本県は、あと数年で水資源を失う時が近づいているのは確かな様です。

水の価値を知る事は、大事な事です。

価値を知らない人は、失う。

熊本県民が、水資源の価値に氣付く事を願います。
人類が地球環境の価値に氣付く事を願います。

神の計らいなのか、何なのか今の私にはわかりませんが、人類が存在する価値があったから、存在しているとするならば、多くの人達に水や自然環境を失う前に、価値に氣付いて欲しいものです。

知らないでは、済まされない時が迫っています。

伝えても氣付けない人には、何を伝えても無駄なので、私は価値に氣付けて感謝出来るように願います。

ただそれだけです。

最後まで読んで頂きありがとうございました😊

ご縁に感謝してます😊
御自愛ください😊
良き1日を😊

日日是好日😊

2024年1月25日(木)
正月、大寒、水沢腹堅。
松合より😊

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