怠惰と真面目の境界線
怠惰と真面目
一見、正反対に見える単語だけど、本当に真逆の事象なんだろうか?
実は表裏一体、その差は紙一重なのでは?と疑わざるを得ない出来事が私の周囲で立て続いている。
例えば、手順書を渡して「この通りに作業を進めて」と指示をする。
言われたらその通りに作業をする。
これなら真面目(というか普通)だと思う。
では、こう状況だとどうだろうか?
手順書を渡して「この通りに作業を進めて」と指示をする。
状況が少しずつ変化し、手順通りにやっても上手くいかないケースに当たってしまった。それでも頑なに手順書通りに進めてしまい、結局失敗してしまう。
なぜ失敗したのか尋ねると「言われた通りに作業しました。それでも失敗しました。」と答える。
これは果たして真面目なんだろうか?
状況の変化を認識していても対策も立てず、何も考えずに作業をしてしまうのは真面目ではなく怠惰ではないのだろうか?
加えて、この例では他人に責任を押し付けよう、責任逃れをしようという明確な意思も感じないだろうか。
真面目という名の盾
彼は(彼女は)真面目だから。
そう評されている人が近くに数人はいるんじゃないだろうか。
でも、その真面目さ加減をよく観察してみると、変化を嫌い逃げているだけのタイプが混じっていることに気付くと思う。
そういうタイプは、淡々と日々同じことを繰り返すことを「コツコツとじっくり作業を進める」などと表現する傾向が強いと思う。
そして、そんなコツコツ作業が得意だとも言うだろう。
考えることも捨て指示された作業に疑問も持たず、真面目だからコツコツ作業も厭わない。
真面目だから。
これは他人からの評価のように見えて、自分で展開した「怠惰を守る盾」という防壁ではないだろうか。
真面目とは?
最初の例を題材に考えてみる。
手順書通りに進める点は正しい。しかしその後がいけない。
状況が変化した時にやることは「変化を無視して作業を続ける。」ではないはずだ。
状況の変化に対応して、失敗しないように作業を変更する?
その前に変化が出ていることを報告したり、指示を仰ぐべきだし、普通の人はそうするだろう。
怠惰は報告せず、気付いてか気付かずか分からないが、作業をそのまま進めてしまう。
普通は報告する。
では、真面目なら?
間違いなく報告するだろう。
この点だけ見ると真面目と普通の境界にはそんな明確な違いは無いと思われる。
だがしかし、異変に気付き、対応する達成率には大きな差があるように感じる。
つまり、真面目とは同じことをずっと繰り返すのではなく、変化に気付き適切な対処をする達成率が高い人を指すと言える。(この例の場合)
怠惰と真面目の境界線
ここまで見て来たように、怠惰は現状に甘んじて動かず、責任範囲を他人に押し付ける言動をしているタイプ。
真面目は現状を認識し、適切な対応をしようと行動するタイプである。
と、定義したことで境界線が明確になったかと思う。
しかし、アレですな。
トラブルや異常事態にならないと怠惰か真面目か判断が出来ないということになり、怠惰が真面目ぶって「出来る人アピール」して来る現状。
そこからどういう基準で真の真面目を拾い上げれば良いのか。
人を見る目を養わないと損をするのは自分なんだろうなと、少し気分が重くなった冬の夜なのであった。
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